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07) リハビリ闘病記 アーカイブ

2011年03月28日

発症(1) 2010年3月29日午後3時半(頃)

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発病前は毎日判で押したように5時に起床、ファクシミリとメールの点検後、即仕事にかかりエンジンが暖まったころにトイレ。その後朝食。午前中は机から離れることはありませんでした。

これが毎日ですから、また、これといった体の変化などなく、当然健康診断などせず、今まで病気で入院などなかったので、健康を過信していたことがいけなかったんでしょう。

当日はカミさんが外出中で、昼食後に請求書を郵便局に投函、仕事疲れがあったので、仕事部屋でちょっと横になろうと薄いマットレスをひいていた時、突然後頭部でボーンと音がしたように思い、前のめりにマットレスに鼻をつっこんでいました。

起き上がろうとすると、もう左手の自由がきかなくなり始め、座ることもできずでしたね。

カミさんが帰宅するまで15分から30分くらいこんな状態でいたと思います。

上の絵は救急病院からリハビリセンターへ移ってからのもの。 入院中のことは思い出したくないことが多く、記憶も薄れてきていますが、正直に記録していくことにします。

2011年04月13日

発症(2) 2010年3月29日午後3時半(頃)

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カミさんは帰宅後、私の仕事場へ声をかけてから、愛犬の世話や雑用をしていたようです。私の方は事の重大さも分からず、七転八倒の繰り返しでした。そのうちトイレに行きたくなってきたのですが、左半身は完全にマヒ。起き上がることも、勿論座るなんてことは出来ません。また悪いことに、当時カミさんは、ノックしないで突然ドアを開けて物を言う癖があり、当日は無意識に仕事部屋に鍵をかけていたんでしょうね。カミさんが私の異変に気が付いたのはあたりが薄暗くなったころで、倒れてからかれこれ4時間ぐらい経っていたと思います。

発症(3)救急病院の1

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倒れてから3時間以内に病院に行けば、助かった場合は大旨症状は軽く済むんだと、同じ病気のリハビリ仲間から聞きます。

私の方はただ大丈夫だ、何でもないの繰り返しで、救急車を呼ぶというカミさんに、失禁しているからだめとバカなことを言ったりして、脳出血は分かっても自覚はしていなかったんですね。 で、カミさんは窓をこじあけて外から仕事部屋に入ってきて救急病院へ電話。

救急車はすぐに来てくれましたが、ドアからは170㎝77㎏の私では担架で出られず、窓から出ての搬送となりました。

発症(4)救急病院の2

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生まれて初めて救急車に乗った感想は、乗り心地の悪さ。出血している脳に影響があるんでないかと心配するほどで、救急隊員が名前、年齢、今日は何日か、何時頃何処で倒れたか等々、同乗しているカミさんは私が意外としっかり答えていたので少し安心をしたそうです。

この時の事は救急車の振動以外は記憶になく、救急病院に着くまでなぜか動く方の手指をさかんに動かしていたそうです。

2011年04月21日

入院(1) 片麻痺と車椅子

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救急病院での記憶は、今は殆ど残っていません。が、CTやMRIはすぐに撮られ、点滴も1日やそこらで外されたようです。(アバウトだなぁ)

この日から病棟の天井を眺めるだけの味気ない生活が始まり、少し動くと左腕や左足に触れ、他人の体を触っているような奇妙な、気味の悪い感触が右側に伝わり、この感覚が消えて早く元に戻るよう念じる毎日でした。

入院生活に慣れてきたころ(またアバウトだぁ、それまでに、リハビリパンツという名のおむつをさせられ、大恥の日々があるんですが、それは後に書きます)に、食事など病室から食堂、トイレ、風呂、訓練室までの移動は勿論車椅子。この後4ヶ月は車椅子生活でした。勿論(なにが勿論だか)転倒防止のため看護師監視の下、ベッドから車椅子へ移るんですが、この転倒で腰の骨を折ったりで、入院生活が無駄に長引いたり、リハビリ訓練が遅れるのを防止するためでしょうが異常といえるほどの監視でした。

入院当初、私もいちいち看護師を呼ぶのが面倒で、無断で車椅子に乗り移る途中、若い看護師に見つかって、こんこんと(ものすごい勢いで)説教され、頭を垂れるばかりでした。いや、思い返すとありがたいことなんですが。

その後転院したリハビリ病院で、一年生看護師が車椅子に乗って半日体験したのを見ましたが、「皆さん、こんなきつい経験をされているんですね」と、腰をさすってしばらく車椅子から立てない看護師もいて、見物した我々患者同士変な優越感に浸ったのを覚えています。

入院(2)食堂のテレビ

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車椅子で移動が叶った間もない時、昼食で食堂に入った途端、巨人軍の木村拓也一塁コーチがクモ膜下出血で試合中に倒れ、救急搬送されたニュース(なにも倒れたところを映像で流すこたねぇだろッ)が4月2日。惜しくも5日後に逝去。別にファンでもないのですが、自分のこういう時期には堪えます。

続いて4月9日。作家で劇作家の井上ひさしさんが肺ガンで亡くなったと・・・。翌日は劇作家、演出家のつかこうへいさんも肺ガンで・・・。私と同じ団塊の世代ですぜ。

重複しますが、救急車で搬送途中に、人間のプライドを引きずっていると参ってしまうので、いつも落書きしている狸に変身して、まな板の上でされるがままでいようと、何故かこんな考えになったんですね。この防御法は退院して一年後になりますが、自分には正解だったようで、リハビリ訓練中でも自分を突き放して見ることが出来、陽気でいることができたんですね。で、つ狸の私でも、特に井上ひさしさんの訃報にはね、堪えました。

2011年04月24日

入院(3) 片麻痺の現実

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入院当初は何が何やら分からず、数日がアッという間に過ぎ、周りを見る余裕がでてくると、自分が汚物袋になって、9つある孔の管理が出来なくなっていることに気付かされます。これにはショックを受けましたね。

特に蛇口のパッキンとドレンの弁が壊れたのには参りました。また、下を向くと鼻汁は垂れるはヨダレも同じくで、脳からの指令を無視され、下半身は少し体をひねると汚物が外に出てしまう気味の悪さがひと月ほど続きました。これには病気とはいえ我慢がならなかったですね。意識がはっきりしているだけにねぇ。搬送されている時に人間のままだったら参っていたと思います。

入院(4) リハビリパンツの登場

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私の祖母は晩年、91歳の臨終間際まで、寝たままトイレをすることに抵抗して、病室の外にいて聞こえる看護師の説得に、病気だからしかたがないのにと思ったのを覚えています。私のもこれは家系からくるのかもしれません。足や手の感覚が戻らないんであれば仕方がないとして、これは退院までには何とかリハビリパンツだけは卒業しようと決意。退院時手足の感覚は30%から50%位まで戻り、ギリギリセーフでおむつからの縁切りが成功しました。

困ったことはもう一つ。これも入院中ですが、トイレには転倒防止のため看護師に監視 されるんですが、看護師によって目の前で監視されたり真横に居られるのには弱りました。後で分かったのですが、リハビリパンツの失禁チェックもあったんですね。

こういうことが前もって知識にあったら、人間ドックに率先して入って健康チェックしていたものを、なんですね。病気は本当に怖いですよ、皆さん。

2011年05月31日

入院(5)初体験の低血圧でした。

ntousyo.jpg 約一ヶ月もブログ更新を怠けてしまいました。

退院して約10ヶ月。リハビリ病院退院直後よりこの冬過ぎて、歩行は退化してしまいました。

現状はやや収まったものの、左足の裏の皮をはがされたような痛みが冬頃から徐々にきつくなり、それでも頑固に半歩ずつですが歩いています。酷いときは地面に左足を着けると、痛みで左足が跳ね上がってしまい、横断歩道の真ん中で冷や汗をかいたものでした。

最近その解決方法が自分なりに見つかりました(見つかったのかな?)。装具の底に柔らかい敷きクッション?を入れて体重をかけると、痛みが半減したのが分かりました。ようやく散歩が可能になってきましたね。

で、ブログ更新を怠けた言い訳?ですが、血圧降下剤で、上が100を切るほど落ち、仕事を終えるとグッタリして気力がでませんでした。救急病院で毎日天井を眺める日が続いていた当初、少しでもいい、半歩でも歩けるよう願ったものでした。勝手なモノで初心を忘れてしまっていたんですね。反省!デス。

2011年06月01日

入院(6)MRIの1

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大病についてはカミさんの方が先輩で、現在も車でよく病院へ連れて行くので、車中いろいろと講義を聴きます。で、MRIについても全く知識が無いという訳ではなかったのですが、実際経験してみるとこれほど騒がしいとは思いませんでしたね。

まるで耳のすぐ横で数人が煎餅缶やら鉄板を叩き廻っているようで、終えてからしばらく騒音が耳に付いて離れませんでした。・・・・・ったく腹の立つ装置です。

2011年06月02日

入院(7)MRIの2

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その腹の立つ装置で、自分の頭部断層写真を生まれて初めて見ました。(オッ、ちゃんと脳があるじゃない。というのが、不謹慎にも最初の感想でした。そんな了見だからこういう結果になったんですね)結果は正真正銘の脳出血。右脳の後部、知覚を司る部位に大中小三カ所の血管が破れていました。

脳は体の傷と違って自然治癒は無いとのこと。私の場合殆ど脳を使っていないので、新鮮なままの他の部位が補ってくれるでしょうね。とりあえず開藤手術は回避できました。MRIに感謝。ホッ。

ですが、その壊れた脳の場所から数年経ってどのような症状が現れるか 、まだこの頃は無自覚のままでした。いや、今もデス。

2011年06月03日

入院(8)院内を車椅子で散歩

sanpo.jpg ベッドに縛り付けられていた生活から、食事、トイレと車椅子で移動が可能になって少し気持ちの余裕が出た頃に、車椅子で病棟内の散歩を始めました。

ある日、外の風景を見に窓に近寄ってみると、左側のビルに見覚えが・・・・。

 倒れる前に義母やカミさんを車に乗せて何度か連れて行った病院だったんですね。ひとつの事が分かると、見慣れた日常だった日が蘇り、現状の自分とそれまでの日常の落差に、狸に化けたつもりの自分もさすがに愕然となりましたね。間抜けな話ですが、この日まで何処の何という病院に厄介になっていたのか理解していなかったんですね。

 

 

2011年06月14日

入院(9)赤面の入浴デビュー

ny.jpg 救急病院に入院してから二週間頃ですか、ここら辺はメモを書いていなかったのでうろ覚えですが、そろそろ入浴ということになりました。

病気の最中は風呂に入りたいという発想はないものですが、二日に一回は(毎日ではなかったと思います)二人の看護師が汗だくになって、ベッドにビニールシートを敷いて尻をぬるま湯で洗ってもらっていましたが、とうとう風呂に入りましょうという日がやってきました。

この丸太ん棒の体を、どうやって?と不振に思っていましたが、考える余地なく風呂場に連れて行かれ、穴の開いたビニールをハンモック状にした器具に座らされ、裸になり、エー、よく映像で捕獲されたイルカが水族館の水槽に入れられる時にクレーンでイルカをハンモックに吊して水槽に入れるでしょ、それと全く同じように電動の入浴器具で湯に入れてもらいました。

こちとら運動嫌いの、おまけにインドア商売でぶよぶよの中太りの体を、自分の娘より若い、おまけに結構かわいい娘さん二人に洗ってもらって、嬉しかったでしょなんてカミさんにも言われましたが、そうは思えませんでしたね。あちらは仕事で見慣れているでしょうが、こちらはコンプレックスの塊。おまけに裸になった途端、トイレに行きたいと言ったんですが「ここでやっていいですよ」・・・で、上の絵のようにシャワーをかけられ、いや勿論、湯に入る前ですが・・・タマリマセンでしたよ。

2011年06月19日

入院(10)リハビリ開始・・・1

reha1.jpg 入浴をさせてもらった頃、たぶんその後だったと思います。リハビリ訓練を始めますということで、看護師に車椅子を押してもらって4階から(だったかなぁ)トレーニング室がある一階へカミさん同伴で向かいました。

私の担当の理学療法士の先生は20代の美人の先生でした。

早速車椅子で膝くらいの高さのマットへ座る乗り移りという動作、車椅子から別の環境に移る練習から始まりました。

これが普通に出来ないんですね。

左手足の自由がきかないのでどうしても座ると右に極端に傾いてしまいます。おまけに私の性格はせっかちで、先生の開始の声を聞く前に乗り移りを初めてしまい、これだと転倒の危険大で、当初かなり先生を困らせたと思います。

この性格が災いしてこの時期にトイレで転倒をやらかしてしまいました。

病院内の車椅子マークのトイレの中は広く出来ており、勿論安全なように手すりが便器の左右どちらかに設置してあります。せっかちな私は車椅子から便器に勢いよく座った途端、便座に尻がバウンドをしてタイルの床に仰向けに転倒してしまいました。理学療法であとで訓練をしましたが、床に横になった場合を想定して起き上がる訓練をまだしていなかったので、この時の私は亀の仰向け状態。ドアの外にいたカミさんに呼んでもらった男の看護師に助けてもらって・・・恥ずかしかったなぁ。

 この背もたれも肘掛けもない所で座ると、バランスが崩れるし(どのくらいの傾きかは自分で分かりませんでしたが、後にガラスに映った自分の姿を見て愕然としたくらい大きく傾いていました)当然長時間は体がもたないんですね。これだと疲れるし、骨盤の変形もあるのでまず、まっすぐに座ることを練習。で、発病から寝たままの入院生活で衰えた体中の筋肉のストレッチが訳の分からないまま始まったんですね。

理学療法の美人の先生に、我がリハビリパンツから微かに臭う悪臭を二人で嗅ぎながらのストレッチ・・・・入浴とストレッチで、人間の体は汚物袋なんだなぁと実感した次第です。

約二週間の不自由な体で寝たままの生活。たった二週間でも筋肉は溶けていくように無くなるんですね。これは恐怖です。

2011年06月22日

入院(10)リハビリ開始・・・2

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左手足の感覚が戻らず、茫然自失のリハビリ訓練が始まって、一人で1階のリハビリ訓練室へ行けるようになったころ、救急病院は約20日間居ましたので14日から20ー22日までの間だったと思います。大きなタライに大豆が入れてある中へ(カミさんはまくらに入っているマカロニ状の白い柔らかなプラスチックの粒だったと主張)左手を入れてみましょうということになりました。

数回手首を持ってかき回してみたところ、音とともにかすかに豆の感触が伝わってきたように感じました。この時は嬉しかったですね。嬉しかったんですが・・・・。

この頃になるとリハビリ訓練より、仕事で迷惑をかけてしまった数社の方たちになんとしても電話連絡をと焦っていた頃で、一時帰宅を担当医に却下されてうつろだった時期でした。

勿論カミさんに連絡をしてもらっていましたが、メールでこのことを知らせる必要がある会社もあるなんて思いこんで焦っていたんですね。

遅ればせながら発病後 仕事の途中でご迷惑をかけてしまった方たちに改めてお詫び申し上げます。本当に申しわけありませんでした。

この電話連絡迷走時期のこと、カミさんに車椅子を押してもらってエレベーター近くの公衆電話まで仕事先へ電話連絡に行ったところ、勢いを殺さないままカーブで車椅子から手を離して電話台に左足をぶつけられてしまいました。

大きなぶつかった時の音とともに「ごめん、ごめん」という声とカミさんの大きな笑い声が車椅子の数メートル後ろから聞こえてきて・・・、左足は麻痺しているので何も感じませんでしたがねぇ。・・・・・いや、タマリマセンでしたよ。

2011年07月06日

入院(11)愛猫・雲隠れの半蔵の災難

hanzou.jpg 救急病院からリハビリセンターに転院が決まりかけていた頃、カミさんから、愛猫半蔵が腰を痛めてビッコになったという知らせがありました。

どうやら縄張り意識の強い性格の半蔵が、近所の野良猫と喧嘩をして塀から落とされたようだという話でした。

転院が決まってから一時帰宅したときに目の前に現れた半蔵は、歩き方が見ていて恥ずかしくなるほど私と全く同じで、ヨタヨタと歩く速度といい、頼りなさといいそっくりで思わず吹き出してしまいました。

仔猫の時に知人から紹介され、我が家にきてから11年目。命名は次男で、当時よく姿を隠し、思わぬところから現れることから付いた名前でした。

人間で言えば我が家のなかでは最長老になるかと思いますが、そのときの半蔵は私にバカにされたと思ったのかすごい目で睨まれてしまいました。

半蔵の方は腰を痛めてそろそろ1年、未だに腰が曲がってヨタヨタ歩きですが、歩き方は私よりうまくなっています。

2011年07月23日

リハビリセンターへ転院・ダメージテストの1

test1.jpg (上の人物は私ではありません。念のため)

一時帰宅でご迷惑をかけた仕事先へ連絡して、ごっそり貯まっていたメールの整理、簡単な仕事部屋の点検整理など、救急病院で気になっていたことを一通りすませていた時のこと、ふいに

「このまま、彼岸に行ってしまうのかな?」と一瞬ですが倒れた時のことが過ぎったんですね。

これは経験はないので想像ですが、突然目の前に幽霊と遭遇したときと同じで(?)後になってからじわじわと恐怖を味わうのと同じなんじゃないかとバカな考えが浮かんだんですね。

倒れたときは不思議と恐怖は無く、今はただただ幸運だった事に感謝デシタ。

この脳天気さは、退院後に突きつけられた左半身麻痺のダメージが、自分で感じていたほど軽くはなかったのに、深刻にならずに済んだ一面でもあります。

で、隣の市のリハビリ施設へ移って落ち着いた頃、一週間ほどでしたか、

救急病院と同じようにMRIなど頭部検査があり、ここでは体の内部検査もあり、その後でダメージテストを経験。

上の絵は代表的なテストのひとつ。

右脳後頭部の血管が切れて脳にダメージを負った場合、人によってですが、

絵の全体をを目で認識していても、左側の花や草を脳が認識できていないので、横にある絵を見ながらでも筆が進まず空白になってしまう人もいるそうです。

幸運にもこのテストはクリア出来ましたが商売柄か、主治医からは入院中出来るだけスケッチをするよう勧められ、よく描いたと思います。

ただし、これは全くダメージが無かったから安心でしたという事ではなく、退院して一年、車の運転で注意力が散漫になったときに、愛車の前後左側を塀や壁にこすって傷を付けてしまうかたちで現れています。これって考えると怖いことなんですがね。

で、メモ描きスケッチの多くが何処へ仕舞ったのか未だに見つからないんですね。

入院中、娘からプレゼントされたウオークマンのケースと説明書も・・・・、お気に入りの落語やレコードから録音したCDがウオークマンで聞くことができず、困っとるんですね。

 

 

ダメージテストの2

test2.jpg 上は記憶力テストの回答、出来はよくないですね。

テストをした所は作業療法室。

主に上半身の身辺動作や家事、仕事復帰を目指す訓練で、入院中OT(Occupational Therapy)と呼ばれ、私の場合ひたすら左腕や左手の復活の訓練やマッサージが主でした。

