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先日のリハビリ訓練の送迎車内での話。
以前にも書きましたが、介護士のマドンナたちの虫嫌いは尋常でなく、奇麗に掃き清められた訓練所内のフロアにアリの子一匹侵入していても、大仰に騒ぎ立てているように見え、こんなときは諸先輩達と一緒に笑って見学しています。
で、家までの道筋が近い諸先輩と同乗していた帰宅途中の車の中で、フロントガラスに虫を見つけたマドンナが、サラダの中に青虫が居た時の話から、嫌いな人間に虫が寄って来るという話題になった。
結婚当初(と、私の勘違いで)、駅から家まで15〜6メートル以上もある古木が道の両側にあった頃、仕事帰りのカミさんのバッグの中に毛虫が入っていたことがあり、私のせいにされた事があったといったところ、諸先輩の爺婆たちが口を揃えて、「つださんなら、やりかねない」。
いくらジョークとは言え、あんまりな濡れ衣!
帰宅後この話をカミさんにしたら、結婚前のことと判明。
迂闊に話に入るべからずの教訓でした。
先月中旬に展開したセット絵本の(教科書が楽しくわかる《これはたいへん!ゴミの話》)全8巻のうちの、5巻目『ゴミとたたかう町ーゴミの減量とリサイクル』の内容です。
今回は清涼飲料水のビンとカンが三度笠と合羽の旅姿で、弥次喜多珍道中のように日本全国を旅する話になっています。
詳細は最終ページで紹介します。
昨日は、私ら親子の菩提寺の施餓鬼供養祭りがあったので、早朝出発して墓参りのドライブ。
7月のお盆は、先祖の墓参りが出来なかった野毛山へも行かなかったので、最初に先祖の墓に花と線香をあげ、昼食後は昨年亡くなった六女が眠る、またこの姉の尽力で我々の菩提寺にもなった寺に向かった。
家から群馬で母を乗せ、館林の東北道から首都高、横羽線へ乗り、みなとみらいで降りて、野毛山、久保山、保土ヶ谷で一服。首都高では、川口線、向島線で帰省ラッシュを覚悟していたが、あっさりと肩すかしで渋滞もなく、珍しく高速は往復全線スムーズに走れた。
菩提寺では母とカミさんに動いてもらって、私は寺の駐車場にころあいの木陰があったので、車の中で窓全開で爆睡。
塔婆の始末は寺にお願いし、3時半に保土ヶ谷駅近くの高速に乗って群馬に向い、母を降ろし、8時に帰宅。体力も目一杯使い切った一日でした。
昔々、50年以上も前の白黒テレビを見ていた頃のアニメの一種で、その頃の立体アニメの一コマ撮りの、ストップモーションと呼ばれるアニメに夢中だった。
最初に見た立体アニメは、〈ミツワ石鹸〉のCMだった。
魅力的な可愛い3人の女の子の人形が「ワ、ワ、ワー、輪が三つ(繰り返し)、ミツワ、ミツワ、ミツワー石鹸」と踊りながら合唱するもので、どうやって調べたかは忘れたがファンレターまで出して、制作会社から丁寧な手紙を頂いたことがあった。
人形の作り方から制作現場の図入りの丁寧な手紙と、遊びに来なさいという実に有難い手紙だったが、当時一人で東京まで行くには無理があって、無礼にも返事も出さずそのまま経ち消えとなってしまった。(つづく)
ストップモーション・アニメで、次に鮮明に記憶に焼き付いた作品は、中学か高校生の頃、テレビで見た映画の『キング・コング』(1933)だった。
当時はテレビもモノクロの小さい画面でした。
アニメが映画に組み込まれたこの映画も、時代的にモノクロなのは仕方が無いとして、画面が鮮明ではなかったが、その登場の仕方から、エンパイア・ステートビル屋上の先端に登ったコングと、複葉機の戦いまでが素晴らしく、その後リメイクされた「キング・コング2」(1986)や、ピーター・ジャクソンの2005年版の映画のなかで生き生きと動いたCGのコングと比べても、私には遜色がないものだった。
最初に見たコングと最新版?どちらが良いか?、食事にたとえて言うと母親の手料理と有名レストランの凝った料理のようなもので、個人的な好みは愛情一杯のシンプルな手料理の方に軍配が上がるんですね。
