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(続き)私には畑違いのファッションイラストは、編集部ではどのくらいの画力かを見るためのものだったようで、当時色鉛筆で彩色も物珍しかったのか小さなカットでしたが即注文があり、その後も週間プレイボーイ誌に車や地図、説明画など畑違いの分野も厭わず描きまくり、後年雑食性イラストレーターとしての基礎を鍛えてもらったものでした。
上の絵は最初のコンタクトの時に、博報堂に見本として持って行った習作の一部、ゴルフ狂のロッククライマーの一枚漫画がゴルフツアーのパンフレットとなって使って貰ったもの。
(続き)2ページと3ページ目。
二代目桂枝雀さんの落語のフレーズ、「鋳掛屋のおっさんが軍艦の注文を受け(とっ)た」時のような、鋳掛屋のおっさんの気持ちを味わった大仕事でした。
(続き)4ページと5ページ目。
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続き)6ページと7ページ目。
6ページ左の絵が、最初の打ち合わせの時に見本として持って行ったロッククライマーの絵。すべてはこの絵から始まり、1980年の自費出版カレンダーの表紙にも使いました。
(続き)8ページと9ページ。
10ページ目は力作をと釘を刺され、七転八倒した後神田古本街へ気分転換に出かけ、水道橋駅を降りたって神保町へ向かった最初の角で、突然アイデアが浮かんだのが、表4の「夜明け」。こんな(ラッキーな)経験は後にも先にもありませんでした。
近年はお子さんをお持ちの家庭からも豆まきの声が絶えているようで、寂しいかぎりです。
左半身麻痺二年目が近づいてきた1昨日、鉄道模型ケースが右手一本で仕上がりました。
材料は昨年お中元で頂いたそうめんの桐箱を解体して、一回り大きく釘穴は竹釘に楊枝を仕様。箱の左右は、残りの桐材が足らず使用済みのアガチス材。
アクリル板を買ってきて上下に開閉するように切れ込みが入れてあります。
天地約25センチ、左右39センチ、奥行き約7センチ。桐材とアガチス、アクリル板と爪楊枝を使いました。中に入るエアフィック社のHOゲージ鉄道模型と線路は義兄の遺産分け。
半世紀前のイギリス・エアフィック社の鉄道プラモデル。
HOゲージサイズに縮小・デフォルメされた貨車や蒸気機関車のフォルムが見事で見飽きません。
義兄が亡くなり家族の無理解で捨てられそうになったのを、縁あって私の手元にきました。
ケースが9割がた仕上がった時に、偶然三回忌の電話があり、これは義兄が手元に引き取りたいんだと感じ、一昨日仏前に供えてきました。
プラモデルと侮るなかれ。モノによっては、女性が宝石を愛でるのと同じで、身近に所有することで気持ちが豊かになる貴重品なんですね。
週刊プレイボーイ編集部に売り込みに行った時に、帽子イラストのテスト注文があったと思っていたのが記憶違いで、印刷物が保存してありました。
出版イラストの初めの一歩は1978年4月4日号の特集4ページ、サブタイトル「ディランのセンスを盗め」という街頭スナップの見開きページでした。
退院して、まず第一の目標は車の運転が倒れる前と同じように出来るか、入院中はこのことが気がかりでした。
隣の県で一人暮らしの高齢の母親の雑用に車は必需です。
で、一人で鴻巣にある運転免許センターまで運転適正検査を受けに行って来ました。こういう情報は、入院中運転を必要としている患者同士の交流で、どうやら無断で病後の運転は禁止されているようだとの会話が飛び交っていました(ちょっと大げさですが)。
カミさんが同行しなかったのは、どうやら私がハンドルを握るのに時期尚早と思ったのか分かりませんが反対だったようです。
結果は上の表に出ましたが、ま、とりあえずは充分注意して運転は可能と出たようです。