で、この作業療法士の関連のない単語を聞いた後、マス目を埋めていくんですが、退院間近に受けたテストより、入院時の記憶力テストの方が結果が良かったんですね。

これは作業療法士の、ことあるごとく呟く余計なひと言がカンにさわって、やる気を無くした私の生来のへそ曲がりの性格が災いしたんですね。

困ったモンです。ン?私がですよ。

 

2011年07月24日

ダメージテストの3

test3.jpg これも簡単な丸や三角などの図形を見て、記憶して描くモノ。

勿論見ながらではなく、そのつど問題の絵柄を伏せて思い出して描くものです。

図形は徐々に複雑になっていきます。 これも問題はなかったと思います。

左腕は不自然ですが、机に乗せると肩に痛みがはしるので、下に垂らしたままです。机に左腕を乗せて痛みが無くなったのは、今年の春頃ですから回復は本当にゆっくりなんですね。

このリハビリセンターで良かったことは頭部のダメージ検査だけでなく、内蔵の検査を丁寧に調べてくれたことで、発病前、毎日欠かさず休肝日も無視して30年以上飲み続けた肝臓が若干心配ではありました。

私の悪い性格は、へそ曲がりだけでなく、適度に止めることが出来ないことで、タバコも日に二箱以上吸っていました。

タバコは40歳の時、大晦日の晩に家族の前で宣言して止めましたが、始めた頃は日にひと箱でしたが20年間一日も休まずだったので、今は少しはきれいになっていると思いますが、当初は肺の中は真っ黒だったと思います。

酒も同様で、体型は見事に洋梨型になって、酒飲みの見本のような体型を晒していたんですね。

で、内臓検査ですが、調べてもらった結果、先生は 「寿命まで、保つんじゃないかな」ですって。

寿命までって・・・、これを聞いてホッとしましたがねぇ。

2011年08月18日

センター入院生活・1

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救急病院からリハビリセンターへ移動中に、介護タクシーの運転手から「あそこは以前乗せた九州の患者さんもリハビリ施設の充実している所だから、入院希望が殺到してなかなか入れないと言っていました」と、私の運が良いことをしきりに強調。幸先のいい転院となりました。もっとも、本当に運が良ければこんな病気には・・・・。転院しばらくは検査が続き、落語「あくび指南」じゃないけれど「退屈で退屈で・・・」の日々でした。

2011年08月19日

リハビリ病棟・1

5f31.jpg 転院して4、5日後に回復期リハビリテーション病棟の四人部屋へ移ったのが4月下旬でした。これから本格的なリハビリ訓練が始まるわけです。

入院生活というものは初体験。リハビリ訓練も初体験と四人部屋生活がどのようなものであれ【三人寄れば満座の仲】、人見知りの激しい性格のまま今日まで来てしまって、今更社交的にとは無理な話ですが、兎に角人様を不愉快にさせないよう陽気な狸でいようと思ったものでした。

2011年08月20日

リハビリ病棟・2 シバさん

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四人部屋の向かいのベッドに居たのがシバさん(仮名)69歳。

強面ですが職人肌で、私と同じような気質のようで、人付き合いは苦手なようでしたが、病院内の女性患者の輪のなかにまで入れてもらって人脈を広げてくれた恩人でした。

馬が合うというのか、シバさんも集団生活で感情をモロ出しする輩を避けていたフシがありました。

この病気は脳のダメージを負った部位によっては、感情がコントロール出来にくくなるようで、会話中突然泣かれたり、訳もなく当たり散らす輩がいるんですね。ま、病気だから仕方がないんですが。居たんですね、近くに。いやぁ、弱りましたですよ。

シバさんからもらった印象深かい忠告のひとつに「看護士には絶対逆らってはいけない」

当たり前と言えば当たり前なんですが、私がこの部屋に入る前の御仁がそうだったようで、いろいろ興味深いエピソードを聞いて、素直にこの忠告に従いましたね。

その後の闘病生活がいろいろな面で楽になり随分助けられました。

他の闘病仲間も似たり寄ったりでシバさんも、毎日ジョギングして健康生活を送っていたそうですが、酒好きが祟って左半身麻痺に。

退院前の一時帰宅のとき、家族旅行に行って温泉で晩酌を頼んだときに、長男にきつく叱られたと愛好をくづしていたのが印象的でした。

入院時80キロ近くあったそうですが、退院時はスリムになって60キロ台とのこと。

約50日のお付き合いでした。

 

リハビリ病棟・3 シロセくん

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四人部屋で前後して入ったのが、ムードメーカー、鳶のシロセくん(仮名) 20歳。

驚いたことに、救急病院ではカーテンを隔てた隣のベッドに居たそうで、救急病院ではシロセくんのお母さんが夜中まで話しかけていたのを覚えています。

消灯時間を過ぎたのに何と無神経なと思いましたが、その後、作業中6メートルの足場から転落して頭部を強打。一週間意識が戻らなかったそうで、私のベッドの隣に移った時は、意識が回復したときで、シロセ母さんはよほど嬉しかったんでしょうね。

ま、自分でもその立場だったら、夜中であろうと息子に一晩中話しかけていたと思います。

事故後のダメージは歩きに出ていました。少し酔ったようにふらついていましたね。

性格は シャイで素直な好青年でした。

入院中のシロセくんの邪気のないイタズラには、ま、楽しませてもらいました。

私より一足早く退院してしまい、三人となった部屋は灯が消えたようになったのを覚えています。

リハビリ病棟・4 酒屋のテラ氏

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艶福家テラ氏(仮名)53歳。

何故か腹の立つ御仁で、一回り以上歳の離れた若い美人の女性に求婚され、幼稚園男子を筆頭に三人の息子と自分の母親の五人暮らし。

今どき三世代で、おまけにとびきりのかわいい押しかけ女房!

で、普段の生活習慣は当人曰く、昼間からビールは飲みたいときに飲む、趣味と特技は自分で作る山芋の漬け物。商売は酒屋を運営。で、脳卒中。

夕食後、廊下の角にある公衆電話で、若いカミさんに電話をしながら大きな声で泣きながら話して、看護士にイエローカードを出され、それからは五階から一階に下りて電話をしていましたね。

入院中この御仁がぽつりと呟いたひと言「女房に離婚されちゃう!」ガハハハハ。

 

2011年08月21日

リハビリ病棟・5 脳梗塞4回目の猛者・タカさん

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シバさんが退院した後に入ったのが、脳梗塞入院も4回目となる猛者で、当人曰く元ボクサーというタカさん(仮名)55歳。

眼光鋭く近寄りがたい雰囲気を撒き散らし、しばらく浮いた存在でした。

話しかけてみるととびきりのシャイだったことが分かり、現役時代の武勇伝を聞いて「あしたのジョー」の名トレーナーそっくりの風貌から即座についたあだ名がダンペイさん。

その後、食事のときにカボチャが皿に乗っていると怒りだし、食堂から部屋に戻っても怒りが収まらず、若い一年生看護士にまで説教しまくっていました。

当人の言い分は、入院した時にカボチャだけは避けてくれと言ったはずと、その後もこの騒ぎを起こし、私が退院するまで女性患者にまで浸透したあだ名がカボチャ親父。

入院慣れしているせいか、看護士の許可が下りて いないはずなのに、勝手にベッドから車椅子に乗り移ろうとしたり、一人でトイレに入ったりで、主治医もその横紙破りにお手上げのようでした。

 それにしても、タカさんがベッドから車椅子に移る光景は、動物園のナマケモノそっくりの動きの熊が車椅子に乗り移るようで、危なっかしくも一見の価値があったなぁ。

2011年08月23日

リハビリ病棟・5 1週間リハビリスケジュール

weekp.jpg シバさんが退院という頃の、つまり4人部屋にきてから二ヶ月弱の頃のスケジュールボードをメモしたものです。

NSは担当看護士のこと、気性のさっぱりした矢口真理似の年頃も同じ頃の女性でした。

PTなどそれぞれ横に名前が書いてありましたが、個人情報何とやらで消してあります。

PT(Physical Therapy)、理学療法のことで主に歩行などを含めた基本動作のトレーニング。

OT(Occupational Therepy)は,理学療法といって腕や手の日常回復(食事・洗濯・掃除や更衣、排泄等が一人でできるまで)の訓練です。

ST(Speech Therapy)、言語聴覚のこと。これがよく分からなかったのですが、別にこれからアナウンサーになるつもりもなかったのですが、ようするに発音が分かりづらいことから訓練に組み込まれたもののようです。かな?。頭部のダメージ回復訓練もあったようですが、問題なかったようです。お陰さまで今は職場復帰しとります。

 これが週5日、土曜日も軽く訓練がありますが、車椅子で訓練室へ行くのではなく、各病棟の病室で受けます。

温泉マークは入浴のこと。

訓練時間は一回に40から45分程度で、ベテラン療法士の親身な指導で中身の詰まった訓練とマッサージがありました。

 

 

2011年09月09日

回復期リハビリ訓練・1

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いよいよ念願の訓練初日、当日はダメージがどの程度かを調べる程度で、訓練といったものではなかったと記憶しています。

上の絵は理学療法室での診察で、左足首は全く反応がなく、かかとの上げ下げなど出来ず左足はやっと伸ばす程度で、曲げることは無理でした。左腕は全体に反応がなく、脳からの通信は途絶えたまま。

肩の上げ下げを正面から鏡で見ると、右肩だけが動くという為体。

マット台から何も支え無しに立つことは出来ず、二ヶ月のベッド生活で、ダメージを受けたとはいえ筋力が急速に衰えていたことを実感しました。

ッタク、困ったもんだの初日でした。

2011年09月10日

回復期リハビリ訓練・2

thera2.jpg 左足の歩行訓練は、足首保護のための装具選びから始まりました。

寝たきり生活の当初は一歩でも、半歩でも歩ければと願ったものでしたが、こうして車椅子から少しでも解放されたと分かると、現金なもので強引に歩こうとするんですね。

あてがわれた装具は乳白色の半透明なL状のプラスチック。それにマジック・テープで足を固定するもので、杖は四本足という特殊な形状でした。

装具が少しでも合わないと、歩行に支障をきたすなんて全く考えずに歩こうとするせっかちな狸オヤジに、担当のI先生は手を焼いたと思います。

で、装具は自分にフィットするのがなかなか見つからず、2日から3日試しに使って少しでも赤く腫れが出ると医療器具かスポンジ様のもので保護。工夫と交換が一ヶ月以上かかりましたね。

いや、最初は歩くなんて形容は出来ない程のお粗末なもんでしたが、立って前に進む事が出来ると分かったときは、嬉しかったですねぇ。

I先生!感謝感謝です。

 

2011年09月11日

回復期リハビリ訓練・3

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その大恩あるI先生がなかなか曲者で、学習能力薄い狸オヤジと見て取った私に、装具を着けないで強引に歩くとこうなるという写真を見せてくれたんですね。

麻痺側の左足が逆くの字になったもので、こうなると手術しか治る方法が無いとのこと。

これは効きました。・・・いや?効いたのかな。

 この写真を見せられる前に、就寝時間前に病棟で装具を着けずに立って、ベッド脇で転倒事件(?)なるものが起きてしまいました。

これは夜具に着替える時に、私が看護士に無断でベッド脇に立って、パジャマをずりあげていたとき、無意識に左足が右足の前を滑って交差、結果尻餅をついたことが院内に知れ渡ったことが原因なのです。

 幸い骨折もなく痛くもなかったんだが、隣のベッドのテラ氏の不必要な大声に、看護士が飛んできてパジャマを下げられ尻を晒され総点検されました。

こちとら尻餅を着いただけと必死に弁明をしたんですが、聞いてもらえずで、還暦過ぎのオヤジの尻を数人の若い女性看護士に晒されの、騒がなければなんのこたぁなかったんだ。

だいたい学生時代から、小さな声で(?)で話しているにもかかわらず、教師からテラ氏だけ注意される、と宣っていたこの声の大きい感情失禁の御仁が隣のベッドに居たのが身の災いだったんだ。

マしかし、いちいちナースコールを押して、看護士に確認を取ってもらうのも、入院生活に慣れてくると気が引けてくるものなのです。

2011年09月12日

回復期リハビリ訓練・4

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初めの頃の作業療法では左手の指のマッサージがひたすら続く日々でした。

理学療法は、軽いストレッチとしばらくは療法室内を軽く流して歩く程度だったと思います。

ある程度歩きに慣れて来た頃に、病院内の廊下を一回りする日が二ヶ月近く続き、200メートルくらいの短い距離でしたが、驚くほど一周するのに時間がかかったのを覚えています。

これは上の絵のように左半身を守るために、無意識に右に傾いて歩いていたのがガラスに移った自分の姿で分かり、つとめて矯正するように心がけていたのですが、これが難しかった。

退院して一年と二ヶ月現在の今、幾分かは矯正出来たと思いますが、まだ若干傾いて歩いているようです。

それと病後最初の冬がきて、左足裏が火傷をしたような痛みが現れたのには参りました。

夏が近づくにつれ、暖かくなっていつの間にかその痛みが消えたのは助かりましたが、この冬はまたあの痛みがやってくるのかと思うと憂鬱です。

何時になったら憂いなく気軽に歩けるようになるのか、ま、リハビリを含め普段の生活もなるべく動き回るように心がけ、怠ける時はあっても諦めずで、前進だけは続けるつもりなんですがね。


 

2011年09月15日

回復期リハビリ訓練・5

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毎日二時間弱のリハビリ訓練を終えると、各自廊下で衰えた足を鍛えるために訓練に励む者や、気のあった者同士休憩室で時間を潰す人ありで、就寝時間まで持て余す日が続きます。

私は病棟内ではどちらかというと陽気な患者グループの方に入っていて、その真逆のどん底オーラを出している人が近づいてくると逃げ回る方でした。

その陽気なグループの中心に、ワタリさん(仮名)という姉御肌の50代前後の美人がいて、不思議なことには誰が見ても見舞客にしか見えない人でした。

彼女は血圧が正常にもかかわらず左半身麻痺で入院となり、医者も原因が分からない怖いものを背負っていたんですが、病気に負けない強さがあって魅力がありましたね。

ある日突然「ワタリさーん、あなたの元気を私に分けてください」と、誰彼無しに愚痴をいうおばさんに後ろから肩を撫でられて、さすがの元気印の彼女もそれ以降は、その女性の影が視界に入ると怖がって逃げていました。

患者同士のもたれ合いは必要な時もあるかも知れませんが、一方的な寄りかかりは専門のセラピストではない者には辛いものです。

それでなくとも皆自分のことで精一杯、陽気を装うことも病気に対して立派な防御法のひとつじゃないでしょうかね。

2011年09月18日

回復期リハビリ訓練・6

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リハビリ訓練以外は殆ど体力を使うことなく過ごしていた毎日でしたが、同室の人たちからはどうしたらいつも就寝時間前にあんなに爆睡できるのかと不思議がられていました。いや、自分でもよくあの状況で寝られたと思います。

当たり前ですが朝は早くベッドから離れて食堂で新聞を読んだり、テレビを付けたり血圧チェックをしていました。

ナースコールを押せば急いで来る看護士、足替わりの車椅子が側にあり、段差のない床や広い空間等、全てにおいて守られる環境に慣れてしまうのがイヤで、早くこの駕籠の鳥生活から退院したかったですね。

退院したところで今までのような自由に動き回る生活は出来ないのは分かっていましたが、一日も早く退院したかったのは事実です。

この絵は(回復期リハビリ訓練・5)の車椅子の女性の目に映る5階の廊下から見た5月初旬の早朝の田園風景です。

この時期は田んぼに水が入り、周りの雑木林や済んだ空が水に映って、一年の内で一番美しい田園風景ですが、今までのように風景を愛でる心境はどこかに吹っ飛んでしまって、イヌの散歩をしている人や、初老の夫婦のジョギング、自転車通学の学生などに目が吸い寄せられて離れず困ってしまいました。

2011年09月20日

回復期リハビリ訓練・7

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外の風景を見て、後ろを振り返ると80メートル弱のまっすぐに伸びた廊下が目に入ります。

南非常口の強い光で、廊下を忙しく歩き回る看護士のシルエットが、一ヶ月も入院していると歩き癖で、どの看護士かが分かってきます。

この廊下を使ってリハビリ訓練の合間に歩行の練習をするわけですが、私の場合理学療法士のI先生と主治医の判断で自主的に歩行をさせてもらえなかったのが唯一の不満でした。

と、言うのは表向きで、生来の怠け者でへそ曲がりの私は訓練とか練習なんざまっぴら、助かっていたのは事実です。

いつまで経っても変化無しで、普通に歩いているつもりでも左足のつま先がリノリウムの床にひっかかってしまうためなんですが、退院が見えて来た頃ようやく重い腰をあげて(自主練で)若い看護士に付き添ってもらって廊下で練習も冷や冷やモノらしく、転倒の心配をされて「キャッ」とか「エッ」という短い悲鳴が、真横からのべつまくなしに聞こえてきて集中して歩くことが出来ずうるさいのなんの。

結果付き添いを嫌がられ(たのかは知りませんが)退院まで一人で歩ける自主練は許可が下りませんでした。

今も歩きはほんの少しの進歩と思いますが、脚力が少し付いたのと、幸運で(もありますが)家の中でも外出時でも転倒は一度もなく免れています。結構動き回っていると思うんですがね。

 二ヶ月目に入ると理学療法のリハビリに坂道と階段の上り下りが加わります。

2011年10月08日

回復期リハビリ訓練・8

thera7.jpg ブログ更新を少し怠けてしまいました。反省!

