台所を考える
榛名の家の台所は、4mX4mの空間しかないので、ここにいかにうまく機能を納めるかは、なかなか苦労するところだ。最初に出てきた図面は、いわゆるI型といって、横一列にパーツが並んだものだ。真ん中にダイニングキッチンと書いてある。
「ダイニングキッチン」というと、宮脇檀氏の『ダイニングキッチンの登場と退場』という文章を思い出してしまう。以下、いい家の本(宮脇檀著 PHP研究所 ¥1,238)より引用させていただく。
戦争が終わって十年、やっと人間並みの生活ができるようになった日本人は、ソロソロ人間並みの家が欲しいと思い始めていた。そんな欲求を読んだ鳩山一郎さんが、国で家を作りますという公約をして堂々と当選してしまうという大番狂わせがあって、仕方なく住宅公団が生まれることになる。 (中略) 何しろ十三坪を切る狭さの中で、親子四人のそれぞれの寝室は確保しなくてはならず、それでいて当時支配的であった食寝分離理論(寝るところと食べるところが一緒になっているのは、乞食や浮浪者の家であって、人間らしく住もうとする家は食事の場と寝る場所を分けねばならぬ---つまり、いったい家はどこまで小さくすることができるかという、戦争中の国の要請に従って研究した京都大学の西山夘三教授が発見した理論。終戦直後の住宅設計の唯一の指導的理論であった)からたった二つしか取れぬ畳敷きの部屋で食事をさせることができず・・・・・・という苦し紛れの解決が、エイッ、台所を少し広めに作って、そこで食事をさせてしまえという結論であった。原点アメリカのダイニングキッチンとは似ても似つかぬものではあったが、政治の貧しさを技術と良心が必死でカバーするという日本的構図の成果としては見事なものでありませんか。 (中略) 何よりも住宅不足で、「公団に受かったら結婚しようね」と日比谷公園の暗闇でささやきあいながら三十余回受けても未だ当選せず、次第に二人の間も険悪になりかかってしまうなどという事態が多発していた当時の状態の中で、憧れの眼差しで見られていたその住宅公団のそんな部屋自身までもが・・・・・・以下略 |
(閑話休題)
収納戸棚が全然ないので、それを考えてもらったのがこの2つだ。L型というのは、どうしても、角の部分にデッドスペースができてしまうので、最初から考えていない。また、我が家は夫婦二人なので、テーブルも小さめのものにしてもらった。