スクラップ・スケッチ・・・367
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木工作業でいうと、大まかに決めている一日のノルマが、半分も達成出来ていない、どころか、手に着かない日もあり、これが三〜四ヶ月も続いている。
オートマタのカラクリの具合が、うまくいかず、一日中頭の中でこねくり回しているだけで、他のやるべき雑用も手が出ない。
こんな時は気分転換がいいと、デイサービスで世話になっているウォルター・マッソー氏から頂いた樹齢ン百年?もあろうかという、大人の男性の太もも位の太さのドウダンの根本の成形をしてみた。
木肌は真っ白く、染みひとつ無いので、翼竜やエアクラフト、クラシック・カーなど、次々に作りたいと思える対象物が浮かんできた。
これを弾み?に、「木馬とペット」の作業再開(カナ)・・・です。
モハメド・アリが亡くなった。
リアルタイムで印象的なボクシングの試合や、多くの教訓を残してくれたボクサーだったと思う。
今でも一番強く心に残っているのが、
【諦めるな】【工夫しろ】【前へ進め】
の、三つが焼き付いている。
冥福を祈ります。
アルバイトと西蒲田のアパート(テレビもない角部屋の四畳半でした)を、漠然と往復していた画学生時代、石膏に向かってデッサンをしていた日常に飽きた時の、1970年代前半頃の落書きだったと、記憶している。
自分の向かうべき方向が固まりだしてきた当時の、将来に対しての不安が、蘇ってきます。
先日の『大江戸・東京重ね絵図』の後に描いた地図です。
彩色は色鉛筆からカラーインクに変わっているので、四半世紀前頃の地図ではなかったのかと思います。
東京は刻々と変貌しているので、地図としては数ヶ月の寿命になり、すぐに使えなくなってしまいます。
この地図も、浜松町駅のコンコース(赤に色分けてある通路部分)数カ所に置いてもらっていたと記憶しています。
これは、東京動物園協会から発行の月刊「インセクタリゥム」誌(残念ながら2000年12月号で休刊)の昆虫園ニュースのタイトルカットです。
二十代前後の頃、イギリスの古いマンガ雑誌『ロンドンパンチ』に、鳥のマンガだけを発表していたハーブリーグという愛鳥漫画家が大好きだった。(どっこい、今でも)
他にも、車一筋の一枚マンガを発表したブロックバンクという漫画家がいたり、クラシック音楽専門のジェラルド・ホフヌングという超一流漫画家もいて、この人も頑固一徹、音楽一筋の表現で、今でも私は尊敬している一枚漫画家です。
イギリス人という人種の特質のひとつは、我が家の系列にも居て、頑固一徹という印象があり、余計なお世話ですが、これで食べて行けたのかと、心配でもあり、羨ましくもありました。
兎も角、20数年前に突然、動物園協会編集部からお声がかかり、これから昆虫の絵が描けると、小躍りしたモノでした。
1995年1月号から休刊まで、お付き合いさせてもらいました。
1995年5月号から、こんちゅうノート【アブはどうしてハチに似ているのですか?】のカットです。
ウゥッ、ブラウン管テレビ!・・・時代を感じさせます。
昆虫のなかで、何が一番好きかと、問われれば【クヌギシギゾウムシ】。
スターウオーズに出て来るようなメカニックなフォルムに、イメージが次々に浮かび、(妄想?が)膨らんできて魅せられています。
が、あまり好きすぎるのも考えものかも知れません。
猫の額ほどの我が庭に,近くの雑木林からクヌギの苗を抜いてきて20年ほど経ちますが、未だにこのクヌギシギゾウムシは目にしていません。
理由は?「庭木に適さない」からと、毎年、家内が目の敵のようにクヌギの枝を切りすぼめていること・・・・かなぁ。