この病気になってからは、

日常生活はリハビリ訓練も兼ねていますので、あまり頑張らない。怠けたいと思ったら怠ける。が、全てにおいて諦めない。人や物に頼らない(特にカミさんやドア・壁・杖に)。など、生活姿勢が若干変化しました。

退院から現在までの左半身麻痺の状態は、カタツムリ程度の、気が遠くなるほどの遅さ(?)で良くはなっているようです。

で、転院二ヶ月目は相変わらず変化のない毎日でしたが、 5月に入るといろいろと変化がありました。ひとつは 初旬に、看護学校の生徒の研修の相手を看護婦長さんに頼まれ、専属のかわいい看護士さんが付いてくれました。

これって、闘病仲間の男性陣たちからは羨ましがられましたね。

向かいの病室にいた50代の独身男性が会うたびにこのことをいうので、替わってやってもいいですが、「ただし、風呂も丸裸を見らますよ」と言ったところ、その後はこの話題に触れなくなりました。

今にして思うと、病院に入院していた時は私にとっては日常ではなく、非日常でしたので、普段恥ずかしいことも、入院中は感じることも無く、徹底的にふざけていて、周りの皆に顰蹙をかっていたように思います。この心理状態は何だったのかは、また後ほど整理して説明を致します。

2011年10月15日

回復期リハビリ訓練・9

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理学療法訓練室から病棟内の廊下を歩く訓練に慣れて(?)きた頃に、少しステップアップして、坂道訓練と階段の昇降加わりました。

この訓練で自分の膝の筋力が消えていたことを実感しましたね。

歩行訓練では左上の絵のように、足の付け根の関節を軸に前に出れば振り子のように左足は前にいきますが、スロープの登りは膝がストッパーがかかって膝を曲げないと前に行かず、下りでは左膝から前のめりにくづれそうに感じて少し危ない思いをしながらの訓練となりました。

訓練士のI先生とは冗談口を言いながらでしたが、冷や汗ダラダラで厄介な課題が突きつけられました。

要するに左膝の筋力を付ければ解決するんじゃないかと、現在もなるべく膝を曲げて左足に重心をのせるようにしていますが、股関節の変形を注意しながらですので、ま、気長にを心がけています。

2011年11月10日

回復期リハビリ訓練・10(現在の状況)

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うかうかしている間にブログを10日以上休んでしまいました。

また、このコーナーを続けるのに、記憶がどんどん途絶えてきて・・・、これ以上進むと途中下車になりかねないので、現状報告から記録再開。

左半身はほんの少し回復(と、言えるかどうか微妙)で、味覚はほぼ戻ったようですが、完璧ではありません。左手が使えないので犬食いにどうしてもなってしまいます。カミさんが外出して留守の時は出来るだけ外食を心がけ、食事マナーを自己チェック。人の目は良い介護士になります。

左手は右手で添えてモノをつかむ程度。握る力は赤子の握力ほど、買い物袋にゴミを詰めて固結びが、時間はかかりますがようやく結べ、完璧ではないですが左指はこの程度。腕は調子の良い日には90度、つまり前に伸ばすことは出来ますがこれも日によって。

仕事で使う鉛筆など、どうしても左で出来ないことは工作用小型万力を台に固定して、これで削ったり、爪切りなど、全てでなないにしても万力を工夫して使っています。

足は・・・、冬が近づいてきているので歩きはギクシャク。

唯一体重は10キロ以上落ちたままを維持していますが、外見は太っていた分皮膚がたるんで10歳以上老けて見え完璧な老人。ま、病気でなくても正真正銘の老人ですがね。

リハビリ施設を退院した後すぐに鴻巣の運転免許センターへ一人で行って適性検査を受けたのは正解でした。日常のストレスはドライブで発散。大宮を起点に群馬県館林、千葉県野田と四街道、東京霞ヶ関、赤羽、横浜保土ヶ谷、野毛山、中華街等近距離ですが病気前と同じように距離数を伸ばしています。

 ただし、運転しないカミさんは助手席で叫び通しで、体重減を更新。ナンデカナァ?

2011年11月11日

回復期リハビリ訓練・11 入浴

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風呂は理学療法、作業療法、言語聴覚療法の訓練の合間の一日おきにあり、自立を目的とした施設なので、救急病院のような入浴方法ではなかったのが、負け惜しみでなくホッとしたのを覚えています。

入浴は看護士がその日によって風呂の担当が替わり、当時男性看護士は2人いましたが、たいがいは女性看護士が呼びに来て下着やタオルを持って風呂場まで一緒に行き、脱衣を手伝ってくれました。

入院中5月だけは私の専属の担当になった看護学校の研修生・ハルカさん(仮名)が背中を流してくれたんですが、若い10代の女の子の看護にはさすがに勉強台とはいえ、風呂場で自分の目が宙に浮いているのがわかりましたね。

上の絵、正面奥が4坪ほどの広さの脱衣場、裸になると車椅子で洗い場まで運んでくれますが、その後はすべて自分で。蛇口スペースは5人ほど。看護士や見習い君は洗い残しが無いかを後ろでチェックするだけ。

右手の湯には比較的軽い症状の患者が肩まで湯につかる様に出来ているんですが、私は退院まで許可が下りず入れませんでした。

2011年11月13日

回復期リハビリ訓練・12 外周歩行訓練

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作業療法は相変わらず指のマッサージが続き変化のない毎日でしたが、理学療法では、階段やスロープの昇降の他に、病院内の廊下から外へと、次々に課題が突きつけられます。

建物の外周は300メートルか500メートルだったかは忘れましたがが、平坦な床から、砂利混じりのアスファルト道路のデコボコ道を一周するのに30分近くかかり、自分でも驚くほど汗が出たのを覚えています。

おまけに担当の理学療法のI先生は私の左半身の麻痺が尋常でないことから、愛情こもった目で左足の腱切りの手術か、麻痺を緩和するかなり痛いという注射療法を勧めてきます。

注射療法は数ヶ月に一回、治るまでというとんでもない条件が付き、先端恐怖症の私はどちらもまっぴらで、軽く受け流しながらの歩行訓練が退院まで続きましたが、この手の会話が適度の緊張を生んだのか、不思議なことに現在まで続いていて、いまだに転倒を免れているんですね。

研修生のハルカさんがいた時期はまだ廊下をヨチヨチ歩いていた頃で、この絵は一日のスケジュールを終えて眠気を催すような時間帯の時に見た、療法の先生と患者が中庭のコースをのんびり歩いているスケッチですが、ボーッと締まらないメモ描きの絵になっています。

2011年11月15日

回復期リハビリ訓練・13 入院も三分の一過ぎ

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4月は下旬に初孫が顔を見せに来てくれたのはいいのですが、いきなり泣かれてしまいました。

まだ人見知りにはなってなく、倒れる前は笑顔をよく見せてくれていたのですが、生まれて十ヶ月の赤ちゃんには何かが怖かったのか、これにはちょっとうろたえてしまいました。これは悲しい方のウロタエ。

反対に嬉しい方のうろたえという経験も初めてで、仕事関係の知人でパソコンの師匠でもあるモリさんが、大切な時間を潰して車椅子用のスケッチ台を自作して病室で調整して作り上げてくれたこと。

これを横で見ていた同室のテラ氏がさかんに羨んで、しかしこのモリさんとは気易く友人などと同格に扱えない人で、私とは落語長屋における大家さんと店子の関係に例えるとピッタリ合うんですね。で、この絵描きの店子の不義理が数年続き・・・いや、また本題から逸れてきてしまいましたわい。

で、実際左手が使えないので、ノートが筆圧で動いて描きづらかったので翌日からはおおいに助かりました。

また、この月の下旬には研修生のハルカさんのリハビリ病棟の研修が終わり、この後ガン病院と小児病院の研修が待っているとのこと。救急病院でも感じた絶対数が少ない看護師の、貴重な一人の勉強の手助けをこちらもさせてもらいました。行く末は優秀な看護師にと願うばかりです。

研修中の三週間は5階病棟の窓から見える富士山を見るのが楽しみでもあったようでした。しかし五月晴れとは縁遠い不発続きの毎日が続いて皮肉なことに一日違いの翌日に勇姿が。もう一日あったら良かったんですがねぇ。

27日の研修最終日にハルカさんからはスポンジで作ったかわいい自作の歯ブラシ台 のプレゼントがあり、闘病生活もいろいろと華を添えてもらった感慨深い月となりました。

2011年11月16日

回復期リハビリ訓練・14  病室のスケッチ

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四人部屋に一人だけ、居残りの気分です。

皆は作業療法か理学療法でリハビリ訓練中か、風呂に行っているんでしょうね。

シロセ君やカボチャ親爺たちは今何をしているかは、テレビの脇の、引き出しの上のボードのスケジュール表を見ればこの位置からでも分かります。

それぞれ一日を消化している最中で、留守中ののんびーりしたひとときの眠たくなるような覇気のないカットですね。

回復期リハビリ訓練・15  廊下で

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そのまま廊下へ出てスケッチ。

右端が障害者用トイレ。

その左側がワタリさんたちの居た女性4人部屋。

よく廊下まで笑い声が聞こえてきたものです。

2011年11月17日

回復期リハビリ訓練・16  食堂

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一日三食、世話になった所です。

正面はナースの待機室(?)。ここ採血したりします。患者たちの脱走や監視するコーナー(?あ、失礼!) でもあります。

ナース室左側空間は受付で、パソコンに向かっている看護師の左に受付嬢の椅子があります。

受付正面に廊下を挟んでエレベーターが二基。分かりづらい絵で申しわけない。

食堂は結構明るく広い造りになってて、スケッチしている私の背中側は一面大きな窓で、田園風景が広がっています。

絵の右側は食堂との間仕切りがあり、テレビがデンと設えてある休息室の広い空間。

食事の席は決まっていて、私の両隣はテラ氏とフクイさん(仮名)、隣の市から来た60歳後半のじさまで、席に着くと看護師や配膳係のおばさんたちが近くにいても、時々ものすごいことを言います。

「何だい、今日も小トリのエサかい?」

2011年11月20日

回復期リハビリ訓練・17  自主訓練室

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食堂とテレビ休憩室の仕切りを隔てた横に、自主訓練するための平行棒や、車椅子込みの体重計、血圧計のあるコーナーがあります。

ここも談話室のようになっていました。

上の図は鏡を見ながら自分の歩きをチェックしている図です。平行棒の長さはこの絵の倍くらいでした。

これも看護師に申告しての付き添いで訓練です。無断で勝手に器具を使うことは許されません。

ま、入院中私は一度も自主的に訓練しなかったので、退院間近の月には殆ど毎日でしたが、看護師に催促されてようやく重い腰を上げる怠け者患者の筆頭でした。

 

2011年12月06日

回復期リハビリ訓練・18  転倒防止イメージトレーニング

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リハビリ病院の入院生活に慣れた頃、看護師に無断で、ベッド脇に立ってパジャマに着替えていた時に尻餅を着いて大騒動(?)になった事がありました。

何故?左足が勝手に右側へ滑って行ったのか不思議でしたが、その答が理学療法の階段を降りる訓練で分かりました。

階段の上から下を見下ろして、唯一自由になる右手が杖で塞がれ、いざ降りるとなると結構恐怖を感じます。

自分では緊張しないよう頭で考えていても、体は正直に反応するもので、左足が絵のように右に、足先も内側へ回ってしまいます。

訓練士のI先生はもっと足幅を広くして降りるよう指示しますが、頭は指示しても体は反応してくれません。

現在もこの症状が顕著で、緊張した時や小用を我慢して歩いてトイレに向かう時など、左足が右足前で跳ね上がってしまいます。

半身麻痺を抱えた患者には、階段を降りることはおおごとで、転倒の恐怖を常に感じてしまいます。これはそう簡単には解決できません。

常に転倒しないよう自分の体に覚え込ませるほか方法はないようです。

転倒といえば、I先生が休みの時のY先生の助言が今でも役に立っています。

右ページのメモ描きの髭の人物で職人肌と身受けました。見習い生が数日で逃げ出してしまう事で評判でしたが、訓練生の教わる時の姿勢がいい加減でいたり、勉強不足の大甘のほうに問題があったと思っています。

この間違った評判で、患者のなかにはY先生の訓練を怖がっていたむくつけき親爺たちがちらほらいました。

私が教わっていた時は一週間耐え抜いた訓練生が居て、「君はもう、何処へ行っても充分務まる!」と、賞賛の嵐の若者もいたんですね。

このY先生の今でも心に焼き付いている助言は、

「足裏で大地を掴むように歩いて」でした。

お陰さまで現在も転倒を免れており、感謝しています。

2011年12月08日

回復期リハビリ訓練・19 人は見かけに

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どうも私の粗忽は本物だったようで、入院中トイレなどで車椅子から離れる時に、サイドブレーキのかけ忘れを度々してしまい、転倒の危険ありということで、情けないことに退院まで車椅子から自由に離れる許可を病院側からもらえませんでした。

しかし、世の中は広いモノで私より上手の方たちがいました。

入院患者のなかには車椅子の背もたれに、VHSテープを二回りほど小さくした黒い箱と背中の服に留められたコードで繋げられた人がいて、その頃まだ居たシバさんに聞いたところ、これは看護師に無断で車椅子から離れた人の、度々の忠告を無視したペナルティーで、無断で車椅子から離れるとナースセンターに繋がっていて、即座に看護師が飛んでくるセンサーとのこと。(右ページ赤い矢印)

入院中親しくしてもらったワタリさんグループの一人に楚々とした深窓の奥様風の女性がいて、なんとこれがこの人に着けられていました。

夜中にトイレに行く度にいちいち看護師を呼び出すのが心苦しい思いから勝手に自由行動をとってしまったからとのこと。しかしその女性と大胆な行動のギャップに信じられない思いが未だにしています。

2011年12月10日

回復期リハビリ訓練・20  入院生活つづき

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6月に入ると、同室のシロセ君の一泊二日の一時帰宅が何度かあり、そろそろ退院の日が近いことを知らされます。

病院の入院期間はおよそ三ヶ月。

シロセ君のように若い人は一緒に生活していると、回復が早いことも素人目に分かります。もっとも彼は頭部外傷の方で、脳にダメージは負ったものの、我々のような脳出血や脳梗塞ではないので、回復の速度が違っているのかも分かりません。

入院当初線の細かった体型が、一時帰宅する度に、見る間に逞しく腹もポッコリ膨らんできたので、家に帰った感想を聞くと、一歩家から外へ出ると車や人の歩くテンポがもの凄く速く感じられて、最初のうちは外出が怖く感じるとのこと。

また、自宅近くのラーメン屋で爆食いして、日頃の病院食から解放されてタップリコッテリの油を体に仕込んで満足して戻ってきたことが伝わります。

リハビリ訓練にも慣れたある日、私が消灯時間にベッドの周りのカーテンを閉め、天井の明かりだけでこっそり本を読んでいると、当直の看護師が突然カーテンから顔を出し、本当に寝ているか狸寝入りかは気配で分かると注意されてしまいました。

看護師恐るべし。

2011年12月14日

回復期リハビリ訓練・21 地雷の存在

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シロセ君の退院がほぼ決まりかけた頃、今度は私のベッドの横にいたテラ氏の一時帰宅が始まりました。この二人とは入室がほぼ同時でしたが、三ヶ月を待たずに退院していきました。

この病院に入院したとき、頭部検査の他に体全体の精密検査があって、テラ氏は脳出血の他、頭部動脈瘤の小さい瘤が三カ所、他に糖尿も見つかったそうで、55歳の年齢で、若い奥さんと幼稚園児を筆頭に三人の男の子の今後を考えると、かなりナーバスになっていたと思います。

なにやら夢中になって雑誌を読んでいるテラ氏に無断でスケッチをしていた時、涙を流している場面を度々目撃しましたし、皆と世間話の途中で突然脈略無しにテラ氏が泣き出すことがあって、必死になだめた事もありました。

同じ病気とはいえ、当時は感情失禁なんて言葉すら知りませんでしたし、脳の壊れた部位によって人によってはこんな症状を起こすんですね。

退院直前だったシバさんは入院中に見てきた患者さんたちの面白いエピソードを語ってくれて、この症状も知ってはいたと思いますが、身近に現れたのは予想外だったようでかなりの拒否反応を私に示していました。私も同じくでしたよ。

しかし今後闘病生活を一緒にしていかなければならないので、話題選びにこれでも結構気を遣ったことを覚えています。

上のスケッチはムードメーカーのシロセ君です。念のため。

2011年12月15日

回復期リハビリ訓練・22 危険区域

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入院当初は私の隣のベッドということもあり、テラ氏とは自然と会話が生まれ、リハビリの情報交換など、円滑な交流だったと思います。

PTやOTの訓練時間が同じ時は一緒に行っていたのですが、テラ氏の人となりがある程度分かり、円満な交流が順調に始まったある日、エレベーターに先に乗り込んだテラ氏が突然、私の横にこびとの私が居ると言いだしました。

同じ動作でそっくりのもう一人の私が眼の隅で見えたと気味の悪いことを言いだしたので、軽く打ち消すように冗談事のようにしたのがテラ氏の感情を害したようで、後で考えるとシコリになっていたのかも知れません。今となっては藪の中ですが。

 

2011年12月16日

回復期リハビリ訓練・23 危険地帯に近づく

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病院に入院して二ヶ月も過ぎる頃は、顔見知りも出来、人との交流の輪が自然と広がり、自分の症状のある程度が予想できます。

また、この頃はシバさん、ワタリさんという私が大変世話になった人たちがすでに退院していました。

脳卒中の場合突然の退院はありません。その前に自立して生活するためのお試し期間が数回あります。

この一時帰宅の最初は、患者と家族、患者担当の作業・理学療法士とホームヘルパー三人が、患者の自宅へ行き、日常生活の介助(玄関や廊下、階段、風呂場、トイレなどの必要な箇所に取り付ける手すりなど)の相談と、区や市に申請する為の手続きなど準備があります。

この一時帰宅が決まると、同室の人たちに遠慮?して分からないように帰宅する患者が殆どで、でも、分かってしまうんですね。妙にウキウキと日頃見たことがない歓びが体から溢れて、漏れてしまっているんですね。

同室だったテラ氏が昼時に一時帰宅から戻ってきて、食堂で隣に座ったテラ氏に、帰宅した様子を聞いてみたところ、自宅兼店舗の生活の場である二階から唯一ある外階段の上り下りが危なっかしくて怖かったこと。

また、散歩を試したところ、坂道や道路の段差、砂利道などで転倒の恐怖が常に付きまとうこと、カミさんがテラ氏の体を労らないで子供たちと先に歩いて行ってしまった不満。

周りの人や車がフィルムの早回しを見ているように速かったことなど、退院後の不安を感じさせてくれました。

上の絵は食堂です。席は同じ病室の人たちと一緒の席と決まっているわけではなく、シロセ君、カボチャ親爺は別の席で、テラ氏だけが私の隣の席でした。

2011年12月17日

回復期リハビリ訓練・24 地雷を踏む

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私には理学療法の訓練中は、よそ見する余裕などありませんでしたが、訓練も回数を重ねるごとに慣れて日を重ねると、顔見知りの患者のダメージが素人目におよそどの程度か分かってきます。

同室のテラ氏の歩きは補助装具を必要としなかったし、歩きの回復は目に見えて上達してるように身請け、床に座って自力で立ち上がれてもいたし、主治医から訓練時間外に廊下での自主歩行の許可が早々に出たくらいだったので、その帰宅後の不安は考えすぎじゃないかと思って、自宅に戻ればすぐに以前の生活ができるよと、軽く言ったところ、テラ氏の感情の堰が切れたようで、突然怒りに点火して大爆発!私はその爆風をモロに受けてしまいました。

迂闊にも6月に入ってテラ氏の感情失禁が途切れていたので、忘れていたんですね。

食事中の周りの人たちはテラ氏が何を怒って居るのか見当が付かず見事に目がテン。私は唖然呆然何が何やら分かりませず、テラ氏の退院まで爆弾を抱えるような気まずい日々が続いてしまいました。

この大爆発も現在思い返してみるに、医者でもないのに分かったような、と受け取られかねない言葉にあったのかも知れません。

この日を境にテラ氏のお守りに廻されていた私の厄介な役回りは無くなったんですが、迂闊なナグサメ言葉は危険を孕むってのを肝に銘じましたよ。クワバラ、クワバラ。

2011年12月23日

回復期リハビリ訓練・25 退院の1

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シロセ君が退院した後、程なくして若い奥さんに付き添われてテラ氏も退院。

帰宅直前に、何も事情を知らない(と感じました)テラ氏の奥さんにせっつかれたんでしょう、OT訓練中の私のところへ、うんざりした顔のテラ氏と奥さんの二人で退院の挨拶に現れ、「もう、全て女房の言いなりですよ」という言葉を残して艶福家テラ氏が帰って行きました。ホッ。

上のスケッチは自分のベッドで書き取り勉強中のシロセ君。

2011年12月25日

回復期リハビリ訓練・26 退院の2

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梅雨まっただ中の四人部屋は、私とカボチャ親爺の二人だけの静かな入院生活になり、後から誰が入ってくるのか、お互いの話題はこのことだけで会話が続きません。

