(191) 未発表習作・・・〔5〕 見かけ倒し
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勢いで描いたボクシングカーツーンは計13点。
工業系デザイン会社を退職した後、血眼になって(ちょっと大袈裟)出版社巡りをした時に持ち歩いた作品のひとつで、日の目はみませんでしたが、私の原点のひとつ。
原画は当時吸っていた煙草のヤニなどで黄ばんで紙魚だらけだったので、コピー機で汚れを取るひと手間がありました。
前回のSL・TOY制作から二週間程空いてしまいました。
実は前回のパーツを切り分けがひとまず済み、夕方でも明るめで、時間も少し余裕があったのでロールディスクグラインダーを出して、消耗が激しかったやすりを60番の新しいものと交換、設計図に沿って黒檀を薄く削っていたところ、右手人差し指先端まで、やすりがけしてしまいました。
で、本業も一段落し指の傷もようやく癒えたので、いよいよ釜上部をボール盤で煙突のパーツの穴空け作業と思ったんですが実作業も10日空くと体が動きません。また一番正確さを要求する箇所なので、気ばかり急いてしまい、今日のリハビリの時間は迫ってくるしで・・・。嗚呼。
幼児絵本に関わり始めの、1997年キンダーブック4月号の付録ページです
担当編集者との相性バツグンだったのか、それまでおっかなびっくりでやや腰が引けていた幼児分野の絵から、一挙に広い野原に出たような気持ちで描かせてもらった私には記念すべき仕事でした。
毎週通うリハビリで、本格的な冬に入り、腰痛、関節痛、持病の悪化で訓練に来られない人も 出てきました。
仲良くさせてもらっている一人暮らしの80過ぎのお婆ちゃん二人も、長期にわたってお休みとのこと。
このお二人はいつも黒目の服で小太り、マット台にお二人で並んで座っているところを後ろから見るとトレイに乗ったおはぎを連想して・・・。いや、不謹慎でした。反省。
早く復活してきて欲しいと願うばかりです。
木工でボール盤を使った場合、10ミリを超える穴空けは、ドリルの回転力で健常時でさえ、対象物がブレてきれいな穴が開きませんでした。
で、電動ドリルを装着するワークステーションの台に対象物を固定する器具を考え中です。
寒さが厳しくなってきて、健常者たちが無精して車で雑用を頼むので、時間がなかなか木工制作に使えません。ワシャアッシー君カ?
中径の穴空けで、対象物をワークステーションに固定する為の部品を、リハビリ訓練後に与野のドイトへ探しに行きました。
で、直径7.5ミリ・長さはネジ山部分が7センチのボルトと、ボルト押さえ(?)等々・・・えー、名称が出てきません。兎に角、頭に描いた対象物固定の品数がそろったので、今日はその固定事具(?)作りに、雑用がなければ専念することになります。
SLの煙突が乗る釜部(名称分からず)に直径9ミリと12ミリの穴空けの準備が出来て、本日の時間終了。
電動ドリルが積年の酷使で、先端部のカバーが摩耗していて、回転にブレが出てもなんとか使いこなしていましたが、もうこのあたりで買い替えの決断をしなければならない時期のようです。翌日はどうやって財務省に買い替えを説得するか、頭の痛いところです。
対象物固定ジグを数種類作ったものの、制作途中今日も雑用(義母を連れて川越で昼食)で約3時間ロス、12月いっぱいの完成が覚束なくなりました。
徐々に寒さが厳しくなってきて、麻痺が進行してきているようです。これから屋外での制作は真っ昼間の太陽が照る晴れの日限定になってきました。
ワークステーションに取り付けた自作の固定ジグは、左右の固定は出来ても上下に弱く、細工物がドリルの回転と共に持ち上げられてしまい、このため径の淵に傷が付いてしまいました。
折角用意した部品がオシャカになり、時間と手間を増やしてしまう結果となりました。
で、以前細工物を作った時の余りの材料を押さえにした固定ジグを追加しました。これで大丈夫でしょう。
今年も残すところあと二週間、SL・TOY制作も尻に火が付き、のんびりこのコメントを考える余裕すらありません。今日は陽気もいいようなので、屋外での作業に精を出すことにします。
百年前の今日は、日本で始めて飛行機が飛んだ日とのこと。?(ホントかね)
黎明期の飛行機の機体はどれを見ても魅力があります。が、技術の進歩に伴なってフォルムに遊びや個性が無くなると、飛行機に限らず魅力が薄れてしまうんですね、困ったもんです。かといって、第一次世界大戦以前の飛行機に乗ってみたいとは思いませんが。
SL本体上部に煙突が入る部分二カ所、本体のシリンダーを支える太いパイプが入る下面の前方左右に二カ所、最前部の車輪とスカートを支える柱が下から入る下面中央の、それぞれの穴空けに手間取りました。
電動ドリルの一件は、予備の若干力が弱いドリルで急場を凌いでいます。弱ったもんだ。
上のピンぼけ写真で進行状況を見ても分かると思いますが、遅々として進んでいません。なんせ右腕一本での作業ですので仕方がないところです。
これから本体と煙突など丸みを出していく作業に入りますが、この後、本業の仕事に入るので3日ほど木工制作はお休みとなります。
毎朝、起床後と、就寝前の入浴後に、体重と血圧計を計るのが日課となりました。体重計の方は最近ですが。
この病気になる前にあったマックスの体重から現在では、灯油缶一本分の丁度20キロが消えたことになります。
