(59)また計算が違った・2
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救急病院からリハビリセンターへ移動中に、介護タクシーの運転手から「あそこは以前乗せた九州の患者さんもリハビリ施設の充実している所だから、入院希望が殺到してなかなか入れないと言っていました」と、私の運が良いことをしきりに強調。幸先のいい転院となりました。もっとも、本当に運が良ければこんな病気には・・・・。転院しばらくは検査が続き、落語「あくび指南」じゃないけれど「退屈で退屈で・・・」の日々でした。
転院して4、5日後に回復期リハビリテーション病棟の四人部屋へ移ったのが4月下旬でした。これから本格的なリハビリ訓練が始まるわけです。
入院生活というものは初体験。リハビリ訓練も初体験と四人部屋生活がどのようなものであれ【三人寄れば満座の仲】、人見知りの激しい性格のまま今日まで来てしまって、今更社交的にとは無理な話ですが、兎に角人様を不愉快にさせないよう陽気な狸でいようと思ったものでした。
四人部屋の向かいのベッドに居たのがシバさん(仮名)69歳。
強面ですが職人肌で、私と同じような気質のようで、人付き合いは苦手なようでしたが、病院内の女性患者の輪のなかにまで入れてもらって人脈を広げてくれた恩人でした。
馬が合うというのか、シバさんも集団生活で感情をモロ出しする輩を避けていたフシがありました。
この病気は脳のダメージを負った部位によっては、感情がコントロール出来にくくなるようで、会話中突然泣かれたり、訳もなく当たり散らす輩がいるんですね。ま、病気だから仕方がないんですが。居たんですね、近くに。いやぁ、弱りましたですよ。
シバさんからもらった印象深かい忠告のひとつに「看護士には絶対逆らってはいけない」
当たり前と言えば当たり前なんですが、私がこの部屋に入る前の御仁がそうだったようで、いろいろ興味深いエピソードを聞いて、素直にこの忠告に従いましたね。
その後の闘病生活がいろいろな面で楽になり随分助けられました。
他の闘病仲間も似たり寄ったりでシバさんも、毎日ジョギングして健康生活を送っていたそうですが、酒好きが祟って左半身麻痺に。
退院前の一時帰宅のとき、家族旅行に行って温泉で晩酌を頼んだときに、長男にきつく叱られたと愛好をくづしていたのが印象的でした。
入院時80キロ近くあったそうですが、退院時はスリムになって60キロ台とのこと。
約50日のお付き合いでした。
四人部屋で前後して入ったのが、ムードメーカー、鳶のシロセくん(仮名) 20歳。
驚いたことに、救急病院ではカーテンを隔てた隣のベッドに居たそうで、救急病院ではシロセくんのお母さんが夜中まで話しかけていたのを覚えています。
消灯時間を過ぎたのに何と無神経なと思いましたが、その後、作業中6メートルの足場から転落して頭部を強打。一週間意識が戻らなかったそうで、私のベッドの隣に移った時は、意識が回復したときで、シロセ母さんはよほど嬉しかったんでしょうね。
ま、自分でもその立場だったら、夜中であろうと息子に一晩中話しかけていたと思います。
事故後のダメージは歩きに出ていました。少し酔ったようにふらついていましたね。
性格は シャイで素直な好青年でした。
入院中のシロセくんの邪気のないイタズラには、ま、楽しませてもらいました。
私より一足早く退院してしまい、三人となった部屋は灯が消えたようになったのを覚えています。
シバさんが退院した後に入ったのが、脳梗塞入院も4回目となる猛者で、当人曰く元ボクサーというタカさん(仮名)55歳。
眼光鋭く近寄りがたい雰囲気を撒き散らし、しばらく浮いた存在でした。
話しかけてみるととびきりのシャイだったことが分かり、現役時代の武勇伝を聞いて「あしたのジョー」の名トレーナーそっくりの風貌から即座についたあだ名がダンペイさん。
その後、食事のときにカボチャが皿に乗っていると怒りだし、食堂から部屋に戻っても怒りが収まらず、若い一年生看護士にまで説教しまくっていました。
当人の言い分は、入院した時にカボチャだけは避けてくれと言ったはずと、その後もこの騒ぎを起こし、私が退院するまで女性患者にまで浸透したあだ名がカボチャ親父。
入院慣れしているせいか、看護士の許可が下りて いないはずなのに、勝手にベッドから車椅子に乗り移ろうとしたり、一人でトイレに入ったりで、主治医もその横紙破りにお手上げのようでした。
それにしても、タカさんがベッドから車椅子に移る光景は、動物園のナマケモノそっくりの動きの熊が車椅子に乗り移るようで、危なっかしくも一見の価値があったなぁ。
シバさんが退院という頃の、つまり4人部屋にきてから二ヶ月弱の頃のスケジュールボードをメモしたものです。
NSは担当看護士のこと、気性のさっぱりした矢口真理似の年頃も同じ頃の女性でした。
PTなどそれぞれ横に名前が書いてありましたが、個人情報何とやらで消してあります。
PT(Physical Therapy)、理学療法のことで主に歩行などを含めた基本動作のトレーニング。
OT(Occupational Therepy)は,理学療法といって腕や手の日常回復(食事・洗濯・掃除や更衣、排泄等が一人でできるまで)の訓練です。
ST(Speech Therapy)、言語聴覚のこと。これがよく分からなかったのですが、別にこれからアナウンサーになるつもりもなかったのですが、ようするに発音が分かりづらいことから訓練に組み込まれたもののようです。かな?。頭部のダメージ回復訓練もあったようですが、問題なかったようです。お陰さまで今は職場復帰しとります。
これが週5日、土曜日も軽く訓練がありますが、車椅子で訓練室へ行くのではなく、各病棟の病室で受けます。
温泉マークは入浴のこと。
訓練時間は一回に40から45分程度で、ベテラン療法士の親身な指導で中身の詰まった訓練とマッサージがありました。
西部劇のなかではベストスリーのひとつに入る「リオ・ブラボー」(1959)の監督作品。
ジョン・ウエイン主演でアフリカで野生動物を捕獲する仕事の、動物対人間がまるで映画創世記の頃の西部劇のような映画でした。
公開当時に見て以来、印象が薄れることなく改めて見直しましたが、色あせていませんでした。
上の絵のように「ジュラシック・パーク」の一場面がそっくりなシーンもあったりして、今でも十分楽しめる作品です。
相手の都合を無視して、突然押しかけて勝手に時間を奪う行為のこと。
江戸時代の大名時計は一分刻みの精巧なもので、武士や大店の商人たちは時間に正確さを要求されたそうですな。
今と違って江戸時代は日の出日の入りを基準に夏時間と冬時間をを採用していましたから、一刻(現代の二時間)は二時間六分から1時間三十七分の幅がありました。
このような複雑な時間に合わせて動いていたんですから、自分は勿論相手の時間も貴ぶ生活が自然と身についていったんでしょうな。
現代で言うと電話アンケートなどが時泥棒の最たるものでしょう。