脳卒中の発症が頻繁になる時期は12月から2月迄が圧倒的に多く、四人部屋は私が退院するまで、結局誰も入ってきませんでした。

 

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2012年01月07日

回復期リハビリ訓練・27 退院の3

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一時帰宅が許された7月初旬は、まだ自分の症状が冷静に理解出来ていなかった頃で、結構楽天的に自分を見ていました。

退院後の自宅改造相談で、風呂場とトイレは手すりが必要なのは納得出来ましたが、風呂場の転倒を危ぶんだ看護師やケア・マネージャーさんたちベテラン指導者の勧めで、風呂場の浴槽内に椅子と滑り止めマットを、湯船に浸かるときだけ使うことになり、簀の子は滑りやすく危険ということで使わないことになりました。

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2012年01月11日

回復期リハビリ訓練・28 退院の4

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一時帰宅の数日後、本格的な退院の手続きがあります。

それは栄養士にカミさんと一緒に食堂に呼ばれて、自宅での食事指導でいよいよ退院の実感が湧いてきます。

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2012年01月19日

回復期リハビリ訓練・29 退院してから

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退院後、10日ほどしてから浦和駅西口に当時あったユザワヤへ、買い物がてら自分の病後の現状を知るため出発。

我が家から最寄りの駅まで今まで普通に歩いて10分弱だったのが、約30分も。切符を買って反対側にあるホームに向かったところ、目の前で乗る予定だった電車が出てしまい、のっけから現実を突きつけられました。

幸い大宮駅川越線ホームはエレベーターがあり、構内の東北線ホームのエスカレーターもクリア。エスカレーターは病後初めての経験で、リハビリ訓練に無かったんですが無自覚な性格が幸いして無事セーフでした。

電車で初めて席を譲ってもらって助かったのは良いんですが、席から立つという単純な動作が、自分で思っていた以上に脚力が低下していたため停車して浦和駅ホームに移るまで、タイミングが取れず苦戦。また浦和駅構内は駅外へ出るまで階段に次ぐ階段でこれも苦戦。せっかちな性格を封印してゆっくりのんびり移動でこれもようやくクリア。

ユザワヤは一階にある画材を見て回り、油性ペンや篆刻の石を(左手が麻痺なのに・・・バカだねぇ)数点購買。ところで、ここはあと一月で、東口パルコへ移転のため閉店とのこと。お気に入りの店がまた一つ消えてしまい残念。

病院でテラ氏の奥さんに教えてもらったユザワヤ近くのオススメの喫茶店へ移動してたっぷり休憩。これも5・6分で行ける距離を約20分。

帰りも休み休みでしたが目標のひとつだった長旅が無事無傷で帰宅でした。

現実は辛いモノでしたが、なにより歩いて移動出来たというのが、辛さより大きい歓びでした。が、介護の為と称して一方的に同行を言い張ったカミさんが、私の周りをうろちょろして、こちとら気が散って歩きに集中出来ず、歩きずらかったのなんのったらありませんでした。

2012年02月14日

回復期リハビリ訓練・30 退院後の木工作品1号目

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左半身麻痺二年目が近づいてきた1昨日、鉄道模型ケースが右手一本で仕上がりました。

材料は昨年お中元で頂いたそうめんの桐箱を解体して、一回り大きく釘穴は竹釘に楊枝を仕様。箱の左右は、残りの桐材が足らず使用済みのアガチス材。

アクリル板を買ってきて上下に開閉するように切れ込みが入れてあります。

天地約25センチ、左右39センチ、奥行き約7センチ。桐材とアガチス、アクリル板と爪楊枝を使いました。中に入るエアフィック社のHOゲージ鉄道模型と線路は義兄の遺産分け。

回復期リハビリ訓練・31 退院後の木工作品1号目・・・2

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半世紀前のイギリス・エアフィック社の鉄道プラモデル。

HOゲージサイズに縮小・デフォルメされた貨車や蒸気機関車のフォルムが見事で見飽きません。

義兄が亡くなり家族の無理解で捨てられそうになったのを、縁あって私の手元にきました。

ケースが9割がた仕上がった時に、偶然三回忌の電話があり、これは義兄が手元に引き取りたいんだと感じ、一昨日仏前に供えてきました。

プラモデルと侮るなかれ。モノによっては、女性が宝石を愛でるのと同じで、身近に所有することで気持ちが豊かになる貴重品なんですね。

2012年02月24日

回復期リハビリ訓練・32 退院後の運転・・・1

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退院して、まず第一の目標は車の運転が倒れる前と同じように出来るか、入院中はこのことが気がかりでした。

隣の県で一人暮らしの高齢の母親の雑用に車は必需です。

で、一人で鴻巣にある運転免許センターまで運転適正検査を受けに行って来ました。こういう情報は、入院中運転を必要としている患者同士の交流で、どうやら無断で病後の運転は禁止されているようだとの会話が飛び交っていました(ちょっと大げさですが)。

カミさんが同行しなかったのは、どうやら私がハンドルを握るのに時期尚早と思ったのか分かりませんが反対だったようです。

結果は上の表に出ましたが、ま、とりあえずは充分注意して運転は可能と出たようです。

2012年04月07日

回復期リハビリ訓練・33 雲隠れ半蔵記・・・1

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半蔵が逝ってしまった。

3月に入って三寒四温とはほど遠く、寒い日が続き半蔵の衰えが急に目立ち、家の中で粗相してしまったり、のべつ食事を要求するようになっていた。

3月中旬のこと。私がパンを食べていたとき、よこせというのでちぎって与えると、うまそうに食べるという珍事が始まりだった。

それまで今まで見向きもしなかったチーズを食べたり、食事中家内の横に張り付いて前足でテーブルの料理を要求など、呆けが始まったのかと心配するほどだった。

上の絵は、亡くなる三日前に、いつもの習慣で風呂の湯を飲みに来たのが最後の半蔵との触れあいとなってしまった。

2012年04月08日

回復期リハビリ訓練・33 雲隠れ半蔵記・・・2

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一昨年の夏に、脳出血から生還して退院した時、どういう訳か半蔵も同じように不自由な歩行をするようになっていた。

前足もx脚になっていたが、日に日に回復したように見え、不自由ながらも元気になると、私の歩く先々に半蔵が現れて歩行の邪魔をするように目の前で横になるという、私専属のリハビリ訓練士にでもなったような日が始まった。

いかにも「踏めるもんなら、踏んで見ろ!」といった目を向け、これみよがしな態度ですが、これが家の中での歩行訓練に大いに役立ち、上がらない左足を努めて挙げて歩き、ほんの数ミリの段差や左装具底のひっかかりには転ばないようになったのが成果でした。

一度だけ若干の失敗はありました。

台所でコーヒーを入れていた時、いつの間にか現れた半蔵のしっぽをうっかり右足の土踏まずで踏んでしまい、「痛ェじゃねぇかッ」ってな大声で叫ばれ、幸いにも(?)私の足裏は人より土踏まずが深いドーム状になっているので、怪我をするほどではなく冷や汗程度のケアレスミスでした。

回復期リハビリ訓練・33 雲隠れ半蔵記・・・3

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プライドが高かった半蔵が、一階日本間のソファーも自力では上がれないほど脚力は衰え、二階に上がる時は家内を呼び、抱き上げてもらって自分の居場所である長男の部屋に行くまでになった半蔵を見て、覚悟しなければならない日が近いことを実感した。

日中は家内と私が居る一階で寝るようになり、夜は今年2月に長男の枕元で小水して叱られてから玄関で寝るようになっていた。寒さ対策とトイレは、暖房具を床に引き給水シートを家内が設えて、三和土に降りて小用を済ませていた。

しかし、夜中に三和土で小用あと、上がり框の30センチ強の段差が上れず、一階玄関前の部屋で寝ている私を呼ぶことが度々で、真夜中にそれも寒中布団から出て装具を付け、玄関三和土までの動作はかなりしんどい作業だった。

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2012年08月26日

回復期リハビリ訓練・34 糸鋸装着補助具・・・1

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4月9日の雲隠れ半蔵記から大分間が開いてしまいました。これもリハビリ闘病記に入ると思いますので四ヶ月後の再開とします。

写真は糸鋸装着補助具とでも命名しましょうかね。これはオートマタ(歯車で動く3Dイラスト)のアイデアが浮んだとき、すぐに仕事に取りかかることが出来る作業台を作っている時に、糸鋸が切れて作業がストップしてしまった時から取りかかりました。

 

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2012年08月27日

回復期リハビリ訓練・35 糸鋸装着補助具・・・2

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電動糸鋸盤糸ノコ装着具は、使用中の振動を吸収する1㎝ほどのゴムをはさんで台に固定してあります。

その1㎝の隙間に底板を差し込んであるだけなので、普段は外します。装着具が乗っている台は端材だけで作ったまだ未完成の室内用の木工作業台です。

普段はパソコンのキーボード台として使っています。

2012年08月28日

回復期リハビリ訓練・36 室内作業台

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寄せ集めの端材なので、全体に纏まりに欠けますが、天板は捨てがたい味わいのミシンの台、それを支えるのは子供が使ったイーゼルなど。天板の下に使用頻度が多い電動ロールサンダや電気ドリル、ドリメルのロータリーツールが入ったケース。右側側面はドライバー各種、毛引き、ノギス等々。絵を描く人間として美的感覚に欠けるショットになってしまいました。

回復期リハビリ訓練・37 台車

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室内作業台の中に納めたロールサンダーを、仕事部屋からここまで運ぶ為に使う台車です。

ロールサンダーは15㎏以上20㎏ 以下くらいはあるでしょうか。以前ならともかくとても今の体(片手)では移動は無理です。で、考えてこの台車が出来ました。

なにせ仕事部屋は狭く全てコンパクトに作らなくては自由がききません。で、折りたたみの把っ手の登場となりました。把っ手の木は直前までキーボード台としてお役にたっていたのをバラした端材。美的感覚ゼロですが、ようは便利であればいいわけです。

背景は愛犬プーさんの居場所。この狭い庭がご近所に騒音と粉塵をまき散らして迷惑をかけている作業場所です。

2012年08月30日

回復期リハビリ訓練・38 艀(はしけ)

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使用頻度が多い電動ロールサンダーは、当初仕事部屋から屋外に出すのが窓からでした。

これは窓の桟を痛めるし危険でこれだけでも大変な大仕事だったので艀が必要でした。また、仕事部屋横の屋外はベンチも無く立ちっぱなしの作業は効率も悪かったのですが、艀を作るまでには時間がかかりました。

で、窓からロールサンダーを出しやすい高さに、まず最初に室内作業台を作り 、次に台車、そしてサンダーを力を使わずに楽に台車に移動出来るように艀を作ったので三ヶ月以上の大仕事になってしまいました。

写真左右の金具は作業台と台車に固定するためのL字金具です。

2012年08月31日

回復期リハビリ訓練・39 ロールサンダー移動

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室内作業台はまだ完成ではありませんが、取りあえずは3Dイラストを作る環境は出来ました。

作業台周りには、ツールボックスなどに入れておいた工具を、使用頻度が多いものから順に作業台周りに収納していくことになります。

まだ設置場所の問題が解決できてはいないドリルスタンドやストロンググラインダーなど、結構使用頻度が多く場所をとる工具が残っています。

電動工具はちょっとした油断で指の二本や三本は無くなってしまうので、今以上のダメージは避けなければならず、粗忽の身としてはじっくり構えて解決しなければなりません。

2012年10月10日

回復期リハビリ訓練・40 虫喰い枝の鬼グルミの杖二本

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左の2本は、倒れる前に枝下ろしした時に取っておいた鬼ぐるみの枝の杖です。

クルミの木は、銃の台座に使われていると聞いたことがあるので、強度は結構あるようです。鬼ぐるみとクルミの違いは分かりませんが、クルミには違いが無いないので佳しとしました。

細い方は皮を剥くと虫喰いだらけで、強度を計っていた時にヒビが入ってしまいましたが、軽くて捨てがたく風情も面白いので杖にしてみました。

二本共把っ手と鬼ぐるみの枝に、オートマタ用に作っておいた紫檀の6ミリπX8㎝長の丸棒を嵌め込んで強度を持たせてあります。

握り手は上から、紫檀、次に黒檀の端材があったので、図面も引かずに作りましたが、T字の方は形も悪く、握り手がしっくりこないのでこの部分だけ作り直しを考えています。

左端の杖が自分の歩きには合っているようで、今の所この杖を一番多く使っています。

作った当初は、杖が白杖に見えたので、ワトコのセピア色のニスを塗りましたが、細い方はムラが気に入らず、手近にあったプラモデル用のスプレーで黒くペイントして様子をみることにしています。右は家用の今まで使っていた市販の杖です。

2012年11月01日

回復期リハビリ訓練・・・41 鬼ぐるみの杖修復

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屋外での作業で、ご近所に粉塵と騒音の迷惑をかけている作業現場です。

先日作った小さい方の座椅子を濡れ縁の上に乗せて、鬼ぐるみの杖の把っ手を補強修復しました。座椅子は対象物に対して作業し易い高さになり、今までの不自由が解消できました。なんでも無精してはいけませんね。

濡れ縁の右下は愛犬のテリトリー。近年歳をとって人恋しくなったようで、鬼ぐるみの木の下にある昔からの犬小屋へは嫌がって入りません。

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2012年11月06日

回復期リハビリ訓練・・・42 SL・TOY試作(1)

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SLのラフから、製図に思いのほか手間取ってしまいました。

今日から各パーツのブロックの切り出しからヤスリがけを始めます。

屋外にロールディスクサンダーを出し、これら黒檀、紫檀、ブナ等のブロックをパーツごとにサンダーで整える作業に入ります。

SL・TOYは自分で思っていた以上に細密な蒸気機関車になってしまい、設計図通り作れるか心配になってきました。

おまけに今朝は雨模様で、屋外での作業が出来るか天気と相談です。(上の写真は前日ホームページ用に撮っておいたもので、濡れ縁に乗せる座椅子を作るまで、今まで無理な姿勢で作業をしていたのかがこの写真で分かりました。)

2012年11月09日

回復期リハビリ訓練・・・43 SL・TOY試作(2)

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これから作るSL・TOYの各部のパーツを選ぶところです。

紫檀、黒檀、カリン、ブナ、黒柿など硬めの木を相手に格闘が始まります。一部分柘植を使いますが、あまり木の種類が多いと失敗作に終わってしまうので、悩みどころです。

図面はまだ完全ではないので、完成予定の一ヶ月は本業の仕事との兼ね合いで、ずれ込む公算大です。

2012年11月24日

回復期リハビリ訓練・・・44 SL・TOY試作(3)

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いよいよ各パーツの切り出しです。作業台天板で黒檀などの材を固定して切り分けを始めました。

写真左は炭水車の後部面を切り終えたところです。

この後、ロールデスクサンダーで一つずつ各サイズに整えていきます。

総パーツ数57もあるので道のりは遠く、粗忽でせっかちな性格なので怪我に注意しなければなりません。

写真右側の黒檀やカリン、紫檀材のブロックは、パーツの全てではなく、これから車輪や軸・煙突など正確さを要求される細かなパーツの材料選びをしなければなりません。その後、図面の貼付け、切り出しの仕事が残っています。

 

2012年12月10日

回復期リハビリ訓練・・・45 SL・TOY試作(4)

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前回のSL・TOY制作から二週間程空いてしまいました。

実は前回のパーツを切り分けがひとまず済み、夕方でも明るめで、時間も少し余裕があったのでロールディスクグラインダーを出して、消耗が激しかったやすりを60番の新しいものと交換、設計図に沿って黒檀を薄く削っていたところ、右手人差し指先端まで、やすりがけしてしまいました。

で、本業も一段落し指の傷もようやく癒えたので、いよいよ釜上部をボール盤で煙突のパーツの穴空け作業と思ったんですが実作業も10日空くと体が動きません。また一番正確さを要求する箇所なので、気ばかり急いてしまい、今日のリハビリの時間は迫ってくるしで・・・。嗚呼。

2012年12月14日

回復期リハビリ訓練・・・46 SL・TOY試作(5)

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SLの煙突が乗る釜部(名称分からず)に直径9ミリと12ミリの穴空けの準備が出来て、本日の時間終了。

電動ドリルが積年の酷使で、先端部のカバーが摩耗していて、回転にブレが出てもなんとか使いこなしていましたが、もうこのあたりで買い替えの決断をしなければならない時期のようです。翌日はどうやって財務省に買い替えを説得するか、頭の痛いところです。

対象物固定ジグを数種類作ったものの、制作途中今日も雑用(義母を連れて川越で昼食)で約3時間ロス、12月いっぱいの完成が覚束なくなりました。

 徐々に寒さが厳しくなってきて、麻痺が進行してきているようです。これから屋外での制作は真っ昼間の太陽が照る晴れの日限定になってきました。

2012年12月17日

回復期リハビリ訓練・・・47 SL・TOY試作(6)

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ワークステーションに取り付けた自作の固定ジグは、左右の固定は出来ても上下に弱く、細工物がドリルの回転と共に持ち上げられてしまい、このため径の淵に傷が付いてしまいました。

折角用意した部品がオシャカになり、時間と手間を増やしてしまう結果となりました。

で、以前細工物を作った時の余りの材料を押さえにした固定ジグを追加しました。これで大丈夫でしょう。

2012年12月20日

回復期リハビリ訓練・・・48 SL・TOY試作(7)

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SL本体上部に煙突が入る部分二カ所、本体のシリンダーを支える太いパイプが入る下面の前方左右に二カ所、最前部の車輪とスカートを支える柱が下から入る下面中央の、それぞれの穴空けに手間取りました。

電動ドリルの一件は、予備の若干力が弱いドリルで急場を凌いでいます。弱ったもんだ。

上のピンぼけ写真で進行状況を見ても分かると思いますが、遅々として進んでいません。なんせ右腕一本での作業ですので仕方がないところです。

これから本体と煙突など丸みを出していく作業に入りますが、この後、本業の仕事に入るので3日ほど木工制作はお休みとなります。

2012年12月27日

回復期リハビリ訓練・・・49 SL・TOY試作(8)

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2012年のリハビリ訓練が終わりました。正直疲れましたね。訓練の成果は目に見えない程度に回復していると感じています。ま、麻痺が進行しなければ良しといえます。

年末になると一日、何も出来ないで日が暮れてしまいます。

SL・TOYも雑用等で少しも進展していません。

また何故、車や飛行機ではなく、SLなのか考えてみました。

この機関車を作って左半身麻痺の自己治療をするきっかけは、脳出血で倒れる2年前に、木工や落語などの趣味・興味も創作意欲や気力も無くなって、鬱になりかかった時が始まりといえます。

当時、週ごとに真鍮でC62を作る部品入りの週刊誌が発売され、このままだと本格的な鬱になってしまうという恐怖から逃れるため、思い切って定期購読してみました。

2012年12月28日

回復期リハビリ訓練・・・50 SL・TOY試作(9)

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毎週一冊ずつ計100週、100冊で二年弱作り続けるには、対象物がよっぽど好きでなければ続きません。