で、就寝前に風呂から出て計った体重と、翌朝寝起きに計った時の体重差が約4〜500グラム増え、寝ている間に体重が重くなるのが不思議でした。
考えたら、着替えた時の服の重さを忘れていたんですね。どっとはらい。
リハビリ訓練所に通うのも、あと2回で今年も終わります。
訓練の合間の休憩で囲む、テーブルメンバーは、若干の移動はあってもいつも同じです。
古株の、ジョークの間が見事なフィリップ・ノワレ氏。いつも穏やかな80歳前半のフレッド・マクマレー爺さん。最近加わったのが、刑事コジャック似で、元肉屋のテリー・サバラス親父。
フリップ氏とサバラス親父はおよそ70半ば、私は訓練所全体のメンバーのなかでもバリバの若手と言われています。
一見強面のコジャック親父ですが、二日に一回はご自分で頭をカミソリで剃るとのこと。
頭頂部が禿げている訳ではないし、剃り立ては帽子が滑って脱げ易く面倒と言い、僧侶でもないのに何故面倒なことをするのか聞いたところ、30数歳の頃に、浮気現場を奥さんと娘さんに押さえられて以来、40数年続く習慣になったとご自身の弁。
勿論(?)最初の頃はカミソリの傷で、血だらけの日が続いたそうです。
これを話したとき、私のカミさんが感心することしきりでした。
フィリップ・ノワレ氏、コジャック親父ともに難病指定を受け、マクマレイ爺さんがテーブルにいる四人中、一番健常者に近い位置にいます。
なにせ、歩きも普通だし、時間が空くと自主トレに励むほど真面目で真摯な人なんですが、最近の心配は、この80数歳のマクマレイ爺さんが、ご自身のボケをことあるごとに口にしだしてきたこと。
歳を重ねてくれば、多少、認知症の症状が現れるのは、仕方が無いんですがね。
身体障害者になって以来、自分以外の人間に、病気と闘っていることに気を使われるのは、辛いものがあります。
これはリハビリに通っている人たち皆共通の思いでした。
2012年のリハビリ訓練が終わりました。正直疲れましたね。訓練の成果は目に見えない程度に回復していると感じています。ま、麻痺が進行しなければ良しといえます。
年末になると一日、何も出来ないで日が暮れてしまいます。
SL・TOYも雑用等で少しも進展していません。
また何故、車や飛行機ではなく、SLなのか考えてみました。
この機関車を作って左半身麻痺の自己治療をするきっかけは、脳出血で倒れる2年前に、木工や落語などの趣味・興味も創作意欲や気力も無くなって、鬱になりかかった時が始まりといえます。
当時、週ごとに真鍮でC62を作る部品入りの週刊誌が発売され、このままだと本格的な鬱になってしまうという恐怖から逃れるため、思い切って定期購読してみました。
毎週一冊ずつ計100週、100冊で二年弱作り続けるには、対象物がよっぽど好きでなければ続きません。
またトータルした金額を考えれば、私には一遍で購入出来る額ではありませんでした。
ただし、鬱になって本格的な病気になり、入院か通院治療と、その間の時間のロスまで考えると、すんなり定期購入に踏み切れたんですね。
おかげで、このゆっくりした自己治療の方法で、鬱から逃れられたと思います。
子供の頃、貧乏職人の小せがれには、HOゲージの鉄道模型は高嶺の花どころか、それ以上の存在でした。私の育った環境も、保土ヶ谷操車場が目と鼻の先にあったので、蒸気機関車は頭の中に焼き付いていて身近な存在でした。
しかし、そこの操車場で働いていた蒸気機関車は、子供の目でも魅力的なフォルムではなかったのが難点でした。
上の写真は、C62の運転室にあるボイラーの焚き口です。
我が家では、私は大掃除は勝手に免除と思い込んでいたんですが、部屋の配置換え、大掃除、神棚のお札を氷川神社に納めに行ったりと、フル回転の日となってしまいました。
ま、動けるうちが華と思えってことなんでしょうね。
電動糸ノコ盤の自作の交換器が壊れ、その修理の日に充てようと思っていたんですが、明日に伸びました。・・・明日は作業が出来るといいんですが。
無気力と倦怠感などが、いつの間にか知らずに襲い、テレビを見ても頭の中に入ってくるではなく、殆ど毎日BGMのように流していた落語は、いつの間にか聞かなくなり、何の興味も無くなった自分に気づいた時、もしかしたらと不安に駆られたんですね。
それもこのC62を作っていた2年ほどの間に、そんな症状の数々は無くなっていたんですね。何ヶ月目で無気力や倦怠感が消えたのかは覚えていませんが。
我が恩人(?)の、全長1メートル強のこの大物は、私同様家族から疎まれ、居場所に苦労しています。
今春旅立った在りし日の愛猫のワンショット。
仕事部屋にあるファクシミリが、肌寒くなった時期には必ず居た彼の定位置でした。
生後約半年で我が家に来た頃は、美形のかわいい猫でしたが、家族にいじくり倒され、徐々に性格は偏屈に、顔は強面になってしまいました。これは彼が老齢に差し掛かってきた頃の姿です。
私が病に倒れ、生還した時からは、時には道路の石くれ、不意の横切りなど、常に注意を怠ることの無いように教え諭してくれる専属のリハビリ訓練師として働いてくれました。
半蔵の御陰で転倒は一度も無く、ちょっぴり寂しい冬を迎えました。
明日の元日は太平洋側の天気は晴れと出ていました。
来年は良い歳でありますよう。皆様良い歳をお迎え下さい。