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風邪の症状はどうやら回避したようです。
葛根湯と焼きニンニク・休養と睡眠で体調が戻ったので、風邪ではなかったのかも知れない。
あと数件だと思うが、昨日は年賀状を改めて作り直した。
なんにしても2015年は幸運の出だしのようです。
本年も体調管理と気力回復に重きをおいて生活することを目標に、無理せずカラクリ3Dカーツーンの制作に励んでいくつもりです。
小学館から発行している「小学二年生」の、1999年6月号から9月号までの本が出てきた。
当時発行されていた諸々の雑誌に、読み物が少なくなっていたのを理由に、復活を込めて、昆虫紹介の読み物としてこの本で連載されました。
著者の矢島稔さんは、現在群馬県立ぐんま昆虫の森園長で、東京動物園協会発行の「インセクタリウム」誌を立ち上げた方と聞いています。
この矢島稔さんをモデルに、男女2名の子供たちが昆虫世界をナビゲートした22話に、出版に際しプラス1話を追加して、2001年8月に上の表紙で一冊の本に纏められ、発行されました。
この本の出版直前に急逝した、担当編集者だった玉田聡さんの追悼を込めてこれからしばらく紹介します。
もし、宝くじが当たったら・・・、一年に何度か耳にする話だが、年金生活者として、現実味の無いことには、手を出さない(出せないのが本音)ことにしている。
四半世紀前の平成元年に、第一勧業銀行宝くじ部の冊子「’89宝くじのしおり」に関わらせてもらったことがあった。
このなかの、宝くじこぼれ話のページに、高額当選者の体験談に絵を添えさせてもう機会があった。
夢のまた夢を現実に手に入れた人たちに、興味が湧かない訳は無いが、実際は、後日談の方がもっと知りたかったのが本音です。
落語に【水屋の富】という噺がある。
裏長屋に住み、江戸の町中へ水を売って歩く商売の、独り者の男が千両富に当たった。
一日中、重い水桶を担いで売り歩く過酷な商売なので、千両が頭から離れず、気が休まらない。
富が当たった翌日から、一晩でも安心して眠ることが出来ないでいた。
不眠症が続き、これでは体が持たないと、一計を案じた男は千両箱を床下に隠して取りあえずは一安心。
ところがそれでも心配と、毎朝商売の出がけと帰りに長い竹竿で床下の千両箱をつついて確認していたが、ある日その不審な行為を、長屋の住人の一人に見られてしまって、このお宝が知れて盗まれてしまった。
その日の仕事帰りにいつもの習慣で床下を探ると、竹竿の先に当たりが無いので、床下を見ると、千両を盗まれていたことが分かり、茫然自失。
気を取り戻した男が、ため息混じりで一言。
「これで、やっと安心して眠ることが出来る」
サゲが【愛宕山】と同じで、持ち付けないお宝を逃した男の心情が出ています。
後味が薄味なのも、江戸落語の粋が感じられますが、一寸物足りない気がする噺の一つです。
「富久」「宿屋の富」(上方では「高津「こうず」の富」)「御慶」・・・。
子供の頃から落語を聞いていたわりに、咄嗟に頭に浮かぶ「富」に関する落語のネタはこんな程度。
内容も千両富に当たるまでの話で、気分良く寄席を後にしてもらうためなのか、縁起もののネタになっているようです。
棚ぼた、あぶく銭と言ってしまえば、身もフタもないが、何億?でも懐に入ったらなど、考えている時が一番良いようです。
高額当選を果たした人と、高額当選に気づかず、人生最大の幸運を逃した人の、その後の人生を描いた落語があってもいいんですが、これは無いようです。
喜劇映画の巨匠・チャールズ・チャップリンの名言に「人生はクローズアップで見れば悲劇だが、ロングショットで見れば喜劇だ」という、有名なフレーズがある。
迷い道の途中で、大金が手に入るチャンスと耳打ちされれば、なけなしの銭をはたいてまで、行動してしまうかも知れない。