ちなみに、私の場合実際の母親の手料理は、みそ汁に味噌の固まりが入っていたりして苦手でしたが。
今年の5月に、ストップモーション・アニメの巨匠だったレイ・ハリーハウゼンが92歳で亡くなった。
映画『キング・コング』の生みの親で特撮の創始者?ウィリス・オブライエンに影響を受け、ストップモーション・アニメの魅力を知らしめた数々の作品の特撮監督を勤めた人だった。
『アルゴ探検隊の大冒険』(1963)では、探検隊が青銅の巨人タロス像の台座から宝物を盗み、タロスが動き出す場面から、土中から沸き出てくるように出現した骸骨の剣士たちと、実写の俳優達の探検隊と闘った映像までインパクトあるシーン多くあり、この作品が彼の代表作ではないかと思っている。
シンドバッドシリーズ3部作では「虎の目大冒険」(1977)で、6本腕のカーリー像とシンドバッドと闘うシーン。
ハリーハウゼンのもう一つの代表作『タイタンの戦い』(1981)で、下半身が大蛇で姿を見ると石になってしまうというメドューサとタイタンの、アニメとはいえ息を呑むほどの緊張感があった一騎打ちシーンが今でも頭に焼き付いている。
ミツワ石鹸のテレビコマーシャルから、子供の頃テレビで見た「ジャスパー」というニグロの少年が主人公のストップモーション・アニメの話に繋げるつもりが、横道に逸れてしまった。
この手間暇のかかるアニメーションに随分と長い間チェコのアニメと勘違いしていたが、森卓也さんの著書「アニメーションのギャグ世界」という本のなかに、ジャスパーを創ったのがアメリカ人のジョージ・パルという名前で、SF映画の名作『宇宙戦争』(1953)のプロデューサーでもあったことが分かった。
このジョージ・パルのアニメーション・スタジオで、若い頃のレイ・ハリーハウゼンも仕事をしていたことも分かり、このレイさんの高校時代からの親友がSF作家のレイ・ブラッドベリだったことを思うと、人との繋がりがクモの巣のようになっていたことが分かります。
上の絵は子供時代に見た屋外移動映画会風景を思い出しながら描いたもの。
映画はパルの「ジャスパー猟に行く」の一場面です。
もう一度じっくり見たかったアニメですが、ユーチューブでも見つからなかった昔々のフィルムです。
物置の中がゴチャゴチャになってしまっていて、使いづらくなっている。
で、中にある古いペンキ缶を整理しようとしたが、中味が残っているので捨てる事が出来ない。
半世紀以上前に親類の職人に造ってもらったセピア色の収納ケースが、30年近く雨ざらしで壊れかけているのが目に入った。
それと、先月貰ったメダカに子供が生まれた時の用意のため、火鉢を使おうとしたが細かいヒビが数カ所見つかった。
これでは水を入れてもダメだし、内側が黒くて汚いのと、水漏れをコートする為接着剤でヒビを塞いで年代物の白ペンキで内側を塗ってみた。
またニスの缶も残りがあったので、軒晒しのためと屋外作業でロールサンダーで傷付いてニスが剥げかかったベンチもついでに再生した。
自分が壊れかけて再生途中の為か、壊れかけを見過ごす事が出来なくなってしまったようで、再生の仕事が優先順位のトップになったのかも知れない。
ミツワ石鹸のテレビコマーシャルに目覚めて、ストップモーション・アニメの面白さを知らされた子供の頃からの思いは今でも変わらずに抱えています。
その十数年後の、職業として最初の出発が、キャノン・パーソナルコンピューターに一枚マンガを添えて日経エレクトロニクス誌に載った分野が奇しくも、コマーシャルだった。(カテゴリー2)のカーツーンの中と、2011年7月26日参照)。
商業絵描きとしての出発点が、1978年と、若干遅いプロデビューだったので、あの日親に頼み込んでミツワ石鹸のストップモーション・アニメの制作現場まで行っていれば若干違ったプロデビューをして、ストップモーション・アニメに手を染めていたんではないかと、(食っていけるか行けないかは別にして)未だにこの分野に魅力を強く感じている。