またトータルした金額を考えれば、私には一遍で購入出来る額ではありませんでした。

ただし、鬱になって本格的な病気になり、入院か通院治療と、その間の時間のロスまで考えると、すんなり定期購入に踏み切れたんですね。

おかげで、このゆっくりした自己治療の方法で、鬱から逃れられたと思います。

子供の頃、貧乏職人の小せがれには、HOゲージの鉄道模型は高嶺の花どころか、それ以上の存在でした。私の育った環境も、保土ヶ谷操車場が目と鼻の先にあったので、蒸気機関車は頭の中に焼き付いていて身近な存在でした。

しかし、そこの操車場で働いていた蒸気機関車は、子供の目でも魅力的なフォルムではなかったのが難点でした。

上の写真は、C62の運転室にあるボイラーの焚き口です。

2012年12月29日

回復期リハビリ訓練・・・51 SL・TOY試作(10)

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我が家では、私は大掃除は勝手に免除と思い込んでいたんですが、部屋の配置換え、大掃除、神棚のお札を氷川神社に納めに行ったりと、フル回転の日となってしまいました。

ま、動けるうちが華と思えってことなんでしょうね。

電動糸ノコ盤の自作の交換器が壊れ、その修理の日に充てようと思っていたんですが、明日に伸びました。・・・明日は作業が出来るといいんですが。

2012年12月30日

回復期リハビリ訓練・・・52 SL・TOY試作(11)

C62.31.jpg   無気力と倦怠感などが、いつの間にか知らずに襲い、テレビを見ても頭の中に入ってくるではなく、殆ど毎日BGMのように流していた落語は、いつの間にか聞かなくなり、何の興味も無くなった自分に気づいた時、もしかしたらと不安に駆られたんですね。

それもこのC62を作っていた2年ほどの間に、そんな症状の数々は無くなっていたんですね。何ヶ月目で無気力や倦怠感が消えたのかは覚えていませんが。

我が恩人(?)の、全長1メートル強のこの大物は、私同様家族から疎まれ、居場所に苦労しています。

回復期リハビリ訓練・・・53 ありし日の雲隠れの半蔵

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今春旅立った在りし日の愛猫のワンショット。

仕事部屋にあるファクシミリが、肌寒くなった時期には必ず居た彼の定位置でした。

生後約半年で我が家に来た頃は、美形のかわいい猫でしたが、家族にいじくり倒され、徐々に性格は偏屈に、顔は強面になってしまいました。これは彼が老齢に差し掛かってきた頃の姿です。

私が病に倒れ、生還した時からは、時には道路の石くれ、不意の横切りなど、常に注意を怠ることの無いように教え諭してくれる専属のリハビリ訓練師として働いてくれました。

半蔵の御陰で転倒は一度も無く、ちょっぴり寂しい冬を迎えました。

明日の元日は太平洋側の天気は晴れと出ていました。

来年は良い歳でありますよう。皆様良い歳をお迎え下さい。

2013年01月13日

回復期リハビリ訓練・・・54 修復後の自作の杖

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左上の写真は退院後にリハビリを兼ねて作った杖の最初の形でした。

杖の石突きのある枝の部分の、把っ手に近い黒檀(斜め)の上のカリン材の上側と把っ手の下部分が、ドアの開け閉めでドアノブに挟まって折れたのが始まりでした。

二回目は玄関タイルに落として、把っ手がまっ二つに折れ、

ボンドで接着するも、簡易的だったため体重をかけただけで接着部から取れて三度目の修復。真ん真ん中に4ミリほどのカリン板を挟んで長さを調整してあります。

いずれも左写真のアルミ棒を芯に入れて、その都度握り易いような補強修正ですが、見た目はあまり良い形とはいえません。

昨日は左手に軍手を12分強で装着。前回より大分短縮出来、満足満足。

2013年01月14日

回復期リハビリ訓練・・・55 糸ノコ交換補助具を修理

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肝心な箇所を手抜きしたばっかりに、糸ノコを交換する時、電動盤のトップの押上ノブに交換補助具の上側の板が当たって、力点の歪みが集中した底板(写真中央下)がまっ二つに折れてしまいました。

折れた板はボール紙を重ねたような圧縮板だったので、予想以上に脆かったようです。

で、懸案だった箇所を修正すべく、糸ノコを外す電動盤のトップにある押上ノブを押さえる交換機上板を上下するストッパを右手の指で簡単に外れるように取り付けたのがこの写真です。まだ改良途中ですが、とりあえずこれで使ってみるつもりです。

この程度の作り直しに時間がかかってしまったのは、使用頻度が少ないことが理由なので、修理も万事後回しになってしまいますが、作業途中に糸ノコ交換に時間を取られるとストレスが貯まるので、重い腰を上げて修理となりました。

2013年01月19日

回復期リハビリ訓練・・・56 続・糸ノコ交換補助具修理

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別に右手一本でも糸ノコの交換は出来るのですが、真横からの糸ノコ盤テーブルと、取り付けた糸ノコの90度調節は両手がなければ出来ません。

健常者の頃はL尺で調節していましたが、それでも微妙にブレが出て厄介でした。これからは右写真のように真横から、補助具の柱を基準にして調節するので以前より楽になりました。

中央の写真に映っている黒紐は、中心にゴムが入っているのを使っています。

2013年01月28日

回復期リハビリ訓練・・・57 棚の柱を切る

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仕事部屋の大改造は、おかげさまで怪我も無くまだ継続中です。

ここ3日は仕事部屋東側の棚の横に、机を並べようとしたのですが、たった2㎝余分で棚と並べることが不可能だったため、左側の棚を3〜4センチ切ることになりました。

この自作の棚は1998年16thハンズ大賞に「しりとりメタモルフォゼ」で賞をもらったときの棚で、30㎏強のアンプが上に乗って固定してあるので動かせません。(左写真、カセットデッキの上の棚にあります)

やむなくこの棚の方を切ることになり、20年程前に作っていた自作の黒い棚を右の柱の支えとして、大幅に切断することになりました。

1.5㎝厚のブナ材の棚板は難なく切れたのですが、問題はナラの角材をブナの角材でサンドイッチしている柱の方で、真横水平に切るため、一番上の棚板と柱を固定してから切断(右上と下の写真)。ゼットソー硬木250のノコギリで3日の仕事となりました。

もっとも義母の病院の送迎や細々とした雑用の他、一つ物を動かす度、資料や工具などいちいち移動をしながらの作業で、ホームページまで手が出せず、フットワークがいつもより重い数日となりました。

2013年01月29日

回復期リハビリ訓練・・・58 続・棚の柱を切る

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取りあえず大仕事が完了。と、言ってもこの後、歪んだ棚板を固定して、原画、資料、趣味のガラクタ等(これが結構捨てられないのです)の整理で3〜4日はかかりそうです。

見回すと、お茶の水の古本屋が入っているビルの、ある狭い古本屋の中にいるような錯覚に陥るような風景です。

今までの仕事部屋での木工作業より、少しはスペースが取れたようで取りあえず満足。

右写真の仕事机背中側に電動糸ノコ盤とボール盤がマップケース沿いにありますが、移動ができるので本業の邪魔にはなりません。マップケースの上はパソコン一式が乗っていて、ファクシミリ一台空いたスペースは、整理すれば結構広く(?)取れたようです。

2013年02月04日

回復期リハビリ訓練・・・59 パソコン台に不具合が

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仕事部屋の整理は3〜4日で終わるどころか、見通しの甘さが露呈。

マップケースの中は未使用の紙類や原画が隙間無く詰め込んであたため、床に錯乱したそれぞれは元あった場所に収まらず(・・・どうやって入れたんだろう?)、資料等本や(ガラクタを含む)道具類などはまだ片付いていないなか、大問題が起きてしまいました。

写真のパソコン一式が鎮座しているマップケースをカバーしている台ですが、元の場所にあったときは壁と自作の棚に挟まって揺れはおきなかったのですが、この位置だと、パソコンやモニタの重みで横揺があり、まだこの上にプリンタなどやスキャナを乗せる棚が必要で、早急に足場の補強を迫られてしまいました。

双六で言うところの『ふりだしに戻る』の心境になり、やれやれ(ためいき)です。

2013年02月07日

回復期リハビリ訓練・・・60 パソコン台を補強

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気分一新!いざマップケースの中を全て出し、引き出し全部も重量があるのでケースから外し、パソコン台からマップケースを引きずり出したまでが大仕事デシタ。

仕事部屋は身動きができない程の原画や紙類と、マップケース一式で、難易度が高いリハビリ訓練になりました。

L字補強金具を写真のように装着したここまで、右腕一本で約半日。

が、また問題発生。

モクネジを力一杯絞めると、左半身の麻痺が徐々にキツくなって膠着してくる症状を初めて経験。疲れも頂点で右足もツリそうになり、ヘトヘトになって四隅を補強して、なんとか終了。

いざマップケースをパソコン台に入れようとしたんですが、補強した片側分2センチ余分で入らず。

向かって左側の補強金具を外し、金具台に付けた木をノコギリでパソコン台の柱から外すとケースはぎりぎりで入り、このケースが揺れの押さえになって、この大仕事は完了。

SL・TOYは何時頃作業にかかれるのやら。

2013年02月17日

回復期リハビリ訓練・・・61 パソコン台の棚を増設・その1

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仕事部屋の大改造も、間もなく終わりそうです。

パソコン台の上に乗せるスキャナとプリンタの棚は、物置に死蔵してあった自作の机の天板や、先日の棚の残りを使い廻すことにして、ようやく完成の運びとなります。

スキャナとプリンタだけでも、結構な重みになるので、四方の足は前面をブナに挟んだ楢を二枚に縦割りに切ることになり、後方はボール盤の台にしていた引き出しと、子供が使っていた勉強机の椅子を加工して天板を乗せることにしました。

写真は先日切り分けた棚の柱部分を、丸一日がかりで二枚に下ろしたもの。 楢とブナの角材は、接着剤だけ使って挟んだと思っていたんですが、釘が一カ所中に入っていたようで、硬木用ノコが一本オシャカになってしまいました。

2013年02月20日

日立ベビコン読本・・・6

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スキャナとプリンタが復活。

ここ半月はスキャナをパソコン本体に繋げることが不可能な状況で、ベビコン読本も休憩しておりました。

で、パソコン台が完成して、原画類やガラクタ等は先ほど片付けが完了。(かな?)

仕上がったパソコン台はここ数日間の制作に全精力を使い果たし、スタミナ切れとなりデジカメに納める気力すら残っておりません。悪しからず。

2013年02月23日

回復期リハビリ訓練・・・62 パソコン台の棚を増設・・・2

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完成間近に、どうも居心地が良くないと感じ、結局昔作った机の一部を加工してやっと落ち着くという結果が、仕上がりを遅くしてしまったようです。

右腕一本で一人でよくやったと自分の頑固さを改めて自覚した次第です。

スキャナとプリンタの台は、二十代の独身時代の頃に、欧米の葉巻職人の机に魅了されて、見よう見まねで作った机の天板三組を使い、天板を乗せた四隅の柱などは、先日の棚の切り残しとや、極小かんな等道具類が入っている引き出しも棚の柱として使っています。

前方と右側の天板二枚は柱に取り付けた棚受け金具乗せてあるだけ、勿論四隅は固定して動かないようになっています。

今回頑張ったツケに、左足の麻痺が進行して、足先が内側に向いて歩くようになったこと。私の粗忽と頑固が治らないかぎり、しばらくこの症状と付合っていかなければならないようです。

 

2013年03月02日

回復期リハビリ訓練・・・63 TOY制作試行錯誤

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同じ直径の黒檀素材の車輪を、時間を短縮して沢山作る方法を考えてみました。

1の写真は、糸ノコ盤の歯部分が触れないよう切り込みを入れた台を作り、糸ノコ盤に固定。その上に黒檀(車輪)を円形に切り出すための台(切り出し台)を作りました。その切り出し台の右端にあるピンを軸に(ちなみに、このピンは糸ノコ盤に固定した台に差し込んであります)動かせるようにしました。

1・糸ノコの歯の右にあるピンの軸にこれから切り出す黒檀の中心部分を差し込み、

2・糸ノコを作動。

3・切り出し台ごと、糸ノコの歯に近づけて、

4・黒檀を静かに回転させました。が、

5・どうも右手だけでは奇麗な円形になりません。

で、これを使わなくても、右手だけでほぼ円形に切り出すことが出来、下手な考えだったようです。左手を考えの視野に入れないよりは、無理に左手を使う方法を考えたほうが、回復の道は近いようです。

2013年04月02日

回復期リハビリ訓練・・・64 作業台作り変え

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モクネジや、作りかけの作品等が入った、百金で買った11個のケースをひと纏めに、今までモニタの台に使っていた電動工具を入れを、引き出し付きの作業台に作り替え、先日ようやく仕上がりました。

で、疲れもしていたのか、床から立ち上がる時に、キャスター付きの椅子に肘をかけて立ち上がろうとしたら、中腰のままバックして、後頭部を思いっきり机の角にぶつけてしまって、大きな瘤を作ってしまいました。

その瘤も癒えかけたのもつかの間、先ほどワトコのニスを床にぶちまけ、こぼれたニスを作業台に塗り、中途半端に完成したのがこの写真です。

もー今日はこれから休暇とします。やれやれ。

2013年04月03日

回復期リハビリ訓練・・・65 爪切り

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リハビリセンターに入院中から、自立して右手指の爪をどうやって切るか、試行錯誤の結果行き着いた答えがこの写真です。

顎を使って切る姿は、カミさんにも見せられません。

で、一人でこっそり切っています。

2013年04月10日

回復期リハビリ訓練・・・66 遅咲き桜満開図

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昨日は、雑用を済ますため館林に行く途中、家から車で5分の所にある満開の桜を撮るはずでしたが、桜の木の下に工事車が駐車していたのでパス。

それではと、帰りに寄ったところ逆光でいいショットが望めませんでした。

本日ようやく望みが叶ったというところです。

陽気もよくなり、運動にいい散歩日和のようです。

そろそろ重い腰を上げようと思っています。

2013年04月13日

回復期リハビリ訓練・・・67 鍋修理に苦戦

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結婚当初から40年近く使っていた、ダッチ・オーブン(のような)鍋を床に落としたとのことで、歪んで蒸気が漏れるので「直せる?」ときた。

「直してくれる?」や、「直して欲しい」だったら、「出来ない」と即座に言えるんですが、敵は私の負けず嫌いの操縦法を、長年の結婚生活で完全にマスターしていると見え、うっかりカミさんの手のひらに乗ってしまいました。

木槌に布を輪ゴムで巻いても効果は殆ど無く、昨日と今日の半日、近所迷惑をかけてしまいました。

で、精一杯やっても歪みは完全には直せませんでしたが、型紙まで作った功績を認められ(右写真参照)、「これでも良し」となりました。

左写真を見ると左側の歪みがはっきりわかりますが。これで目をつむってもらうことにしました。

やれやれ、どっとはらい。

2013年06月16日

回復期リハビリ訓練・・・68 自作木工旋盤の完成

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約半年の間、頭痛の種だった木工旋盤がようやく仕上がりました。

以前は細工物の軸やタイヤなどを作るやり方が、右手に電動ドリル先端に細工物を固定し、左手で紙ヤスリを板に張った自作のヤスリ板を調節しながらでも、なんとか仕上がったのですが、今はいけません。

で、ドリルスタンドのボディ固定リングが壊れて使えなくなったのを、細工用旋盤の台にしての完成を目指したのですが、段取り悪く失敗に次ぐやり直しで、思いのほか時間がかかってしまいました。

この旋盤だと最長で18センチの軸しかできないので、いずれはドリルを外付けして、大きめの丸棒ができるように考えています。

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2013年07月11日

回復期リハビリ訓練・・・69 5匹のメダカ

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先日リハビリ仲間の一人から頂いたメダカは、なんとか命拾いできたようです。

塩ひとつまみの効果抜群で、3日ほど塩水に入れたままで、その後は毎日少しずつ水を入れ替えて、今は5匹が元気に動き廻っています。(それにしても水が汚いなぁ)

ただ、まだよく飼い方が分からないので、諸先輩に少しずつ知識を貰っていて、5匹居る中、1匹くらいはメスがいるだろうから、これから水草の根っこに卵が付いたら、注意して卵が孵った場合は親に食べられない内に、手早く別の容器に移し替えなければなりません。

で、水槽は何が理想的かというと、昔のコンクリート製の洗い場が良いと意外な答えでした。

コジャック親父の今年生まれたメダカは、すでに7〜80匹はいるそうで、9月頃までは子メダカが生まれる可能性があるので、うかうかしていられないようです。

・・・水槽の用意だけでも、ハイレベルのリハビリ訓練だなぁ・・・》タメイキ《。

2013年08月29日

回復期リハビリ訓練・・・70 収納ケース等の再生

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物置の中がゴチャゴチャになってしまっていて、使いづらくなっている。

で、中にある古いペンキ缶を整理しようとしたが、中味が残っているので捨てる事が出来ない。

半世紀以上前に親類の職人に造ってもらったセピア色の収納ケースが、30年近く雨ざらしで壊れかけているのが目に入った。

それと、先月貰ったメダカに子供が生まれた時の用意のため、火鉢を使おうとしたが細かいヒビが数カ所見つかった。

これでは水を入れてもダメだし、内側が黒くて汚いのと、水漏れをコートする為接着剤でヒビを塞いで年代物の白ペンキで内側を塗ってみた。

またニスの缶も残りがあったので、軒晒しのためと屋外作業でロールサンダーで傷付いてニスが剥げかかったベンチもついでに再生した。

自分が壊れかけて再生途中の為か、壊れかけを見過ごす事が出来なくなってしまったようで、再生の仕事が優先順位のトップになったのかも知れない。

2013年11月21日

回復期リハビリ訓練・71 「障害」って何だろう?

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上の絵は地方公務員のライフクリエイティブ・マガジン「ALPS」5号で、戦争で片足を失った方のエッセイに絵を添えたときのものです。(11月6日参照)

脳出血で左半身麻痺となって退院後しばらく、近所に住む義母から「何でこうなっちゃったんだろうねぇ」と、会う度ごとに口癖のように言われ続けていた時があった。

何でもなにも自分の健康に対する過信慢心と、注意を怠った結果が引き起こしたことで、なってしまった以上はこの障害とどう向き合うかが全てでした。

「障害」とは、の、結論はまだ出ていないが、上の絵のような「喜神」を自分に呼び込む生活が大切なようです。

自分以外の、家族を含めた対人関係で、哀れみを受けない自立した生活を目標としていけばいいと今は思っています。

2013年12月03日

回復期リハビリ訓練・72 展示会に出品したオートマタ作品

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上の絵は『12人の贈り物展』にゲストとして出品するために造ったオートマタの設計図です。

サイズは天地17.5㎝左右24.5㎝、奥行10.6㎝と、若干小さめで会場内では控え目の作品です。

牛は黒檀で闘牛士はカリンと柘植にブナ、動力部分は全てブナ材で搬入の朝まで制作に時間がかかってしまった。

仮組まで気が付かなかったのですが、ボンドで組み立ての途中に床下の歯車の軸に動力棒があたって全ての歯車が回転出来ないという初歩的な設計ミスが分かり、失敗作で展示となり、単なるオブジェとして展示という残念な結果となってしまった。

折角のチャンスを自ら潰してしまった反省のため、今日から再度完成を目指して作り直しを始めることにしました。

今度は完成品をお披露目したいと思っています。

2013年12月25日

回復期リハビリ訓練・73 展示会に出品したオブジェ

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今年作った3D作品はこの一点だけでした。

素材は黒檀(牛)とカリン(茶系の木)、ブナ(歯車等クリーム系の木)、柘植(牛の角や闘牛士の頭部)の4種類のみ。右下にあるのはジッポのライターです。

私の左半身が全く機能しないということを知らない人たちにとっても、オートマタとしては完全な失敗作でしたね。

今月初めに開かれた『12人の贈り物展』に何とか間に合ったものの、他のクリエーターの展示作品の中に置かれて突き放して見る事が出来、徐々に作品の反省材料が数々浮き出てきたのが大きな成果でした。

失敗作を晒すのは恥ですが、粗忽の私にとって糧にはなります。(?・・・のかな?)

