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2012年04月 アーカイブ

2012年04月03日

(110) 格安ゴルフプレー

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月刊小説宝石に連載中に、月刊小説推理から声がかかって描いた二点で、1979年頃だったと思います。

ペンネーム無断で替えられてしまいました。

(111) 新婚旅行

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小説誌だからといってエロチックを無理して取り込む必要はないんですが、自分に合わない絵を描いたようで一回切りの掲載でした。

2012年04月06日

(5)79スポーティ・カー&海外ドライブ・・・1

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デラックス・プレイボーイ1979年2月の第二号。news touringのページ。

当時大流行の雑誌で見たようなレイアウト。ここでもカット、極小地図や描き慣れない車、説明画等、細かい指示が無く自由に描かせてもらったように記憶しています。

(5)79スポーティ・カー&海外ドライブ・・・2

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(5)79スポーティ・カー&海外ドライブ・・・3

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下段の自信なげな線の車のカットは、ディスカバー・ザ・ヨーロピアンカーの特集ページに描いたもの。他にもロールス・ロイス、フェラーリなど全10種類。ご丁寧にも同じようなアングルと大きさで写真が添えてあり、恥ずかしいったらありません。

(112) 月夜の晩のミステリー

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月刊小説宝石の連載も三分の二が過ぎた頃のもの。

当時は新しいテーマを考えるゆとりすら無く、ひたすら広告代理店や出版社、古巣のデザイン会社と自宅のとんぼ返りの毎日でした。

なにしろ、当時はまだインターネットや宅急便など無かった時代で、息抜きは古本街か喫茶店で寛ぐ程度でした。

地の利として仕事関係の会社に比較的近い所に神田・お茶の水があり、古本街の資料あさりが仕事兼用の息抜きと、画材の買い物も出来、学生時代からのマイ・ホーム・タウンがお茶の水でした。

2012年04月07日

回復期リハビリ訓練・33 雲隠れ半蔵記・・・1

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半蔵が逝ってしまった。

3月に入って三寒四温とはほど遠く、寒い日が続き半蔵の衰えが急に目立ち、家の中で粗相してしまったり、のべつ食事を要求するようになっていた。

3月中旬のこと。私がパンを食べていたとき、よこせというのでちぎって与えると、うまそうに食べるという珍事が始まりだった。

それまで今まで見向きもしなかったチーズを食べたり、食事中家内の横に張り付いて前足でテーブルの料理を要求など、呆けが始まったのかと心配するほどだった。

上の絵は、亡くなる三日前に、いつもの習慣で風呂の湯を飲みに来たのが最後の半蔵との触れあいとなってしまった。

2012年04月08日

回復期リハビリ訓練・33 雲隠れ半蔵記・・・2

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一昨年の夏に、脳出血から生還して退院した時、どういう訳か半蔵も同じように不自由な歩行をするようになっていた。

前足もx脚になっていたが、日に日に回復したように見え、不自由ながらも元気になると、私の歩く先々に半蔵が現れて歩行の邪魔をするように目の前で横になるという、私専属のリハビリ訓練士にでもなったような日が始まった。

いかにも「踏めるもんなら、踏んで見ろ!」といった目を向け、これみよがしな態度ですが、これが家の中での歩行訓練に大いに役立ち、上がらない左足を努めて挙げて歩き、ほんの数ミリの段差や左装具底のひっかかりには転ばないようになったのが成果でした。

一度だけ若干の失敗はありました。

台所でコーヒーを入れていた時、いつの間にか現れた半蔵のしっぽをうっかり右足の土踏まずで踏んでしまい、「痛ェじゃねぇかッ」ってな大声で叫ばれ、幸いにも(?)私の足裏は人より土踏まずが深いドーム状になっているので、怪我をするほどではなく冷や汗程度のケアレスミスでした。

回復期リハビリ訓練・33 雲隠れ半蔵記・・・3

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プライドが高かった半蔵が、一階日本間のソファーも自力では上がれないほど脚力は衰え、二階に上がる時は家内を呼び、抱き上げてもらって自分の居場所である長男の部屋に行くまでになった半蔵を見て、覚悟しなければならない日が近いことを実感した。

日中は家内と私が居る一階で寝るようになり、夜は今年2月に長男の枕元で小水して叱られてから玄関で寝るようになっていた。寒さ対策とトイレは、暖房具を床に引き給水シートを家内が設えて、三和土に降りて小用を済ませていた。

しかし、夜中に三和土で小用あと、上がり框の30センチ強の段差が上れず、一階玄関前の部屋で寝ている私を呼ぶことが度々で、真夜中にそれも寒中布団から出て装具を付け、玄関三和土までの動作はかなりしんどい作業だった。