また、聞きかじりの落語のまくらですが、「ひもじさ(生活)と恋(夢)を比ぶれば、恥ずかしながら、ひもじさが先」。
高額の当選宝くじを、期限切れで分かれば、どん底にたたき落とされたと感じるが、万年青年の落語家、春風亭昇太師匠は、アクシデントに逢った時やどんな時も、こんなところで運を使ってはもったいないので、後々のため運を保存したと思えば気が楽になると、トーク番組で言っていた。
これも名言(迷言?)かも知れない。
宝くじに当選した方法は千差万別、幸運を手に入れた人と同じ行動は無意味。
「買わなければ、当たりません」は、「買ったところで、当たる気遣いはない」と、考えると夢はないが、がっかりすることも無い。
無駄な出費は木材や工具の備品に充てた方が生活は潤うし、精神的にも良いので当分の間は、【宝くじは自分に無縁】のようです。
小学館発行の「小学二年生」1999年7月号。
現在の月刊誌事情はよく分からないが、半世紀以上前の月刊誌は、看板マンガの「鉄腕アトム」「鉄人28号」「赤銅鈴之助」「月光仮面」等々の載っていた「「少年画報」「ぼくら」や「少年」に付いていた付録が、本誌の間に挟まって、大人の手でも片手で持つのは難しいほど膨らんで、書店でうずたかく積まれて売られていた記憶がある。
当時我が家では、こういった月刊誌を子供に買い与えてもらえるほどの家庭事情ではなかったと思うが、親類に貸本屋があったので、一〜二度だけだが(付録)をもらった記憶があった。
本誌の写真入りの説明で、乗り物や建物でもすべて紙製の見事なフォルムで、仕上がりは結構大きかった覚えがある。(記憶は不明です)
で、案の定完成は出来なかった。
が、付録が豪華というのは、買う上での最大の魅力で、今も昔も変わらないようです。
この掲載誌に付録まで頂いた訳ではないが、付録はかなり苦心していたように見受けられた。
母親の用事で、ドライバーを勤めた一昨日、長い間会話をしていなかったことで、長年思い込んでいた父親の職業が箪笥職人ではなく、指物師だったことが判明した。
では何故箪笥職人と間違って覚えていたのか?
自分でもよく分からないが、父親兄弟は皆指物師や箪笥などを作る生業をしていて、子供の頃、父親のすぐ下の弟で、私が大好きだった桐箪笥職人の叔父の所に遊びに行った映像が、家の職場と混同して残っていたもののようだ。
ちなみに、頑固一徹で苦手だった父親が亡くなったのは、半世紀以上遙か昔のことで、私が10歳の頃、記憶も朧気になるのに不思議はないと、自己弁護。
その箪笥職人の下の弟は、父親の弟子から出発して、指物師で独立。
後に機械をいれてハコモノを作っていたようで、頑固一徹の親父との仲はそれで想像が付きます。
また、その下の末弟は磨き職人(?)のようで、当時建具などの磨き専門の職業があったようで、今では考えられないが、生業として成立していたとのことだった。
その苦手だった父親の手になるモノで、今あるものとしては、母親の家にある仏壇とのこと。
現在残っている作品に、当人の位牌が鎮座していることを考えると、私のDNAに強い繋がりを感じた1日だった。
導火線が短い、や、瞬間湯沸かし器など、短気はあまり良くないことのように言われる。
確かに、完成間近の作品を破損、なんてことは日常茶飯事で、直後に頭を抱えて自己嫌悪で落ち込むことがある。
祖父であり養父でもあった父も、今の私以上に尋常でなく短気だった。
子供の頃は、何時導火線に火が付くか、毎日ビクビクもので、父の目線に入らない生活をしていた。
私だけでなく、先年身罷った六女の姉も、私の母と同じ誕生日を、二ヶ月遅れで役場に登録したことなど、父との確執は尋常で無かった。
父の亡くなった年齢を追い越した今、昔気質は(ほんの)少し受け継いでいると自分でも思う。