目標の年6作品のアイデアは作れました。来年から気を引き締めて作品作りに励むことにしましょう。

2014年01月02日

2014年年賀状

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明けましておめでとうございます。

2014年の幕開け二日目。皆様にとり勿論私にも良い年でありますよう願うばかりです。

平成26年の干支を使ったオートマタを年賀状にと、参考にするため書棚を引っ掻き回し、図書館に行ったりと、結局昔保存して捨てそびれていたVHSテープの山のなかから引っ張り出したのが、

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2014年04月06日

糸ノコ盤再始動第一作

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先日腕慣らしに、数年ぶりの糸ノコ盤に向かった。

病後は糸ノコを使っていなかったので、機嫌を損じていたのか、天板は跳ね上がるわ、振動激しく切り込み線がぶれて失敗作の山だったが、翌日から気分一新、押さえ込むようにゆっくり作り上げたのがこの証明写真。

以前なら2〜3時間で修正無しのモノが、今の右手一本では半日かかって長時間休憩しなければならず、これが精一杯。

これからアクリル板を鋏んで、机上用と壁掛け用両方使える額のデザインを考えて、仕上げの作業をします。

2014年04月11日

卓上・壁掛け両用パズル入り額縁

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今まで製図から入って作ったモノは、四角四面の硬い造形になってしまって、遊びの部分が薄れた作品になっていたようだ。

で、今回は今までのやり方を変え、思いつくままフリーで作ることにした。

パズルを飾る卓上・壁掛け両用の額のデザインは、凝り性の自分を押さえ込むのが難しかったが、なんとか仕上がるという寸前でサンダーがクラッシュ。

急遽、紙粘土をこねくり回して豆猫を作っている目の隅に、額の一部が入ってきて、我慢が出来ず完成を急いでしまった。

案の定接着のズレが原因の歪みで、据わりが悪くなり作り直し。(両用額は写真の中央のみ。右端は卓上用です)

額の材はブラックウオルナット。いい雰囲気を醸し出しているので、もっとこの木を生かしたデザインに再挑戦となった。

いつになったら、オートマタ制作ができるのかなぁ。困ったもんだ。

2014年04月12日

続・卓上パズルスタンド

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故障中のベルトディスクサンダーは、長野にある製造元に聞いたところ既に廃盤で、修理は出来ないとのこと。

で、アマゾンで良いのが見つかったので、注文しようとしたが、なかなかうまく繋がらない。

昨日はそんな中っ腹状態が続き、パズルスタンドも紙粘土で豆猫作りも、満足な出来とはほど遠く、とりあえずパズル立てはこの程度のデザインで終わりにすることにしました。

2014年06月15日

卓上と壁掛け額再挑戦・・・77

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デイ・サービスで世話になった人に贈るため、(ホームページの4月11日に作った)不出来な猫型額をバラして再挑戦したパズルスタンドです。

梅雨時に極狭の部屋に籠って、木屑舞う不健康な作業環境でも、それでも木に触っていればストレスは感じません。

いつまでも手元に置いていると粗が目立って気になってくるので、早速不出来な作品を押し付けに行って、あとはサッパリの身勝手な振る舞いをしてきました。

2014年06月26日

卓上パズルの額再挑戦・・・78

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御礼の品として、デイ・サービスのお仲間に贈る必要があったので、急遽パズルを入れた作り直しの額です(このホームページで4月11日と今月15日に紹介した同様の額です)。

煎餅やお菓子や酒など、受け取り側には危険物だったりしますので、自分のリハビリ訓練を兼ねて、現状の作品で勘弁してもらうことにしています。

以前も、同じテーブルを囲んでいるバート・ランカスター氏が訓練の休憩中に(糖尿病の悪化で)救急車の世話になり、その入院中に病室を抜け出して煙草を買いに行ったことがバレて、病院を叩き出されたりと、外見では持病は分からないものなので、気持ちを表す品物には限られてきてしまいます。

2014年08月18日

色づき始めた稲穂

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私の甥の一人に、小学生低学年だった頃の集団登校で、田んぼの土手沿いに見えた富士山に目を奪われて、溝に落ちたという経験を持つ粋な若者がいます。

夏もここ二ヶ月ほどは、田んぼの稲草の新緑から微妙に移り変わる緑に、目を奪われ、私も車の運転をより注意する必要に迫られています。

農業振興区域にある環境に済む役得でもあり、なにより目の保養にもなっています。

2014年08月24日

アカザの杖作り・・・1

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近くの土手へアカザの草を探しに行ってみた。

デイサービスでお仲間入りをさせてもらったコジャック親父の家で見た、昔、東映の漫画や実写映画で見た,「猿飛佐助」の忍術の師匠の戸沢白雲斎が持っているような杖があったので、何処で手に入れたのかを聞いたところ、自宅近くの空き地に生えていたアカザの根を乾燥させて作ったという。

アカザは雑草で、草の根元が赤いことから付いた名前とのこと。

探せば空き地や土手にいくらでも見つかると言うので、散歩がてらカメラを持って(距離にして1キロ以上あるし、疲れもあったので、車で)外出してみたが、この日は見事にハズレとなりました。

2014年08月29日

アカザの根の杖作り・その後

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今週月曜日のリハビリ開始前に、コジャック氏がアカザの葉を持って来てくれた。

  先日は闇雲に土手や空き地に探しに行って、見つからなかったことを雑談で話したのを耳にして、わざわざ氏の近くの空き地から採取して来てくれたものです。

時により細々とした心配りをしてくれるコジャック親父に、親父から氏に格上げする私もゲンキンなものです。反省。

訓練所では葉がしおれていたが、帰宅後花瓶に水を入れてさしておいたところ、生命力が強いのか4日経ってもしおれる気配がない。

戦時中はほうれん草や小松菜の変わりにおひたしや、みそ汁の具にして食べたようで、誰がこの雑草が食料になることを知ったのか、食糧難を経験していない世代には分かりようがありません。

 また、誰がこの野草の根が、杖に出来ることを知ったのか 、先人の知恵恐るべし、年寄りは知識の宝庫ですね。

コジャック氏は小鳥のエサ用に採取していたようで、灰汁抜きなどは必要が無いとのこと。

アカザは成長するとシロザとも言うようで、身近に参考資料があるので、今度は探し易くなりました。

2014年09月19日

アカザの杖作り・その後・・・2

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コジャック氏の家の近くの空き地に、アカザの密生地があり、杖を作るならと、蚊に10カ所以上刺されまくって、採っておいてくれたと電話をいただいた。

デイサービスの訓練所内では利用者同士のモノの遣り取りは原則禁止なので、連絡があった翌日、車で15分ほどの距離のコジャック氏の家へ向かった。アカザの茎を貰ったついでに、近くの空き地に密生地の様子を見に行ってみた。

ところで以前コジャック氏の家でみた杖は、写真左側の杖がアカザの根の杖と勘違いしていた。(よく見れば根では無いことが分かるんですが、私も粗忽ですね)

実際は中央がコジャック氏手作りのアカザの杖。両側の杖は別物で、素材は不明とのこと。

右写真のアカザの密生している空き地に入って、杖の太さにちょうどいい茎のアカザを新しく抜いてくれた。

中央の写真に写っているアカザは、高さが2メートル30センチ近くあり、2メートル以上成長の、アカザの茎の太さのものでなければ、杖に適さないとのこと。

家に持ち帰った翌日、適当な長さに切ってみたが、雑草の茎とも思えないほどの硬度があった。

2014年09月24日

アカザの杖作り・その後・・・3

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コジャック氏からアカザの茎を3本貰ってきた翌日、一本を作業台のバイスに、たわんで湾曲した箇所を挟んでほぼ一週間。

屋外の作業台のアカザは、仕事部屋に置いた残り2本のうちのアカザの肌と比べて、色が違って乾燥がすすんでいます。

乾燥する前に、根の部分を握り易くなるよう工夫するつもりだったが、根が小さすぎるので、握り手だけを先日バージョンアップにきてくれたパソコンの師匠の森 裕さんに頂いた桑の木で作ることにした。

やるべきことが多くて、体が前に進まず、何時出来ますことやら。

 

2014年09月29日

レコード盤の溝掃除

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家の近くのリサイクル・ショップで、格安どころか、アルゼンチン・タンゴの名盤のLPレコードが20分の1の値段で売っていた。

独身時代に友人から借りたLPに、埃取りスプレーと間違えて、木炭画の定着液のスプレーをかけてしまった経験があり、その後自作の机を作っていたときに、定着液のこびり付いたレコードを思い出した。

ダメ元で木工ボンドで掃除をしてみたところ、見事成功してからLPレコードの汚れが、ヒドイ場合は木工ボンドですることにしていた。

 

買ってきたレコードは、案の定スクラッチ音が激しく、針を痛めてしまうので、木工ボンドで溝掃除をした。

ボンドを均等に延ばして、約2時間半。(注・ 木工ボンドは、透明になった直後、ボンドの柔らかいうちに剥がさなければならない)

表面が透明になったので、パックを剥がすと、新品のようにきれいな面が現れた。

まだレコード鑑賞にこだわっている方も、自己責任でお試しあれ。

2014年10月22日

アカザの杖作り・その後・・・4

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コジャック氏の家から30メートルほどの空き地に密生していたアカザの茎を、杖にするため3本ほど貰ってきたのが先月半ば。

その約一ヶ月ほど後に、杖に使うなら理想的な太さになった頃あいというので、コジャック氏の近所の人総出で、掘り出して貰ってきたのが右側の2本目と3本目。

右端は病気で倒れる前に、木工作品で使うつもりで保存してあった鬼ぐるみの枝。

アカザが雑草の茎だとは、試しに杖として使ってみたが、驚くほど強度と弾力があり、誰も分からないのでは。

実際に計ったわけではないので、確証はないが、強度も鬼ぐるみの枝に遜色は無いようです。

最初に手に入れた写真左のアカザの茎3本は、家の中で使うことにした。

これから完全に乾燥をさせて、握り手の完成を目指すことになる。

2014年10月23日

アカザの杖作り・その後・・・5

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アカザの茎の一番太い方の長さは、ほぼ1メートル。

先月採取した細い方の茎は、杖にするにはなんとも頼りないが、市販の杖と比べてみても、味わいが数段上で3本とも気に入っています。

デイサービスで見かける女性用の杖の長さや径も、これとほぼ同じようです。

世話になった女性のプレゼント用として、作り置きおきしておくのも良いかも知れない。

左側の上下二段の写真の、杖の横にあるのは完成前の猫型の握り手です。

先日、BSで放送していた「名探偵ポアロ」が持っていた杖の握り手は、たしか白鳥を型どったデザインに見えたので、ペリカンやカワセミでも、細い方のアカザの茎の握り手に好いかも知れない。

太い方の杖には、猫の他に柴犬や、ブルテリアの空飛ぶ姿を考えています。

 

2014年10月24日

アカザの杖作り・6・・・握り手

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猫の握り手5種類。

左下の木以外は、半世紀前に姉から貰ったタイかインドネシアの神様(?のようなもの)の置物を4分割して成形(バチアタリ!デスネ)。

材質すべて不明。

それぞれ50%の出来なので、なかにはその日の気分によって、狸に変化するのもあるかも知れない。

これからやすりがけが始まります。

2014年11月20日

回復期リハビリ訓練・・・83 棒ヤスリ立て

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近年頓に、捜し物をしている時間と回数が増えた気がする。

木工作業中に、捜し物が始まるとストレスが溜まるので、何とかしないといけないと思っても、なかなか実行出来ないでいた。

工具のなかでも、ヤスリは棒ヤスリから、紙やすりで自作したものまで数種類あり、引き出しもそれぞれ別だった。

写真の棒ヤスリは、荒から仕上げまであり、ワインのコルクをつけたモノなど、別々の三カ所の引き出しに入って、作業効率が悪かったので、ひとまとめにして、いつも目につくように仕上げたもの。

オートマタや、アカザの杖作りがすぐに着手できる環境作りまで、まだやることが控えていて、時間がかかりそうです。

2014年11月30日

回復期リハビリ訓練・84 アカザの杖の成形

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アカザは不思議な雑草だった。

いったい誰が、この雑草が食べられると分かり、杖として使えるのを知ったのか、今の生活環境からは想像も及ばない、昔の過酷な時代に生きた日本人に頭が下がります。

冬に向かって、左半身の麻痺が顕著に影響を及ぼし始めたが、活動を止める訳にはいかず、重い腰を上げるべく、ようやく昨日からアカザの杖作りに取りかかれた。

始めに、握り手をはめ込む為、直径・深さ15ミリに紙ヤスリで成形をしてみたが、クルミやビワ等の木の枝とは違って年輪はないが、硬度はほぼ同じに感じられた。

230〜400番の紙や棒ヤスリで成形して感じたのは、ものすごく堅い石膏を削っているような感覚で、真っ白い粉が舞い散る。

次に、大まかに切り出した犬型の握り手を仮り組みしてみたが、日常使っている自作の鬼ぐるみの杖よりかなり軽いので、杖として使うのは、若干心許なく感じられる。

この後、犬型の握り手の成形に入ります。

2014年12月05日

回復期リハビリ訓練・85 犬型握り手のアカザ杖

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犬型の握り手の成形は、満足の出来とはいかなかった。

悲しいかな、これが現在では自分が出来る精一杯の仕上がりなので、現実を認めるしかない。

敗因は、凝り性の性格をセーブ出来ず、霧中でつっぱして作ってしまった事。

が、腕慣らしとしては十分で、次のオートマタ制作に、このまますんなり入ることが出来そうです。

握り手の材はブラックウォルナット 、犬の鼻だけ直径3.5ミリの黒檀をはめ込んでます。

握り手と杖を装着する前に、アカザの杖にワトコのセピアカラーのオイルを付けたところ、マダラになってみすぼらしくなってしまった。

あわてて黒のプラカラーを吹きつけてしまって、余計に台無しになってしまった。

左上の握り手は、ワトコオイルを塗る前で、下2点は塗り終えたもの。

出来は満足とはほど遠いが、アカザの情報や現物(茎や種など)をくれたコジャック親父に、遅まきながらプレゼントとなった。

 

2014年12月29日

リハビリ訓練・86 羊のオートマタ設計図

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年賀状用に羊をテーマにした、カラクリ3Dカーツーンの設計図は、年末4週目の土曜日に完成。

ブナ、黒檀やシタンなどに各部を大和糊で接着し、切り出しと、大わらわで作業一日が終わった。

その間、先に進める部位の作業はしていたが、大晦日まであと三日。

年賀状印刷まで年内に間に合うか、という余計な考えは、ここまでくると入り込む余裕すらない。

雑用は出来ませんと、家内に厳命したはずですが、「灯油があと僅か」、「ガソリンが切れそう」、「(先日バックミラーを損傷)整備工場への支払いを早く済ませて」等々。

敵は【徐々に堤防を決壊させる術】を使ってきています。嗚呼。

2014年12月30日

リハビリ訓練・87 カラクリ3Dカーツーン制作事故

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アクシデント発生!

木工用バンドソーに装着している、ケルヒャーの掃除機がクラッシュしてしまった。

モーターは動いているが、吸い込まなくなり、バンドソーのサイドカバーの隙間から部屋中にパウダー状の木屑が舞い散って、慌ててストップしたが、辺り一面木屑の粉だらけ。

仕事部屋の隣が台所だったので、すぐに掃除にかかったが、まずいことに時間帯は夕飯時だった。

この日は我が家では厄日だったようで、ダイソンの掃除機が壊れたので、家内がメーカーに電話で修理を頼んだところ、年数的にも買い換えをした方がお得と簡単に言われたという。

一流企業と思っていたが、自社製品に愛情と愛着を持っていないことが分かり、ガッカリ。

家内の掃除機はともかく、カラクリ制作は完成まで、工夫が今まで以上に要求されてしまった。

写真は前日撮ったもので、説明内容が今日のアクシデントで吹き飛んでしまった。

2015年10月15日

リハビリ訓練・88 椅子の修理・・・1

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約半年前に、いつも使っている椅子の、細竹で編んである側面に、うっかり傷を付けてしまった。

最初は小さな傷だったので、気をつけて使っていたが、先日以来、家内に注意されていたことを思い出し、椅子の側面をまじまじ見て、尻に火が付いてしまった。

傷が付いたた時点で、修理をしていれば良かったのだが、後の祭り。

これをどうやって穴塞ぎするか、刀の鍔や蝶々、兎など型どった板きれ2枚で挟めば良いと思いついたが、結局もっともシンプルなシルエットの古典的な千鳥に落ち着いた。

早速端切れで作ったが、どうも納得できない。(つづく)

2015年10月16日

リハビリ訓練・88 椅子修理・・・2

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適当に選んだ端切れを、千鳥の形にして真っ二つにスライスしたが、

この後の手間を考えると、椅子の色と同色のニスを買いに行き、数度の塗り重ねの時間と手間を考えると、保存しておいたブラック・ウォルナット(上写真)を使うことの方が無駄がない。

このような余計な諸々の雑用を重ねてきたツケで、右腕の慢性的な筋肉痛がひどくなり、痛みで夜中に目が覚めるようになってしまった。

筋肉痛は右肩から首に伝わり、右上の歯茎も腫れ、右顔面も膨らんで、昨日から片面がブルドッグのような顔になっている。・・・・・いやはや。

2015年10月18日

リハビリ訓練・88 椅子修理・・・3

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筋肉痛をおして、雑用に励んだ千鳥の椅子はようやく完成となった。

千鳥の木片をサンドイッチしたときに、前もってクリップを用意していなかったので、嘴の部分が少し空いてしまった。

アタフタと大型クリップを仕事部屋に取りに行き、手すりの幅が予想を超えて太かったので、手持ちのクリップでは十分機能しなかった。

右上の千鳥はニスを塗る前のもの。

冷や汗三斗で塗りおえてから、段取りの悪さを痛感した。

この後、黒檀の切りカスを成形して、編み目と嘴の間にはめ込むことになり、また余計な時間を喰う作業が増えたので、仕上がりは十分満足な出来とは言えません。

2015年11月06日

リハビリ訓練89・・・ハロウィンのカボチャ作り・1

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【ハロウィン】という言葉を最初に知ったのは、スヌーピーのマンガからだった。