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2012年04月10日

(113)  企業広告の一枚漫画・・・13

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2012年04月11日

(114) レッツ・ゴー・ドン〈13〉

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2012年04月12日

(8)メンテナンス強化キャンペーン用パンフレット・・・1

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デラックスプレイボーイのカットを描いていた時期とそう変わらない頃の絵です。

意識して描き方を変えていたつもりはないですが、違いますね。

2012年04月13日

(8)メンテナンス強化キャンペーン用パンフレット・・・2

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古巣のデザイン会社は本郷三丁目にあり、修正や追加イラストは会社での作業でした。

当時の思い出として、キャンディーズの引退コンサートが後楽園球場で行われ、坂の上にある会社まで野郎どもの矯正が聞こえ、苦笑しながらの作業をしたことがあります。

2012年04月14日

(9)純正オイル販売促進パンフレット

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二つ折りA4版の大きさで、縦組みをブログ用に横組みに変更。

2012年04月15日

(115) マニュアル娘

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2012年04月16日

(116)  企業広告の一枚漫画・・・14

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2012年04月17日

シネマ(80)ミクロキッズ・・・1

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私の一番古い記憶に残っている映画が、ディズニーの実写でハーシェル・ドアティ監督「開拓者の血」とロバート・スティヴンスン監督の「四つの願い」というファミリー映画だった。

前者はキャロル・リンレイ、後者の映画にシーン・コンネリイという表記で後のジェームス・ボンド役のショーン・コネリーが新人で出演していました。

共に製作年不明。ですが一人で映画館に行き始めた頃の中学生だったので半世紀前頃の映画と思います。

時を経て世の中の様子が激変した今もファミリー映画健在を示してくれた映画でした。

2012年04月18日

シネマ(80)ミクロキッズ・・・2

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この映画もCGは使われていたのかは分かりませんが、気にならない程度か、ごく控えめだったように思えます。

2012年04月19日

シネマ(80)ミクロキッズ・・・3

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監督 ジョー・ジョンストン、脚本 エド・ナハ、トム・シュルマン、撮影 マイケル・スティーヴンソン。製作 1989年 アメリカ。

2012年04月20日

(117) 不変

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2012年04月22日

(118)  企業広告の一枚漫画・・・15

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(6)レザー・クラフト・入門・・・1

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週刊プレイボーイ、1978年か9年の7月3日号のカラー保存版グラフに描いたモノ。

サドル・レザーの入手方法、良い皮の選び方から必要な道具から始まり、ラブレス・タイプのナイフとスイスアーミー・ナイフのケースの作り方や、バスケット模様入りのワイルド・ベルトの作り方等々説明イラスト中小合わせて計7点、8ページに情報が詰まっていました。

2012年04月25日

(6)レザー・クラフト・入門・・・2

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現在はどのような勢力地図になっているか分かりませんが、当時アメリカ最大のレザー・クラフト用品販売チェーンは、全米100店以上あるタンディ・レザー・クラフト社とのこと。

皮製品はいずれ作ってみたいと思っていたが、現状はこれ以上趣味を増やせず、断念。

(6)レザー・クラフト・入門・・・3

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(119) レッツ・ゴー・ドン〈14〉

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2012年04月30日

(120) 未発表作品・シニカタ・・・1

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タイトルページ裏側に、

小説宝石誌に昭和51年11•12月号拒否する孤島、昭和52年一月号より特選漫画パレードに連載中、と薄く書き込みがあり、出版社持ち込み用に描いたもの。

 

(121) 未発表作品・シニカタ・・・2

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他に、旧住所と電話番号、年齢(30才)と記してあり、持ち込み後、すぐに掲載してもらえるよう描いたつもりでしたが、ポッと出の新人が描いたブラックユーモアを受け入れる土壌はなかったようです。

(122) 未発表作品・シニカタ・・・3

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5コマ目に、釣り人の後ろで岩の割れる音を付け足していれば、もっと効果的だったんですが、ね。

(123) 未発表作品・シニカタ・・・4

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昔、リーダーズダイジェストってな月刊誌がありました。

私が一枚漫画に夢中だったまだ結婚前のこと、コラムの小タイトルに『安らかな死期を迎えるために』というコピーが目に飛び込んできて、処女作品集のタイトルは早々に決まりました。

以来ン十年、処女作品集は何処に行ったのやら。

(124) 未発表作品・シニカタ・・・5

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  更新している当人も、そろそろ飽きてきました。技術は一本調子。引き出しはカラッポ。

私が寄席の客だったら噺の途中だろうが黙って席を立ってロビーまで行って行ってしまうとことです。

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