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2013年08月 アーカイブ

2013年08月01日

かいじゅうゴミーラ・・・15

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2013年08月02日

かいじゅうゴミーラ・・・16

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先日のリハビリ訓練の送迎車内での話。

以前にも書きましたが、介護士のマドンナたちの虫嫌いは尋常でなく、奇麗に掃き清められた訓練所内のフロアにアリの子一匹侵入していても、大仰に騒ぎ立てているように見え、こんなときは諸先輩達と一緒に笑って見学しています。

で、家までの道筋が近い諸先輩と同乗していた帰宅途中の車の中で、フロントガラスに虫を見つけたマドンナが、サラダの中に青虫が居た時の話から、嫌いな人間に虫が寄って来るという話題になった。

結婚当初(と、私の勘違いで)、駅から家まで15〜6メートル以上もある古木が道の両側にあった頃、仕事帰りのカミさんのバッグの中に毛虫が入っていたことがあり、私のせいにされた事があったといったところ、諸先輩の爺婆たちが口を揃えて、「つださんなら、やりかねない」。

いくらジョークとは言え、あんまりな濡れ衣!

帰宅後この話をカミさんにしたら、結婚前のことと判明。

迂闊に話に入るべからずの教訓でした。

2013年08月03日

かいじゅうゴミーラ・・・17

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大病から三年目の夏を迎え、二足目の左足の補装具が出来てきた。

が、まだ調整があるので、昨日は左麻痺の進行具合を担当の医師立ち合いのもと、何度も歩いて微調整して、出来上がりは次回以降となった。

調整してもらって分かったのは、今までの補装具は太っていた頃に作ってもらったので、今の体型ではブカブカになっていて、麻痺を止めることはおろか、進行させていたようです。

普段日常では履かないし、補装具は外出する時だけになっているので、運転中に足がつったり、痙攣をおこしたりで、補装具の用を足さなかったことが麻痺進行の原因かもしれません。

ま、軽い進行状態だったようなので、気にはなりませんが。

2013年08月04日

かいじゅうゴミーラ・・・18


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2013年08月05日

かいじゅうゴミーラ・・・19

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ここ数日は過ごし易く快適な日が続いていたが、それも健常者にとっては、と、但し書きがつきます。

気圧の変化か、温度差もあると思うが、体感的には過ごし易くとも、こんな時は妙に左半身がいつもより重く動きも制限されるので、私には微妙に、やや不快な陽気でもあります。

しかしジッとしている訳にもいかずで、昨日は先週し残した雑用を済ませるため館林の実家に行き、途中、梨農家が道路脇で出始まりの梨を売っていました。

もう梨の時期なんですね。

早速味見をしたところ、旬のうまさに財布の紐も緩んで、土産物にとなりました。

2013年08月06日

かいじゅうゴミーラ・・・20

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以上。教科書が楽しくわかる・第1巻、『これはたいへん!ゴミの話』ー家庭ゴミの量でした。

文は平見修二さん。

1995年1月文研出版から発行の全8巻セットの絵本でした。

詳細は5巻目の『ゴミとたたかう町』で致します。セット価格22.800円。

2013年08月07日

NHK大河ドラマムック・元禄撩乱・・・1

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平成11年に放映されたNHK大河ドラマ「元禄撩乱」のムック本の前編に描いたもの。

主役の中村勘三郎さんは襲名が平成17年からだったので、当時はまだ中村勘九郎の名前だった。

歌舞伎は落語を通して聞きかじっていただけだったので、実際は見た事が無く、多趣味と懐具合が邪魔をして歌舞伎座へは行けなかったのがちょっと残念。

昨年末57歳の若さで彼岸に旅立った中村勘三郎の舞台だけでも見ておけば良かったんですが。

2013年08月08日

NHK大河ドラマムック・元禄撩乱・・・2

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数日前からムシ刺されが頻繁になり、昨日は初めてバルサンなるものを部屋の数だけ買って来て、その効き目を試してみることにした。