このビーグル犬が主役のマンガが、日本で大ヒットして、ピーナッツというタイトルの単行本(当時珍しかった日米対訳のマンガ)を私も当時、買いあさったものだった。

で、シリーズの何巻目か忘れたが、主人公のチャーリー・ブラウンがカボチャ畑の中から、「カボチャ大王がやってくる」という意味不明な独白で、それがハロウィンの日だったのが最初だった。

このピーナッツのシリーズ本が大ヒットしたのは、40数年前のことだったと思う。

以来、近年まで「ハロウィン」が何なのか正体不明で過ごしてきた。

近年急激にこの祭り?が流行、孫にまで伝染して、「ハロウィンを作って」という気楽な一言で、ここ一週間カボチャ作りに没頭させられることになってしまった。

まだ完成途中だが、岩槻城址公園での人形供養や、家内の精密検査の送迎やら、雑用を挟んで完成間近となりました。

2015年11月08日

リハビリ訓練89・・・ハロウィンのカボチャ作り・2

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設計図を描かず、頭の中でイメージして作り始めたものだから、そのツケが現れてしまった。

カボチャの底に穴を開けた時に、手順が間違っていることに気づき、直径24ミリの穴あけの途中、電動ドリルで危うく大けがをしてしまうところだった。

結果、傷だらけのカボチャになり、間抜けなことに九分近く完成の頃に、設計図を引く体たらくで、無計画で始めた罰を受け、作り直すことにした。

とりあえず、この四つは完成させて、仕切り直しです。

カボチャの材は栃、ヘタは月桂樹で、小のカボチャがカリン、画面大きい方が、天地125㎜×左右117㎜・奥行き92㎜。小は天地102㎜×左右95㎜・奥行き76㎜。

2015年11月12日

リハビリ訓練89・・・ハロウィンのカボチャ作り・3/3

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今朝は起き抜けにカボチャの完成を急ぎ、ようやく手が離れてホッとしています。

作りたてなので、ヘタと実の部分を接着したボンドが、まだ乾いていません。

問題だった制作手順を、これから確認のため再度制作に入るつもりです。

が、春から制作のオートマタ(羊牧場)がまだ完成しておらず、これが四六時中頭の隅に引っかかり、気になって適いません。

また、年賀状用の猿のオートマタのアイデアも真っ白のままです。

気力体力はもう少し体重を増やせばクリア出来るのではと思うのですが、医者からは、今の体重を維持するよう言われているので、ままなりません。

2015年11月14日

リハビリ訓練90・・・カボチャ作り・第二ラウンドの1

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今日から木工カボチャの制作過程を、毎日順次紹介していきます。

第一日目、午前中から車で数件、買い物(ヤレヤレ)、昼に帰宅して食事。

その後灯油を買いに出て、本日手に入れたSサイズの卵大のLEDライト(カボチャの中に入れる灯り・中国製の卵型ライト)に、ボタン電池を装着しようとしたが、これがとんでもない代物で、四半時もがいて結局ボタン電池を中に入れる事が出来なかった。

孔子や孟子を先祖に持つ国の子孫とも思えない、売れればめっけものという拝金主義丸出しの代物だった。

気分一新して、ようやく作業の開始が、午後三時。

桑(厚み36㎜)や栃の板(厚み45㎜)をカットして、今日は時間切れとなった。(ヤレヤレ)

2015年11月15日

リハビリ訓練90・・・カボチャ作り・第二ラウンドの2

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第二ラウンドの二日目は、作業の遅れを取り戻すべく、また、雑用が勃発しないよう念じて制作に没頭。

昨日大まかに切り分けた木の木目を見ながら、カボチャサイズにカット。

その大小の板を、バンドソーで2枚から4枚にスライスした。

電動工具は一寸した不注意で大けがをしてしまうので、ゆっくり慎重に切り分けていく。

昼食後も、長めの休憩を入れて作業したが、三時過ぎ辺りから集中力が途切れだしてきて、スライスした板が不揃いの厚みになり、危うい場面が出だしてきたので、4時近くになって二日目を終了。

欲張って強引に作業したところで、片腕生活が日々目一杯の自分に、両腕が使えなくなることを想像すると、目も当てられない。

2015年11月17日

リハビリ訓練90・・・カボチャ作り・第二ラウンドの3

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カボチャ作りの作業は遅々として進まず。

下準備の途中で時間切れとなりました。

ま、こんな日もあります。

2015年11月18日

リハビリ訓練90・・・カボチャ作り・第二ラウンドの4

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カボチャ作りの四日目は、18時過ぎまで作業となった。

右腕の筋肉痛が慢性的になり、疲れも溜まっていて強引に作業をしていたのか、制作中、糸ノコを連続して4回も、折ってしまった。

木の厚みと堅さに糸ノコの選別を間違っていたのかもしれません。

で、カボチャ作りはここで一休み。

2〜3日、本業に没頭することになります。

2015年11月23日

リハビリ訓練90・・・カボチャ作り・第二ラウンドの5

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電動ドリルに装着する【回転サンダー】を作る。

一日の作業で完成するとふんでいたが、あれもこれも必要だった事柄が出てきて、ますます横道に逸れてしまった。

右上の7つは回転サンダー。

16と24ある溝に、ベルトサンダーをばらして、型に切り分けたヤスリを取り付ける予定です。

他に、上左の変形S字の木屑は、自作の杖を壁に立てかける際に、倒れて破損してしまう恐れがあったので、杖の握り部分にっかけておく【杖支え】です。

下の富士山型の4つの木屑は、作業中にコードが手足にひっかかって危ないので、壁や台に納めておく【コード支え】?です。

と、言うことで、これで・・・・いつまで経っても先へ進めない訳です。

2015年11月24日

リハビリ訓練90・・・カボチャ作り・第二ラウンドの6

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横道作業も(問題発生が突然起こらなければ)トンネルから抜け出せそうです。

右端は、いつも杖を置く場所に昨日完成した【杖支え】を装着した証拠写真です。

室内用の杖は、三和土に落としたり、風呂場のタイル床に倒して(握り)が破損する都度、デザインが変わり、この春先から形がこれに落ち着きました。

右手で」コーヒーカップを持ち、小指を杖の穴に引っかけて移動することが多いので、デザインは不格好でも、自分に合った杖になっています。

中央は、糸ノコ盤、左上写真はボール盤、その下はベルトソーそれぞれのコード支えを接着したもの。

これでようやく、コードを絡ませて作業中断なんてことが起きないようにな(?ったのかな)りました。

2015年11月25日

リハビリ訓練90・・・カボチャ作り・第二ラウンドの7

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電動ドリルに装着する自作の回転サンダーが完成した。

まだボンドが乾いていないので、試していないが、これからの使い心地で不具合を見つけて、工夫改良するつもりです。

2015年11月26日

リハビリ訓練90・・・カボチャ作り・第二ラウンドの8

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ハロウインカボチャの作業途中、横道に入り込み、そのトンネルから抜け出したすぐ後に、よそ見が始まってしまった。

今年の干支の、カラクリ【羊牧場】が完成しないうち、次の年賀状用のカラクリが頭の中を占領してきて、ハロウイン・カボチャのスライス板をボンドで接着している時に、ようやくアイデアが浮かんできた。

来年の干支の猿を、どのようにして遊ぶか、ここ数ヶ月悩みの種だった。

が、近所の骨董店で見かけたホンダのモンキーバイクを思い出し、インターネットでモンキーバイクの画像を調べたが、どうもしっくりこない。

こういうときに助けになる友人を思い出し、モンキーバイクの情報を教えて貰うべく助け船のメールを打って、本日の作業が時間切れとなりました。

2015年12月02日

リハビリ訓練90・・・カボチャ作り・第二ラウンドの9

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マイナンバー登録の申請を手伝うため、高齢の母親の顔写真を撮りに行ったり市役所廻り等、その他雑用の手助けに群馬まで行ってきた。

直接、市役所まで連れて行き、母親一人に写真等必要書類を提出してもらったが、ポストに投函し直して下さいと、書類を返されたという。

高齢の老人に、自宅に戻って近くにポストが有るか無いか知らないが、突き返した市役所の対応に、無性に腹が立ってきた。

このマイナンバー登録で、情報漏洩等問題が起きた場合、登録制度の発案者や推進メンバーたちは当然責任を負わなければならないが、その覚悟があって進めているのだろうか。

今まで、個人情報は厳守するといいながら、守られなかった企業が何社出たことか。

当然、疑問がおおいに湧いてくるところです。

話題変わって、ハロウィンのカボチャ作り第二ラウンドは、制作が大幅に遅れ、現在までの結果はこの程度です。

2015年12月05日

リハビリ訓練90・・・カボチャ作り・第二ラウンドの10

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カボチャ作り第二ラウンドも先が見えてきました。

大まかに成形したスライス板2〜3枚を合わせ、カボチャ半身分を一つに接着したのが、上中央のカボチャです。

他はボンドを付けたスライス板を接着している途中で、それぞれ重しをかけています。

上中央のカボチャの底辺の穴は、卵形の小型LEDライトを入れて灯りとします。

接着が固まったら、この後は、ベルトサンダーで形を整え、ヘタを取り付けて完成です。

2015年12月06日

リハビリ訓練90・・・カボチャ作り・第二ラウンドの11

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昨日の内に2つは仕上がると踏んでいたが、見通しは今回も甘かった。

今日はどのくらい仕上がるか分からなくなってきました。

早く、年賀状用の猿のオートマタの設計がしたいのだが、気は焦るばかりです。

2015年12月07日

リハビリ訓練90・・・カボチャ作り・第二ラウンドの12

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直径12㎝強のカボチャの球体に、筋を付けるには両手がなければ出来ません。

両脚で挟んだり、クランプを工夫して固定を試みたが、ヤスリをかけると動いてしまう。

結局、物置にあった古いこたつの脚が役に立った。

こたつの脚の片方にあるねじ山に合うボルトで、カボチャの底の灯り入れの穴からこたつの脚を入れ、頭の上のヘタ穴にボルトを通し、カボチャを固定して、思うように削る事が出来た。

カボチャを固定することに行き着くまで、随分と時間がかかり、完成は日延べとなった。

とりあえず、カボチャ作り第二ラウンドの一つ目が、今日にも完成できそうです。

残りは、モンキーバイクのオートマタ設計が済んでから、手を付けると致しましょう。

2015年12月08日

リハビリ訓練90・・・カボチャ作り・第二ラウンドの13

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完成です。

灯りを入れたら、問題点がまた出てきました。

それは第二ラウンドの2作目から、解消を図りたいと思います。

とりあえず、後は、バフをかければ手が離れます。ヤレヤレ。

2015年12月09日

申年オートマタの1

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年賀状に使うカラクリの原案がとりあえず出ました。

これから最初の案の設計図を作ります。

カラクリは単純にしないと、自分の首を絞めることになるので、凝らないよう自分に言い聞かせながらの作業がこれから始まります。

これは原寸大のカラクリの原案ですが、この通りに作る訳ではありません。

ホンダモンキーバイクに乗ったゴリラと、モトコンボに乗った親爺との【からみ】の情景が分かるように、展開させて設計にはいります。

2016年02月08日

リハビリ訓練91・・・閑話休題

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リハビリ訓練の送迎で、いつも車の中で見かける、あるお屋敷の広い庭の一角にこの花を見かけます。

丁度昼過ぎの、椿の大木の葉の間から漏れる日差しが、花に差しこんで、いつもは花など見向きもしない男が、この花の時だけは、日頃のウップンなど吹き飛んでしまうほど和ませてくれます。

蠟梅という名だそうです。

2016年02月21日

リハビリ訓練92・・・闘い済んで

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フリーランスになった頃に作ったライトテーブルは、ようやく終の棲家に収まったようです。

ここ十数年は使っていなかったが、オートマタの製図で使うことになったので、モニタの後ろ、プリンタ下に棚を作って収納できました。

この写真で見ても、いかに狭い仕事部屋か想像できます。

しっかり計って作ったつもりでしたが、ライトテーブルと棚の隙間の幅を5〜1㎝ほど空けて、組み立てたのですが、くっついてしまいましたね。

ライトテーブルを簡単に引き出せるよう、取っ手を作って、早めに付けなければならなくなってしまいました。

ちなみに、ガラクタオートマタ作品群の乗った天板の裏は、プリンタ上の天井になります。

ここにケーブルを収納する柵を作り、インターネットケーブル類が納めてあるのが見えます。

 

2016年03月19日

リハビリ訓練95・・・続々・閑話休題

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彼岸の入り翌日の昨日、母親を誘って先祖の墓参りに行ってきた。

出発は7時だが、もう、この時間帯で、墓参りに向かう車も混ざったように渋滞で、群馬の母親の家に着いたのが9時。家の前で母を載せ、東北自動車道の館林から横浜へ向かう。

高齢のためトイレが近くなったという母親に付き合って、東北自動車道の蓮田パーキングで一休み。

浦和で高速を降りてGスタンドで休憩、と、横浜みなとみらいで高速を降りるまで計5回の休憩が入った。

黄金町駅西口近く、先祖が眠る菩提寺に着いたのが13時前。

お参りを済ませ、とんぼ返りで高速横羽線、首都高5号線から東北自動車道、ここで遅い昼食が入り、館林で母親を降ろしたのが16時半。

帰宅途中10分の睡眠を入れ、我が家までの総距離350㎞、、18時着で愛車の実働時間は11時間。気力体力がやや復活したような、でも、まだ全快ではないと実感した一日でした。

上は、カラクリ台基礎の細工途中の写真。左手が使えない役を工具でこのように補助しています。

2016年03月29日

リハビリ訓練96・・・桜咲く

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わが村(?)の自治会館庭に植えてある桜が、ようやく花開いた。

自治会館前の道はあまり利用しないが、環境庁の開花宣言を聞いていたので、今朝は起きがけに見に行ったところ、全体の八割ほどが開花していた。

子供の頃、近所におっぱい坊やと陰であだ名されていた年上のガキ大将がいた。

毎年桜が咲く時期になると、「桜が咲いた咲いた野に山にィ」と、歩きながら大声で歌う声が、半世紀以上経った今も耳に残っている。

2016年04月06日

リハビリ訓練97・・・桜見物

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桜を撮りに行こうと思い立ったが、浮かれて桜見物をしている暇はないと我に返る。

朝食後直ぐ、遅れに遅れているカラクリ作品作りに取りかかるが、どうやら、腰が据わっていなかったようで、磨き上げていた部材に重しを落として傷付けたり、なんやかやと失敗続きとなった。

こんな時は気分転換が必要と、デジカメを下げて車に乗り込み、数カ所ある近所の氷川神社の境内や公園の桜を撮ってきた。

自分では気づかなかったが、あたふた動き廻ったようで、半日でスタミナ切れを起こし、挙げ句、木工作業は出来ず、中途半端な一日になった。

イケマセンネ。

2016年04月13日

リハビリ訓練98・・・牡丹の花に嫌われた事

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一昨日、ドア・ツー・ドアのリハビリの送迎で車の中から、由緒あるあるお宅の広い庭の一角で、絵に描いたような大輪の牡丹が目に入った。

歳を重ねてきたせいか、蠟梅や桜など、花の開く時期が楽しみになってきたこともあり、その庭の持ち主の方に頼むと、快諾して頂き、牡丹の花をデジカメで撮らせてもらえることになった。

リハビリを終えて、帰宅早々デジカメを持ち出して家内と車で伺い、早速レンズを向けたが、シャッターが降りない。

何度か方法を変えてもダメ。

今までこんな事は無かったと、意気消沈して帰宅したが、なんとも納得がいかない。

家に入る前に、車の中でデジカメを点検して、試しにシャッターを押すと、パシャッという音で、デジカメの機嫌が直っている。

先ほどの事は一体何だったんだと、考えても一向に分からない。

今まで【身に覚えなく】女性に急に嫌われる事はあっても、大輪の牡丹の花にまで嫌われるとは思わなかった。・・・・・(タメイキ)・・・。

2016年04月14日

リハビリ訓練99・・・グラインダー収納台

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作りたい作品を作りたいように作る。

という当たり前なことが、以前の体ではなくなった今、ハードルが高くなっていることを認めない訳にいかなくなっていた。

【木馬とペット】の作品作りと並行して、作業環境作りもしなければ、いつまでもモタモタした作品作りを続けることになってしまう。

と、いうことで、置き場所も一定せず、必要な時にすぐに使えずに不便でならなかったグラインダーと自作の土台を、バンドソーを載せたこれも自作のキャスター付きの作業台に設置し、集じん機の吸入口を入れやすくする為、スライド出来るように作っています。

写真は、グラインダー台の底面を重しで固定し、左右にスライド出来るよう角材を接着しているところです。

2016年04月15日

リハビリ訓練100・・・グラインダーを設置

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長い間、置き場所が定まらなかったグラインダーがようやく収まった。

写真は右にスライドしたところです。

電源を入れて動かしてみたが、ブレやガタつきは無く、安定して作業が出来そうだ。

これで作業効率が少しは良くなるのではないかと一安心。

2016年04月19日

リハビリ訓練101・・・縦型ベルトサンダー設置

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右腕の慢性的な筋肉痛で、夜中に目が覚めるようになってしまった。

これも右手一本を酷使した為で、仕方なく、木工作業の磨きを機械に頼ることにした。

前々から欲しかった縦型ベルトサンダーをアマゾンで注文したが、作業部屋は満杯で、この電動工具が収まる場所はと、無い知恵を絞って探しまくった。

で、ボール盤の後ろに隙間が出来ていたので、この新参者の工具の台を急遽作って一安心となった。が、問題が勃発。

この工具の説明書が英語だったため、ベルトの交換方法など、さっぱり分からず、研究の余地がおおいに残ってしまった。

2016年04月22日

リハビリ訓練102・・・カラクリ仕掛けの試作を2点

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毎週通っているリハビリ訓練所の壁に、趣味の油絵やイラスト、書など、難病等を抱える訓練所の利用者の作品が展示されている。

その中に、プロカメラマンの作品と覚しき見事な風景写真一点が、数ヶ月毎に掛け替えられて魅了されています。

その作品に触発された、という訳ではないが、私はというと来年に向けて、カラクリ作品の個展開催を目標に、体と相談しながら(怠けながらですが)作っている。

そのカラクリ作品の試作の前段階ですが、歯車の動きや仕掛けをどのようにすれば、スムーズに動くか、試しに作ったモノが数点捨てずに残っていた。

去年の8月と9月に作ってあった(カテゴリー3Dイラストの8/8と、9/23日参照)モノの一部を、諸先輩の作品の展示のお仲間にして貰うつもりで作り直したのが上の写真です。

こんな寄り道をしているから、いつまで経っても完成品が出来ないのである。

2016年07月17日

虫喰いオニグルミの枝で・1

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 極狭の仕事部屋の床に、オートマタ作品で切り落とした端材等を、木の種類に分け、目の粗いかごに入れ、部屋の角や机の下など、空いたスペースに積み重ねて保存してある。

 この他に、数種の枝も手元に置き、何時でも使えるようにしてあります。

 で、極狭の中での作業は、身動きが制限されるし、キャスターや椅子の背にぶつけて、かごから飛び出た小さな木片など、作業中にうっかり踏んでしまうと、大怪我になりかねないし、それでなくとも粗忽な性格ゆえ油断は禁物、最近は置き場所が無くなってきたため、危ない場面が増えてきた。

