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2011年09月 アーカイブ

2011年09月09日

回復期リハビリ訓練・1

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いよいよ念願の訓練初日、当日はダメージがどの程度かを調べる程度で、訓練といったものではなかったと記憶しています。

上の絵は理学療法室での診察で、左足首は全く反応がなく、かかとの上げ下げなど出来ず左足はやっと伸ばす程度で、曲げることは無理でした。左腕は全体に反応がなく、脳からの通信は途絶えたまま。

肩の上げ下げを正面から鏡で見ると、右肩だけが動くという為体。

マット台から何も支え無しに立つことは出来ず、二ヶ月のベッド生活で、ダメージを受けたとはいえ筋力が急速に衰えていたことを実感しました。

ッタク、困ったもんだの初日でした。

2011年09月10日

回復期リハビリ訓練・2

thera2.jpg 左足の歩行訓練は、足首保護のための装具選びから始まりました。

寝たきり生活の当初は一歩でも、半歩でも歩ければと願ったものでしたが、こうして車椅子から少しでも解放されたと分かると、現金なもので強引に歩こうとするんですね。

あてがわれた装具は乳白色の半透明なL状のプラスチック。それにマジック・テープで足を固定するもので、杖は四本足という特殊な形状でした。

装具が少しでも合わないと、歩行に支障をきたすなんて全く考えずに歩こうとするせっかちな狸オヤジに、担当のI先生は手を焼いたと思います。

で、装具は自分にフィットするのがなかなか見つからず、2日から3日試しに使って少しでも赤く腫れが出ると医療器具かスポンジ様のもので保護。工夫と交換が一ヶ月以上かかりましたね。

いや、最初は歩くなんて形容は出来ない程のお粗末なもんでしたが、立って前に進む事が出来ると分かったときは、嬉しかったですねぇ。

I先生!感謝感謝です。

 

2011年09月11日

回復期リハビリ訓練・3

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その大恩あるI先生がなかなか曲者で、学習能力薄い狸オヤジと見て取った私に、装具を着けないで強引に歩くとこうなるという写真を見せてくれたんですね。

麻痺側の左足が逆くの字になったもので、こうなると手術しか治る方法が無いとのこと。

これは効きました。・・・いや?効いたのかな。

 この写真を見せられる前に、就寝時間前に病棟で装具を着けずに立って、ベッド脇で転倒事件(?)なるものが起きてしまいました。

これは夜具に着替える時に、私が看護士に無断でベッド脇に立って、パジャマをずりあげていたとき、無意識に左足が右足の前を滑って交差、結果尻餅をついたことが院内に知れ渡ったことが原因なのです。

 幸い骨折もなく痛くもなかったんだが、隣のベッドのテラ氏の不必要な大声に、看護士が飛んできてパジャマを下げられ尻を晒され総点検されました。

こちとら尻餅を着いただけと必死に弁明をしたんですが、聞いてもらえずで、還暦過ぎのオヤジの尻を数人の若い女性看護士に晒されの、騒がなければなんのこたぁなかったんだ。

だいたい学生時代から、小さな声で(?)で話しているにもかかわらず、教師からテラ氏だけ注意される、と宣っていたこの声の大きい感情失禁の御仁が隣のベッドに居たのが身の災いだったんだ。

マしかし、いちいちナースコールを押して、看護士に確認を取ってもらうのも、入院生活に慣れてくると気が引けてくるものなのです。

2011年09月12日

回復期リハビリ訓練・4

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初めの頃の作業療法では左手の指のマッサージがひたすら続く日々でした。

理学療法は、軽いストレッチとしばらくは療法室内を軽く流して歩く程度だったと思います。

ある程度歩きに慣れて来た頃に、病院内の廊下を一回りする日が二ヶ月近く続き、200メートルくらいの短い距離でしたが、驚くほど一周するのに時間がかかったのを覚えています。

これは上の絵のように左半身を守るために、無意識に右に傾いて歩いていたのがガラスに移った自分の姿で分かり、つとめて矯正するように心がけていたのですが、これが難しかった。

退院して一年と二ヶ月現在の今、幾分かは矯正出来たと思いますが、まだ若干傾いて歩いているようです。

それと病後最初の冬がきて、左足裏が火傷をしたような痛みが現れたのには参りました。

夏が近づくにつれ、暖かくなっていつの間にかその痛みが消えたのは助かりましたが、この冬はまたあの痛みがやってくるのかと思うと憂鬱です。

何時になったら憂いなく気軽に歩けるようになるのか、ま、リハビリを含め普段の生活もなるべく動き回るように心がけ、怠ける時はあっても諦めずで、前進だけは続けるつもりなんですがね。


 

2011年09月15日

ぼくの好きな噺家・・・2 六代目三遊亭圓生

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昭和期最後の名人と謳われた落語家でした。

子供の頃母親や年の離れた兄弟たちと、また独身時代の一人暮らしのときなど、寄席でよく拝見しましたが、家具職人の頑固な父親の兄弟に、輪をかけた頑固職人を絵に書いたようなそっくりな人がいて、圓生さんが高座に上がると苦手意識が先立って素直に聞けなかったことを思い出します。(もう一人居ました。七代目橘家圓蔵さんとも似ていましたっけ)

現在、明治大正、昭和ヒトケタ生まれの(もとい、桂米丸さん、四代目三遊亭金馬さんが頑張って高座に上がっておられますがその他の)【名人上手】がいなくなって、病後改めてテープを引っ張り出して聴くと、もっと素直に耳を傾けて聞いていればと猛省します。