ただ、家族に対しては間違いなく父とは違うと言えるが、母親に言わせると、それでもよく似ているそうだ。
・・・いい年して何時までも自分を否定してはいけないし、認めてはいるが、・・・困ったもんです。
リハビリ訓練は、そろそろ5年目に入る。
諸先輩たちと毎回顔を合わせていれば、私は人と会話をするのが苦手な方だが、それでも自然と会話が始まる。
ここへ通ってくる人の割合で、驚くほど交通事故で、歩行困難の人がいることに気づいた。
昨日は、そのなかのお一人で、喜寿の元板金職人の人と隣り合わせの席になり、お互いの情報交換が始まったのはいいのだが、こちらの会話が始まると、相手の顔が途端に無表情になり、目が虚ろになる。
年齢を考えれば分かることだが、かなり耳が遠くなっていることが後で知れた。
その方は、15年前に停車中後ろからダンプに追突され、首の骨と、腰骨がクラッシュして、長期入院で生還したとのこと。(首の骨を折っても、歩けるほどになる人もいるんですね)
訓練所内で、最初に見た時は両手でストックを杖代わりに歩いていたが、今はカートを補助にしている。
現役時は100キロを超す体重だったというが、今はかなりスリムになっていてその面影はない。
事故後、糖尿が発覚し、先月大腸がんを直し、人工肛門になったが快適生活を送っているという。
で、当方の会話は、半分も通じていたのか心許ないが、相手が会話した事で気分が軽くなれば、話が成立しなくとも結果良ければですね。しかし、・・・少し(どころでは無く)疲れた。
一枚マンガの注文を、生まれて初めて受け、【貧乏神が舞い込む生活の】出発点となったのが月刊「小説宝石」誌だった。
毎月1ページ掲載で、毎回数点を提出し、掲載してもらえなかった分も一緒に茶封筒に入れ、プラスチックケースに放り込んで物置に仕舞っていた。
40年も経つと紙の変色もあるが、コメント等版下をのり付けした部分からか、カビが増殖している。
悪いことに他の絵にもカビが影響していて、その種のカビを取る技術が無い。
このホームページに載せる絵は、スキャナで消せるが、そのままでも面白い効果を生んでいると思ったので、面倒な手間を省たまま、これから暫く紹介していきます。
昨日の昼過ぎに、木工作業中、突然バンドソーのモーターが止まってしまった。
今のところ、木工作業中で一番の頻度で使っていて、むしろ酷使したきらいもあった。
私には、細かい微妙な作業でも、糸ノコ盤より使い勝手が良いので、この故障はダメージが大きい。
すぐに買ったところへ電話して、点検修理を頼んだが、この愛機は、母親の雑用の合間に見初めた工具なので、わざわざ館林まで持って行かなければならない。
今日25日の天気予報では快晴とのこと、こんな日は屋外でベルトサンダーが使える最良の日だったので、作品作りの、この遅れは残念でならない。
木工用バンドソーを車に積んで早速購入先へ持って行った。
購入したのは去年の夏、と、保証書の購入日を見て修理を頼だ後、無料で出来ると安心したのは束の間、先方で確認し直すと、実際は一昨年だった。
保証期限の一年は過ぎていたので、多分モーター交換は避けられないと考えると、実費は覚悟しなければならない。
モーター交換くらい自力で出来ればいいのだが。
ユーチューブで見ると、この種の作業人口の多いアメリカの木工家なら、簡単にやってのけただろうと思うと、人頼みしなければ何も出きない自分の不甲斐なさ、に思いやられる。
最近は。頻繁に発生する雑用に振り回されて、疲れが溜まってきていることに加えて、この寒さで、足裏の痛みや痙攣が起こる事を、ほぼ一ヶ月毎の定期検診で医師に伝えた。
自分で痙攣と思っていた症状は、脳出血患者に、大なり小なり起きる症状の「足クローヌス」ということが分かった。
私の場合、この症状が顕著に表れていたようだ。