設置して1分後に煙が出ると書いてあったので、カミさんに設置を任せると、私が靴を履く間もなく、玄関まで臭ってきた。

約2時間は家に入れないので、喫茶店で時間を過ごして帰るとかすかに残り香があった。

テーブルの上を目線を落として見ると、うっすらと白い粉が付いていたので、家の中全体に防虫の薬剤が降り積もっていたようで、カミさんは掃除に大わらわ。

これで暫くは快適に過ごせるのではないかと思っていたら、天気予報では20日まで猛暑日が続くようで、・・・・やれやれ。

2013年08月09日

NHK大河ドラマムック・元禄撩乱・・・3

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昨日のリハビリ訓練から帰宅途中に、緊急地震速報が運転席脇のボックスに置いてある携帯から鳴り響いて、ハンドルを握っていた介護士のマドンナと同乗していた熟年一人に、一瞬緊張がはしった。

大きな地震の揺れに注意といつものフレーズに、住宅街の立ち木や電線に思わず目がはりついてしまった。

奈良県でおおきな地震があったと、マドンナ。

それが何で埼玉まで緊急速報が来たのか、暑さで脳みそがクタクタの私にはさっぱり分かりません。でした。

後に予報官が間違いを訂正し、猛暑に冷や水をかけたような人騒がせな誤報だったので、ホッと安心。

2013年08月10日

NHK大河ドラマムック・元禄撩乱・・・4

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落語の舞台を歩き回っていた頃、もう10年以上前になるが、この絵の両国回向院近くの吉良邸を訪れたことがあった。

大雑把な見方だが、東側の新門と書かれた長屋門に挟まれた表門程度の敷地の広さしか残ってなかったように思え、拍子抜けした覚えがあります。

当時の吉良邸は左右(東西)133メートル(南北)62メートルもあったようで、最近の寝苦しい夜を過ごしている、寝不足気味の私らが住む兎小屋のような家からすると夢のような広さです。

以前広大な敷地の家に住んでみたいと言った時、「掃除が大変!私はまっぴら」とカミさん。

私一人でもいいので、・・・願望ですがね。

2013年08月11日

NHK大河ドラマムック・元禄撩乱・・・5

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平成12年の11月に赤穂浪士引き上げコースを歩いたことがありました。

右端回向院近くの吉良邸を集合場所に、同業の物好き3人が午後1時45分に出発。

両国橋と永代橋の丁度真ん中あたりに深川芭蕉庵跡があり、芭蕉稲荷に詣でたりで、寄り道が多かったことと、赤信号に遮られたりで、左端の品川泉岳寺に着いた時はすでに4時半過ぎ。

四十七士最長老の堀部弥兵衛の76歳を筆頭に間喜兵衛68歳吉田忠左衛門62歳等熟年たちが、戦いの後休む間もなく全長約11キロをほぼ2時間で歩いたという記録が残っています。

羨ましいほどの健脚ですね。

2013年08月12日

かん太郎とびんのすけ・・・1

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先月中旬に展開したセット絵本の(教科書が楽しくわかる《これはたいへん!ゴミの話》)全8巻のうちの、5巻目『ゴミとたたかう町ーゴミの減量とリサイクル』の内容です。

今回は清涼飲料水のビンとカンが三度笠と合羽の旅姿で、弥次喜多珍道中のように日本全国を旅する話になっています。

詳細は最終ページで紹介します。

2013年08月13日

かん太郎とびんのすけ・・・2

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毎週通っているリハビリ訓練所は、今日からお盆休みに入りました。

介護士の皆さんのなかには函館や秋田、熊本から来て働いているママさんもいます。

墓参りするのも大変ですね。

2013年08月14日

かん太郎とびんのすけ・・・3


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2013年08月15日

かん太郎とびんのすけ・・・4


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2013年08月17日

かん太郎とびんのすけ・・・5

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昨日は、私ら親子の菩提寺の施餓鬼供養祭りがあったので、早朝出発して墓参りのドライブ。

7月のお盆は、先祖の墓参りが出来なかった野毛山へも行かなかったので、最初に先祖の墓に花と線香をあげ、昼食後は昨年亡くなった六女が眠る、またこの姉の尽力で我々の菩提寺にもなった寺に向かった。

家から群馬で母を乗せ、館林の東北道から首都高、横羽線へ乗り、みなとみらいで降りて、野毛山、久保山、保土ヶ谷で一服。首都高では、川口線、向島線で帰省ラッシュを覚悟していたが、あっさりと肩すかしで渋滞もなく、珍しく高速は往復全線スムーズに走れた。