この絵も頑固職人の父親のDNAを受け着いて自分の感情がモロに出てしまいました。

圓生さんご免なさいデス。

明治33年(1900)9月3日ー昭和54年(1979)9月3日、79歳の誕生日に逝去。個人的には『乳房榎』のライブ録音が代表噺としてオススメです。

また、七代目圓生の名前の復活を渇望している一人です。

相応しい人材は居るのに、もたもたしていると志ん生襲名の二の舞になりかねないと、ろくに寄席に行かない無責任な落語ファンの一人として余計な心配をしています。

マッドゴルファー・・・1

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色鉛筆時代の企業広告カーツーンです。これが印刷物になったんですから、懐の深いのんびりした良い時代だったんですねー、昔は。

回復期リハビリ訓練・5

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毎日二時間弱のリハビリ訓練を終えると、各自廊下で衰えた足を鍛えるために訓練に励む者や、気のあった者同士休憩室で時間を潰す人ありで、就寝時間まで持て余す日が続きます。

私は病棟内ではどちらかというと陽気な患者グループの方に入っていて、その真逆のどん底オーラを出している人が近づいてくると逃げ回る方でした。

その陽気なグループの中心に、ワタリさん(仮名)という姉御肌の50代前後の美人がいて、不思議なことには誰が見ても見舞客にしか見えない人でした。

彼女は血圧が正常にもかかわらず左半身麻痺で入院となり、医者も原因が分からない怖いものを背負っていたんですが、病気に負けない強さがあって魅力がありましたね。

ある日突然「ワタリさーん、あなたの元気を私に分けてください」と、誰彼無しに愚痴をいうおばさんに後ろから肩を撫でられて、さすがの元気印の彼女もそれ以降は、その女性の影が視界に入ると怖がって逃げていました。

患者同士のもたれ合いは必要な時もあるかも知れませんが、一方的な寄りかかりは専門のセラピストではない者には辛いものです。

それでなくとも皆自分のことで精一杯、陽気を装うことも病気に対して立派な防御法のひとつじゃないでしょうかね。

2011年09月16日

(60)また計算が違った・4

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2011年09月18日

回復期リハビリ訓練・6

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リハビリ訓練以外は殆ど体力を使うことなく過ごしていた毎日でしたが、同室の人たちからはどうしたらいつも就寝時間前にあんなに爆睡できるのかと不思議がられていました。いや、自分でもよくあの状況で寝られたと思います。

当たり前ですが朝は早くベッドから離れて食堂で新聞を読んだり、テレビを付けたり血圧チェックをしていました。

ナースコールを押せば急いで来る看護士、足替わりの車椅子が側にあり、段差のない床や広い空間等、全てにおいて守られる環境に慣れてしまうのがイヤで、早くこの駕籠の鳥生活から退院したかったですね。

退院したところで今までのような自由に動き回る生活は出来ないのは分かっていましたが、一日も早く退院したかったのは事実です。

この絵は(回復期リハビリ訓練・5)の車椅子の女性の目に映る5階の廊下から見た5月初旬の早朝の田園風景です。

この時期は田んぼに水が入り、周りの雑木林や済んだ空が水に映って、一年の内で一番美しい田園風景ですが、今までのように風景を愛でる心境はどこかに吹っ飛んでしまって、イヌの散歩をしている人や、初老の夫婦のジョギング、自転車通学の学生などに目が吸い寄せられて離れず困ってしまいました。

2011年09月20日

回復期リハビリ訓練・7

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外の風景を見て、後ろを振り返ると80メートル弱のまっすぐに伸びた廊下が目に入ります。

南非常口の強い光で、廊下を忙しく歩き回る看護士のシルエットが、一ヶ月も入院していると歩き癖で、どの看護士かが分かってきます。

この廊下を使ってリハビリ訓練の合間に歩行の練習をするわけですが、私の場合理学療法士のI先生と主治医の判断で自主的に歩行をさせてもらえなかったのが唯一の不満でした。

と、言うのは表向きで、生来の怠け者でへそ曲がりの私は訓練とか練習なんざまっぴら、助かっていたのは事実です。

いつまで経っても変化無しで、普通に歩いているつもりでも左足のつま先がリノリウムの床にひっかかってしまうためなんですが、退院が見えて来た頃ようやく重い腰をあげて(自主練で)若い看護士に付き添ってもらって廊下で練習も冷や冷やモノらしく、転倒の心配をされて「キャッ」とか「エッ」という短い悲鳴が、真横からのべつまくなしに聞こえてきて集中して歩くことが出来ずうるさいのなんの。

結果付き添いを嫌がられ(たのかは知りませんが)退院まで一人で歩ける自主練は許可が下りませんでした。

今も歩きはほんの少しの進歩と思いますが、脚力が少し付いたのと、幸運で(もありますが)家の中でも外出時でも転倒は一度もなく免れています。結構動き回っていると思うんですがね。

 二ヶ月目に入ると理学療法のリハビリに坂道と階段の上り下りが加わります。

2011年09月21日

鳥瞰図26・街に大きなカバがきた

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小学4年生の国語の教科書から。これも原画が手元に無いため印刷物からスキャン。原画管理が出来ていないのはアバウトな性格ゆえ。このいい加減な性格!何とかしたいですね。

ふしぎアイランド・・・12

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ふしぎアイランド・・・13

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