この問題回避には、歩行や運動以外は、装具を外していれば、現れないとのこと。
リハビリ訓練中に、このところ頻繁にこの症状が起きていたので、昨日は代表指導員に伝えたが、日頃冗談や、訓練を怠ける言い訳の多い私に、信用が無くなったこともあり、装具を外す度に報告しなければいけなくなった。
「一人で大丈夫?」こんな何気ない会話で、導火線に火が付いてしまった。
こちらの体を心配しての、声かけと重々承知している。が・・・。
歩いている途中に、声をかけられただけでも、【動作が凍り付く】とまで言わないが 、けつまずいたように急に体が固まってしまう。こんな不思議な症状を何度も経験している。
先日も、作業台に固定した14キロの重さがあるベルトソーを下ろし、玄関から車に、転倒や工具を床に落とさず、無事に右手だけで乗せる、
たったそれだけでも、次の動作を安全に注意深く考えながらの、自分には大変な作業となる。
その集中した考えの途中に、声をかけられただけでも、動作が突然止まってしまって危険この上ない。
今まで何度も、黙って見ていてもらった方が安全だからと、家内に頼んで耳に届いていると思っていたが、とうとう怒り心頭。うっかり怒鳴ってしまった。
気を大きく、相手を思いやっていれば、こんな感情はは生まれないと、自己嫌悪に陥っています。困ったもんです。
毎年正月に、与野にあるドイトで恒例の道具市があり、病後数年ぶりに行って丸ノコを格安?で手に入れた。
電動工具の恐ろしさは、油断すると一瞬で体の一部が無くなってしまうのは分かっているし、また近所に経験者が一人居たので、いくら欲しくとも迂闊に手が出なかった。
が、手に入れてしまった以上、手動で使うとコントロール出来ない危険も起きるので、ベルトソーの修理期間内に、丸ノコを机の下に固定する形の作業台を作ることにした。
車を運転中に、突然意識が薄れ、路肩を歩いている中年の女性に、危うく追突寸前で止まった(ようだという)。
外見では何でデイサービスで、リハビリ訓練をする必要があるのか、ここ一年分からなかった知的な風貌の、70代半ばの教授風の男性が話してくれた。後に聞いた話では、引かれそうになった中年女性が、救急車を呼んでくれたようで、その後は病院を3カ所たらい回しにされ、受け皿の病院では、脳外科の医者が居ず、神経内科医常駐の病院なので、開頭手術が出来ない。
で、脳の血管内に詰まった瘤を薬で溶かして強運にも無事生還を、家族から聞いて、一週間意識が戻らなかったことを知ったという。
リハビリ訓練の休憩時間で、足の不自由な親父仲間の免許談義から、この教授が70代半ばで車免許返納と、家族全員で運転を猛反対された理由を聞いたのが、会話の始まり。
が、脳梗塞の後遺症は残り、まだ半身のしびれがまだあるので訓練を続けているとのこと。
人身事故が無く、車も無事、ご当人は一寸不自由!でも、強運!ですね。
アナログ・レコードの復権で、最近はブームが起きかかっていると、ラジオやテレビのニュースで知った。
気分転換や疲れたときなど、行きつけのリサイクルショップに立ち寄って、レコードを漁ることを密かに楽しんでいたが、ここ数年、この種のライバルが増えてきていたのを実感していた。
で、よもやと思っていたが、このブームが本格化すると、リサイクル店のレコードも値段の高騰が予想され、私の楽しみの一つが消えることを覚悟しなければならなくなった。
病で倒れる少し前、たまたま目に入ったカラヤンの10枚組レコードのボックスに100円!の名札を見てから始まった。
その後、クラシックからイージーリスニング、タンゴ、シャンソン、カンツォーネ、ジャズ、オールディーズ、落語など続々と購入、実家にまで預ける程になってしまった。
しかし、カミさんの呆れ返った顔も、そろそろ見納めになるかと思うと、残念だが、この辺が潮時なのかも知れない。