菩提寺では母とカミさんに動いてもらって、私は寺の駐車場にころあいの木陰があったので、車の中で窓全開で爆睡。

塔婆の始末は寺にお願いし、3時半に保土ヶ谷駅近くの高速に乗って群馬に向い、母を降ろし、8時に帰宅。体力も目一杯使い切った一日でした。

2013年08月18日

かん太郎とびんのすけ・・・6

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病後に作った2本の自作の杖の、片一方の握り手と杖部分に、ガタがきて作り直しを迫られている。

杖の中心に6ミリのアルミ棒を入れて、自分では頑強に作ったつもりが、歩く時の自分では気が付かない癖で、内部の接着剤が剥がれてきています。

日頃使っている壊れかけは、握り手がしっくり自分に合っているが、遊びが無く形もまだ中途半端です。

完全に壊れる前の用意にと、今度は3本用意していて、握り手を作れば完成なんですが、合間に雑用が入るので、これが邪魔するんですね。

今度は目一杯遊びを入れた使い易い握り手を作るつもりですが、仕上がりが何時になるか、自分でも分かりません。

完成したらお披露目します。

2013年08月19日

かん太郎とびんのすけ・・・7


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2013年08月20日

かん太郎とびんのすけ・・・8


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2013年08月21日

かん太郎とびんのすけ・・・9


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2013年08月22日

かん太郎とびんのすけ・・・10


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2013年08月23日

かん太郎とびんのすけ・・・11

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 昔々、50年以上も前の白黒テレビを見ていた頃のアニメの一種で、その頃の立体アニメの一コマ撮りの、ストップモーションと呼ばれるアニメに夢中だった。

 最初に見た立体アニメは、〈ミツワ石鹸〉のCMだった。

 魅力的な可愛い3人の女の子の人形が「ワ、ワ、ワー、輪が三つ(繰り返し)、ミツワ、ミツワ、ミツワー石鹸」と踊りながら合唱するもので、どうやって調べたかは忘れたがファンレターまで出して、制作会社から丁寧な手紙を頂いたことがあった。

人形の作り方から制作現場の図入りの丁寧な手紙と、遊びに来なさいという実に有難い手紙だったが、当時一人で東京まで行くには無理があって、無礼にも返事も出さずそのまま経ち消えとなってしまった。(つづく)

 

2013年08月24日

かん太郎とびんのすけ・・・12

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ミツワ石鹸のテレビCMのストップモーションアニメに目覚めた頃、今は住宅地になっているが、当時の保土ヶ谷小学校と警察署に挟まれた小さな公園で、屋外移動映画会があった。

そこで見た、『ちびくろサンボのとらたいじ』が鮮明に頭に焼き付いている。

インターネットで確認したところ、制作が1956年だから、昭和31年に作られた18分の短編ですが、記憶ではフィルムはかなり痛んでいて、雨が降ったり途切れたりで見にくかった覚えがあります。この作品も私の原型の血肉になっているもう一度見て見たい作品です。

2013年08月25日

かん太郎とびんのすけ・・・13

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ストップモーション・アニメで、次に鮮明に記憶に焼き付いた作品は、中学か高校生の頃、テレビで見た映画の『キング・コング』(1933)だった。

 当時はテレビもモノクロの小さい画面でした。

アニメが映画に組み込まれたこの映画も、時代的にモノクロなのは仕方が無いとして、画面が鮮明ではなかったが、その登場の仕方から、エンパイア・ステートビル屋上の先端に登ったコングと、複葉機の戦いまでが素晴らしく、その後リメイクされた「キング・コング2」(1986)や、ピーター・ジャクソンの2005年版の映画のなかで生き生きと動いたCGのコングと比べても、私には遜色がないものだった。

最初に見たコングと最新版?どちらが良いか?、食事にたとえて言うと母親の手料理と有名レストランの凝った料理のようなもので、個人的な好みは愛情一杯のシンプルな手料理の方に軍配が上がるんですね。

ちなみに、私の場合実際の母親の手料理は、みそ汁に味噌の固まりが入っていたりして苦手でしたが。

2013年08月27日

かん太郎とびんのすけ・・・14

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今年の5月に、ストップモーション・アニメの巨匠だったレイ・ハリーハウゼンが92歳で亡くなった。