 またもや寄り道となり、仕方なく解決策を、エアクラフト作りと決めた。

壊れた脳みそでは、こんなアイデアしか出ないのが寂しい。

他に端材を消化する思いは浮かばなかったので、とりあえずはGeeBee R-1という愛くるしいスピードレーサーの、熊ん蜂(愛称は自分で勝手に付けた)を作ることにした。・・・続く。

2016年07月18日

エアクラフト翼比率

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半月ほど前に、気分転換で見ていたユーチューブで、バンドソーだけで、複葉機を作っている映像を見た(DIRESTA Bandsaw Biplane)ことから、前々から20世紀初頭の飛行機を作ってみたいと思っていた事から気持ちに火が付いてしまったんですね。

バンドソーでジービーを作れるまでは、まだテクニックができていなかったので、最初からやり直しとなった。

この間、大切に使って居たバンドソーの替え刃を2本おしゃかにしてしまった。

我が地域にこの替え刃を用意している店舗が無かったことで、先日は雑用しがてら、実家のホームセンターまで、買いに行き、ようやく再始動となった。

力量不足のうえ、やり慣れないことをするもんじゃないと、反省。

上の写真は右上から、ジービーR2、ボーイング・ピーシューター、左上からピーシューター、ソッピーズ・スナイプ、フォッカーD.VLL。

ジービーR2は前後が寸詰まりなので、余計に小さく感じます。

2016年07月19日

エアクラフト1:54スケール・・・1

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模型の縮尺が、多くは1;72や、1:36のスケールで作られていたと記憶している(たぶん)。

止むにやまれずの環境だったので、十分に準備したとはいえず、また、手探りで始めたので、中途半端な縮尺になってしまった感がある。

で、この写真はベルトソーの失敗から10日ほど後(だったと思う)で、こまめに写真を撮るほど几帳面な性格ではなく、今後は体と相談して写真をアップしていくつもりです。

2016年07月21日

エアクラフト1:54スケール・・・2

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作品を作る前に、手書きでラフスケッチを起こしてから、ほぼ同じスケールで立体を作るのが今までのやり方だった。

今回のエアクラフト1:54スケールのジービーR2は、どうやら小さすぎた感がある。

また、フォッカーなど複葉機の二枚の華奢で薄い翼を固定する支えも細く、固定しにくいので、大幅なデフォルメと工夫が必要のようです。

夢中になって作るうち、電動工具で指を怪我する危険性が高く、指先の痛みが長く続いていく予感がしてきました。

ジービーやピーシューター、など4種類の試作品は途中で破棄することはせず、作りあげることにするが、今後は1:54スケールの1.5倍か2倍の大きさで作るのが良いようです。

2016年07月24日

エアクラフト1:54スケール・・・3

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まだ、3Dどころか、このエアクラフト作りの制作手順も決まらず、時間ばかり無駄に使ってしまっている感がある。

寄り道もいい加減にしないと、作りかけのオートマタに、埃と木屑パウダーが積もってきて、変色も始まってきている気がする。

先を急がなくてはなりませんね。

で、これから、エンジン部とプロペラを先に完成させることにします。

2016年07月27日

エアクラフト1:54スケール・・・4

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実は、昨日ジービーR2を作る手を休めて、館林の実家へ行ってきた。

前々から叔母が会いたいとラブコールがあり、母からも折角だから、会いに来なさいというので、私らも行くことになった。

子供の頃、家族の中で一番好きだった叔母は今年85歳になり、今年初めに結核で入院していたとのこと。

この20日間のベット生活で、足の筋肉が無くなり歩けなくなったので、リハビリ(ヨガの)訓練の末ようやく(危なっかしいが)歩くことが出来たようです。

85歳という高齢で病気がちだったこともあり、無理の出来ない日常のため3年ぶりの遠出ということで、残り少なくなった身内に会いたくなったようだ。

母や叔母夫婦も、勿論私もすっかりリフレッシュできた一日でした。

ということで、ジービーのエンジン部はここまでしか作れなかった。

2016年07月29日

エアクラフト1:54スケール・・・5

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エアクラフト作りの作業時間は、この日は午前中で終了。

ジービーR2の機首部の成形はここまでとなった。

体力と機能保持のため、本日午後一杯は有酸素運動をする日だが、まだ時間があったので、ベルトソーでコクピット部を切り出すつもりが、動かそうとすると、何の反応も無い。

作業に欠かせないベルトソーの、コンセントの首近くのコードを動かすと、反応があったり消えたりする。

どうやらコンセントの首近くの内部が断線したようだ。

リハビリ終了後は、帰宅すると直ぐに車に乗り込み、アース付きのコンセントを、電気店ではなく、ホームセンターまで買いに出かけた。

が、一件目も、二件目のホームセンターも覗いたが、アース付きコンセントなど有る訳が無く、自力で修復するしか手立てが無い。

断線した部分を切断して驚いたことに・・・続く。

2016年07月30日

電源コードを修繕

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ベルトソーのコード断面はかくのごとし。

子供の頃に作った模型の小さなモーターに付いてたコードほどの貧弱さだった。

これで、モーター回転数・毎分1400〜1700回転、切断能力120㎜厚までの、時には堅木を切断していたと思えない貧弱さだった。

左手はモノは掴めるが、コントロール出来ないので、ハンダ付けは右手だけでコンセントの雁首を付け直し、ビニールテープで補修固定まで、午前中一杯かかってしまった。

これで一安心!・・・とはいかなかった。

まだ、断線部分がコード中央にあったようで、一からやり直しになっている。

製品は日本だが、中国で作られているので【信用できない】ことこの上ない。くわばらくわばら。

2016年08月05日

エアクラフト1:54スケール・・・6

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ジービーR2の主翼車輪の切り出しを終え、コクピットの切り出しの途中写真です。

5日前に、90番?の荒目のロールサンダーで作業中、薄めの小さな板が成形中に突然指から離れ、人差し指先端を思いっきり削ってしまった。

ここ数日は、シャツのボタンかけ等日常の動作や、リモコンや、マウス等、無意識に人差し指先端を使って、そのつど痛みに難儀していたが、ようやく傷口が癒えてきたようなので、木工作業の再開です。

ベルトソーや、糸ノコ盤などは特に、小さなパーツは親指人差し指先端に力を集中して使うので、今もカットバンで二重三重に保護してるが、集中力が削がれるので、休み休みの作業となります。

 

2016年08月13日

エアクラフト1:54スケール・・・7

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数ヶ月前に、入浴中に体を冷やした事が原因?で、右膝の痛みが出たことに懲りた訳ではないが、今年の夏は、作業中どころか、終日冷房はせず、窓を全開に開けて木工作業をしている。

この猛暑と加齢や体調を考えると、何をするにもやる気に時間が掛かり、結果何も出来なかったという日も増えてきている。

と、いうことで、フルスクラッチのジービーレーサー作りは遅々として進んでない。

お盆に入った今朝がた、母親から墓参りに連れて行くように電話があったが、この猛暑のなか、首都高の渋滞やらなにやらで、後日にして欲しいと頼んだが、聞く耳を持たずの対応で、それほど行きたいのならお一人で行って下さいと、かなり乱暴な事を言ってしまい、中っ腹で強引に電話を切ってしまった。

口の利き方は元気いっぱいにとられるが、満足に行動出来ない現状は、他様には分からず、遅れに遅れているオートマタ作りも、ジービーレーサーのフルスクラッチビルドも、ろくに手に付かず、猛省の一日だった。

齢90の親に対し、も少し口のききようがあったんではないかと、大人げない自分に無性に腹が立った一日だった。

2016年08月18日

エアクラフト1:54スケール・・・8

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この夏は意地をはって、頑固に冷房をしなかったこともあり、昨日は気力も体力も一気にレッドゾーンとなって、終日ダウン。

クーラーを使いながら作業は、木屑パウダーが飛び散るので、数時間しか木工作業は冷房を使えない。

ま、気力体力は、加齢も考えれば、限界にきているのを認めない訳にいきません。

本日はここまでで、一休みとします。

2016年08月19日

エアクラフト1:54スケール・・・9

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思い描いていたジービーレーサーのフォルムを、これからたっぷり時間をかけて、手作業で削っていきます。

2016年08月24日

エアクラフト1:54スケール・・・10 ヤスリを作る

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市販の棒ヤスリでは、どうも具合が良くないということで、自作することとなった。

止むにやまれず、時間オーバーを覚悟で作ってみた。

丸棒ヤスリの握りを自然木にしたのは、単に探す手間を省く為で、これから使い心地等、折角作っても、このなかの何割かは淘汰されると思います。

2016年09月17日

自作したBGM用CD

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十数年前から、徐々に増えてきたリサイクルショップは、店頭で売っていたLPレコードなど、1枚でも10枚組セットでも当時は100円で買えていた。

当時、カラヤンの名曲10枚組セットを見た時は、躊躇無く手に入れ、その後はジャズ、ラテン、ポップス、果ては落語浪曲など、今では優に300枚を越えたと思う。

そのため、極狭の仕事部屋は置ききれず、殆どが実家に置かせてもらっているが、気に入った曲は、CDに入れている。

右上のフランシスコ・カナロのタンゴのレコードは、終戦後に販売された第一号レコードとある。

勿論、針を落とした瞬間から魅了され、レコードからCDに入れた最初の頃のコレクションです。

左下は、シドニー・ベシェのフランス版ジャズのLPで、店の棚から手にとった時は、一律廉価ではなかったが、一瞬でジャケットに魅了された一枚です。

最近はレコード盤復活ブームなのか、リサイクル・ショップのレコード売り場も、同じ趣味の(団塊世代?の)親爺共が急増している有様で、へそ曲がりの自分としては行く気も失せてしまっています。

2016年09月30日

エアクラフト1:54スケール・・・11 成形と組み立て

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雨模様の日が長く、イライラの毎日だった。

義母の入院している病院は車で10分程度の距離だが、雨の日は運転手を務めなければならない。

先日は一時停止中に、目の前で傘を差して自転車に乗った高校生が、警官に厳重注意?の場面を目撃した。

普段、自転車で軽い事故を起こしている家内が、雨の日に傘をさしながら歩いて行くことすら考えもので、最近も、歩きながら振り向いて、バランスを崩して転倒したことが一度ならずあったので、(シカタナク)ハンドルを握らざるを得ない。

と、いうことで、飛行機一機作るのに、遅れに遅れてこの有様は恥ずかしいかぎりです。

ジービー2の乗っている台座は、ヤスリがけし易い為と、正確な組み立ての為の、左手代わりの固定台になります。

2016年10月05日

エアクラフト1:54スケール・・・12 最終工程

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完成が見えてきた。

後は、プロペラ成形とワイヤーを主翼に貼ることと、台座に取り外しが出来るように固定するだけです。

2016年10月06日

エアクラフト1:54スケール・・・13 続・最終工程

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右下の写真のエンジン部は、プロペラや軸の成形作業等、付随する極小パーツをうっかり机から落として、探し回った挙げ句、結局作り直しがあったりで、思いの外手間取ってしまった。

主翼に張るワイヤについては、真鍮線やブロンズ線を用意して、主翼に充ててみたが、違和感があったので、結局全て木で作る事になった。

で、ドリルとロールサンダーを使って、一㎜径の木製ワイヤを途中まで作ったところで、昨日の作業は時間切れとなった。

 

2016年10月11日

エアクラフト1:54スケール・・・14 台座修復

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7月19日から始まったスクラッチビルドのジービー2作りが、完成に近づいてきた。

熊ん蜂(私が勝手に付けたジービー2の愛称)に付けた主翼に張る木製のワイヤ部が繊脆いので、触れただけで断線する危険がある。

で、台座が必要となった。

ところが、台座に使う木は、中央に汚いス(?写真左を参照)がある。

これを埋めるのに、裏表で埋木する(右手の台座写真)作業にまる一日かかってしまった。

また、熊ん蜂のワイヤは、手順の間違いがあって、張り直し作業をしなければなりません。・・・・ヤレヤレ。

 

 

2016年10月12日

エアクラフト1:54スケール・・・15 主翼上部のワイヤと箱作り

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木製ワイヤを先に、主翼上部に張ってしまったため、ワイヤが邪魔をして、熊ん蜂胴体をバイスで固定出来ず、張り直しとなった。

下部に張ったワイヤもあるが、熊ん蜂を台座に固定して、主翼上側にワイヤを張る方法しか残されず、また、胴体に付いた接着材を落とす作業も残っている。

で、当初の予定を変更して台座に固定した。

ここであせって作業を進めると元も子もないので、接着材が完全に固まるまで次に進めないので、昨日は時間切れになった。

今日は主翼上部のワイヤ張りと箱作りで、三ヶ月に渡る熊ん蜂作りから手が離れます。

 

2016年10月13日

エアクラフト1:54スケール・・・16 見直し修整

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今年の夏は猛暑日が続き、麻痺がきつくなるので、冷房は出来なかった。

また、台風も万遍なくやって来たため、気圧の変化に敏感な体に、よく影響を及ぼしてくれました。

ということで、癇癪持ちを自覚するこの怠け者にして、ようやくジービー2が完成となった。

制作中、今まで使った約三ヶ月の制作期間は、時間のかかりすぎだったと反省しています。

始動から現在までの総数は88日だが、一週間のうち、有酸素運動のリハビリに2日、午前中と帰宅後に少し作業をしたが、まる一日の作業でも休み休みなので、一日作業に組み込まれ、作業日に加算することは出来ない。

作業から離れた日は、月二回の実家の雑用等で群馬行きが8日。

雨や曇りの日など、家内を乗せて義母の入院見舞いの運転や、買い物等外出の機会も多く、作業途中に時間を割くこと度々で、日数計算で言うと、大雑把に見積もってまるまる25日くらいは使っていると考えます。

この他、館林の購入店へ故障したバンドソーを持って行き、製造元へ修理を頼んだが、意外と日数がかかり、バンドソーの修理に14日。

ということで、丸一日の作業は10日も無く、猛暑酷暑と向き合い、気力体力を細々と使っての作業なので、健常時の頃の作業と照らし合わせると、総・実作業日数は20日程度ではないかと考えています。

完成といってもこれから時間を少し空けて、見直し修理を行います。

2016年10月14日

エアクラフト1:54スケール・・・17 箱(格納庫)作り

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台座から主翼が飛び出ているので、破損防止のため、箱が必要になります。

前もって切りそろえて用意したシナベニヤの板は、計測を間違えてカットしていたので、作り直しです。

2016年10月19日

エアクラフト1:54スケール・・・18 仕上がり

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完成。

とまで言うと、おこがましい出来となりましたが、それでもジービーR2(熊ん蜂)は満身創痍の仕上がりとなった。

今、私の仕事部屋のなかで、作りかけや、中途で再考となった作品の木片が(ゴミの)山積みとなっている。

仕上がらなければ、ゴミ同然だし、作品にならないとなれば、何としても作り上げなければ、先へ進めないことから、青息吐息でようやくゴールとなった。

 制作中、癇癪を起こして、思わずたたき壊す衝動に駆られ、その都度思いとどまれた記念碑的第一号作品になります。

 

 

2016年11月23日

ココ騒動1

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新しい家族、ココが来て2週間。

未だにスキンシップを拒否する。

家猫で育ったはずなのに、野良猫のように人間を信用していないのか、手を出すと、威嚇とも恐怖ともいえないような態度をとる。

私がリハビリに行っている日に、次男が捕まえて大暴れの末、ゲージの中に入ったが、噛まれるわ引っかかれるわで、大騒動だったという。

写真右は、ココが我が家に来る前の、お見合い写真。

左は今朝撮りたてのココの表情。

明らかに前と今の表情が違っている。

人間不信の原因は、ココの尻尾が、半分以上無くなっていることに、あるのではと考えている。

家内の要求に応えてゲージを買ったが、私はゲージで飼うのは大反対で、一日も早く自由に歩き回れるように、飼い慣らす方法を考えているが、さっぱり解決の糸が見つからない。

2016年12月18日

オニグルミに茸?

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画面左は、8年前に撮った(樹齢約20年の)オニグルミの木で、中央が昨日の朝撮ったオニグルミです。

この木は我が家のシンボル・ツリーにするつもりで、大切に育てているつもりだった。

毎年夏になると、アメリカシロヒトリがクルミの葉に巣くい、毛虫嫌いの家内に、早く根本から伐採しろ、いや、ダメだの攻防が恒例になっていた。

この木の下で、クルミの葉越しに空を見上げるのが、私の至福の時間だったので、クルミの葉に巣くった粟粒ほどの、大量の毛虫を除去するくらいは、造作もないことだった。

しかし、7年前に突然脳出血で倒れ、不自由な身になってから、このオニグルミの木までも、様子が徐々におかしくなり、退院後2年程から、片方の幹から枯れ始めてしまった。

この時期に、枯れた幹の部分だけを伐採していれば、現在この奇妙なキノコが生えることもなかったのだが、如何せん、気力体力が追いつかず、見過ごしにしてしまったことを反省している。

10年ほど前は、毎年、数百のクルミの実がたわわに実って、収穫が楽しみだったが、思い返すと、私が病気で倒れる1〜2年前から実らなくなっていた。

写真左の茸は、去年は木の上に小さなものが少し生えていたようだが、今年は木の根元まで、数えると6〜7個ほどに増えてきている。

今年の冬は【生き残ってくれと祈りながら】根本から60㎝ほど残して、伐採することになった。

2017年08月24日

歳時記・129・松飾り

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2017年10月06日

めげないジュズサンゴ・1

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近々、家の前の下水管の交換工事があるという。

本管と家の下水管をつなげるには、玄関前の三和土やコンクリを壊さなければ工事が出来ないと聞ていたので、昨日家内が玄関まわりの植木鉢を整理して掃除をした。

それまで植木鉢の影で気が付かなかったが、コンクリの割れ目から芽を出したジュズサンゴが現れた。

移し替えることにして引っこ抜こうとしたら、コンクリのヒビ割れの下で根が張って抜けない。

どうせ工事の時にコンクリを外すのだから、そのときに移し替えればいいと、そのままにして楽しませてもらっている。

コンクリのひび割れは、ほんの数ミリしかないが、この過酷な環境で根を張る逞しさに、見惚れている。

2017年10月07日

めげないジュズサンゴ・2

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先月下旬のこと。

突然、千葉の某病院の看護師から、母の妹の大腿骨骨折手術の電話があった。

当方すぐには動けない事情を話して、叔母の連れ合いに電話を入れたが通じない。

落ち着かない時間を過ごしてその後、叔母の連れ合いから無事手術が成功したこと、叔母との間に子供がいないので、無断で緊急連絡先に我が家を使ったことの詫びがあり、約一ヶ月の入院で退院できるであろう報告があった。

それから、一瞬間もしないうちに、今度は母が世話になっている群馬の施設から、母の体調が悪く、大きな病院で検査があるので、翌日に来てほしい旨の電話をもらった。

検査結果では大きな病気はいまのところ無いようだが、現在はレントゲンその他詳しい検査結果待ちで、ここ十日ばかりは神経がクタクタでした。

そんな時に、昨日のジュズサンゴ近くでブロック塀を背に、二株並んだジュズサンゴを発見した時は、理由は分からないが、何かの符号を見たようで、今までの心配が薄れてきたように感じている。

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