映画『キング・コング』の生みの親で特撮の創始者?ウィリス・オブライエンに影響を受け、ストップモーション・アニメの魅力を知らしめた数々の作品の特撮監督を勤めた人だった。

『アルゴ探検隊の大冒険』(1963)では、探検隊が青銅の巨人タロス像の台座から宝物を盗み、タロスが動き出す場面から、土中から沸き出てくるように出現した骸骨の剣士たちと、実写の俳優達の探検隊と闘った映像までインパクトあるシーン多くあり、この作品が彼の代表作ではないかと思っている。

シンドバッドシリーズ3部作では「虎の目大冒険」(1977)で、6本腕のカーリー像とシンドバッドと闘うシーン。

ハリーハウゼンのもう一つの代表作『タイタンの戦い』(1981)で、下半身が大蛇で姿を見ると石になってしまうというメドューサとタイタンの、アニメとはいえ息を呑むほどの緊張感があった一騎打ちシーンが今でも頭に焼き付いている。

2013年08月28日

かん太郎とびんのすけ・・・ストップモーション・アニメについて

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ミツワ石鹸のテレビコマーシャルから、子供の頃テレビで見た「ジャスパー」というニグロの少年が主人公のストップモーション・アニメの話に繋げるつもりが、横道に逸れてしまった。

この手間暇のかかるアニメーションに随分と長い間チェコのアニメと勘違いしていたが、森卓也さんの著書「アニメーションのギャグ世界」という本のなかに、ジャスパーを創ったのがアメリカ人のジョージ・パルという名前で、SF映画の名作『宇宙戦争』(1953)のプロデューサーでもあったことが分かった。

このジョージ・パルのアニメーション・スタジオで、若い頃のレイ・ハリーハウゼンも仕事をしていたことも分かり、このレイさんの高校時代からの親友がSF作家のレイ・ブラッドベリだったことを思うと、人との繋がりがクモの巣のようになっていたことが分かります。

上の絵は子供時代に見た屋外移動映画会風景を思い出しながら描いたもの。

映画はパルの「ジャスパー猟に行く」の一場面です。

もう一度じっくり見たかったアニメですが、ユーチューブでも見つからなかった昔々のフィルムです。

2013年08月29日

回復期リハビリ訓練・・・70 収納ケース等の再生

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物置の中がゴチャゴチャになってしまっていて、使いづらくなっている。

で、中にある古いペンキ缶を整理しようとしたが、中味が残っているので捨てる事が出来ない。

半世紀以上前に親類の職人に造ってもらったセピア色の収納ケースが、30年近く雨ざらしで壊れかけているのが目に入った。

それと、先月貰ったメダカに子供が生まれた時の用意のため、火鉢を使おうとしたが細かいヒビが数カ所見つかった。

これでは水を入れてもダメだし、内側が黒くて汚いのと、水漏れをコートする為接着剤でヒビを塞いで年代物の白ペンキで内側を塗ってみた。

またニスの缶も残りがあったので、軒晒しのためと屋外作業でロールサンダーで傷付いてニスが剥げかかったベンチもついでに再生した。

自分が壊れかけて再生途中の為か、壊れかけを見過ごす事が出来なくなってしまったようで、再生の仕事が優先順位のトップになったのかも知れない。

2013年08月30日

かん太郎とびんのすけ・・・15


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2013年08月31日

かん太郎とびんのすけ・・・16

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ミツワ石鹸のテレビコマーシャルに目覚めて、ストップモーション・アニメの面白さを知らされた子供の頃からの思いは今でも変わらずに抱えています。

その十数年後の、職業として最初の出発が、キャノン・パーソナルコンピューターに一枚マンガを添えて日経エレクトロニクス誌に載った分野が奇しくも、コマーシャルだった。(カテゴリー2)のカーツーンの中と、2011年7月26日参照)。

商業絵描きとしての出発点が、1978年と、若干遅いプロデビューだったので、あの日親に頼み込んでミツワ石鹸のストップモーション・アニメの制作現場まで行っていれば若干違ったプロデビューをして、ストップモーション・アニメに手を染めていたんではないかと、(食っていけるか行けないかは別にして)未だにこの分野に魅力を強く感じている。

 

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