愛犬ラッキー! №265 かまくらを作ろう
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ジービーR2の主翼車輪の切り出しを終え、コクピットの切り出しの途中写真です。
5日前に、90番?の荒目のロールサンダーで作業中、薄めの小さな板が成形中に突然指から離れ、人差し指先端を思いっきり削ってしまった。
ここ数日は、シャツのボタンかけ等日常の動作や、リモコンや、マウス等、無意識に人差し指先端を使って、そのつど痛みに難儀していたが、ようやく傷口が癒えてきたようなので、木工作業の再開です。
ベルトソーや、糸ノコ盤などは特に、小さなパーツは親指人差し指先端に力を集中して使うので、今もカットバンで二重三重に保護してるが、集中力が削がれるので、休み休みの作業となります。
本誌見つからず、タイトルが不明です。悪しからず。
数ヶ月前に、入浴中に体を冷やした事が原因?で、右膝の痛みが出たことに懲りた訳ではないが、今年の夏は、作業中どころか、終日冷房はせず、窓を全開に開けて木工作業をしている。
この猛暑と加齢や体調を考えると、何をするにもやる気に時間が掛かり、結果何も出来なかったという日も増えてきている。
と、いうことで、フルスクラッチのジービーレーサー作りは遅々として進んでない。
お盆に入った今朝がた、母親から墓参りに連れて行くように電話があったが、この猛暑のなか、首都高の渋滞やらなにやらで、後日にして欲しいと頼んだが、聞く耳を持たずの対応で、それほど行きたいのならお一人で行って下さいと、かなり乱暴な事を言ってしまい、中っ腹で強引に電話を切ってしまった。
口の利き方は元気いっぱいにとられるが、満足に行動出来ない現状は、他様には分からず、遅れに遅れているオートマタ作りも、ジービーレーサーのフルスクラッチビルドも、ろくに手に付かず、猛省の一日だった。
齢90の親に対し、も少し口のききようがあったんではないかと、大人げない自分に無性に腹が立った一日だった。
大施餓鬼法要(祭?)の予定日だった昨日、母親を連れて先祖の墓詣りと、保土ヶ谷の菩提寺へ行ってきた。
朝食抜きで、早朝出発を前もって家内に告げていたが、何やかやと半刻遅れになり、6時45分に出発。
群馬で母親を車に乗せ、東北自動車道・館林から首都高向島線、横羽線の(何故か景色の良い湾岸線は好きになれない)羽田を通って、みなとみらいで降り、お盆に一日遅れになってしまったが、野毛山の(養父母でもある)祖父母が眠る(?)寺に着いたのが10時半。
花を手向け雑草を刈って墓参りを済ませ、保土ヶ谷の菩提寺へ向かった。
途中、高校まで過ごした(今は無き)西久保町の家近くの、コインパーキングで車を止めたのが11時半。
東海道保土ヶ谷宿・街道脇のハンバーグ店で昼食を済ませ、菩提寺着で12時。
早々に用事を済ませ、祭り開始前の13時に帰路についた。
首都高横羽線から、5号線、東北自動車道・館林で降り、実家前で親を降ろし、館林ビバホームでバンドソーの替えを買い、17時半に帰宅。
この日、睡眠休憩が無かったので、体力は少しは戻ってきたのかも知れない。
総行距離360㎞越えの一日デシタ。
この夏は意地をはって、頑固に冷房をしなかったこともあり、昨日は気力も体力も一気にレッドゾーンとなって、終日ダウン。
クーラーを使いながら作業は、木屑パウダーが飛び散るので、数時間しか木工作業は冷房を使えない。
ま、気力体力は、加齢も考えれば、限界にきているのを認めない訳にいきません。
本日はここまでで、一休みとします。
思い描いていたジービーレーサーのフォルムを、これからたっぷり時間をかけて、手作業で削っていきます。
電動工具のなかで、使用頻度が一番高いバンドソーの具合が良くない。
原因はコード中央の断線で、日によって快調に作動したり、通電しない時が徐々に増えてきている。
思い切って秋葉原へ、アース内蔵の電源コードを買いに行く方法もあるが、優先順位が邪魔をする。
ここ3日は(自作の特殊)棒ヤスリ作りに精を出し、当面のジービーレーサーや、今後のスクラッチビルドの成形が、無駄なく遣りやすいヤスリ作りをしていた。
そんなわけで他の用事までして、気力体力が続かないのが現状です。
野山に出かけたときに出会った蝶や、オニヤンマなどの他、珍しい昆虫を見つけた時の捕らえ方など。
また、捕虫網などが無い場合の、素手で捕らえる要領を知っていれば、と、成功率の低かった昔の記憶が蘇ってイメージしやすい挿絵になりました。
タイトルは『虫を手で捕る』です。
市販の棒ヤスリでは、どうも具合が良くないということで、自作することとなった。
止むにやまれず、時間オーバーを覚悟で作ってみた。
丸棒ヤスリの握りを自然木にしたのは、単に探す手間を省く為で、これから使い心地等、折角作っても、このなかの何割かは淘汰されると思います。
タイトルは『ゲンゴロウ採りは雨ふりだって平気さ!』の挿絵です。
農業振興区域の現在の土地に引っ越してきた当初は、夏の夕方、仕事帰りに農道脇の草っ原で、(平家?)ホタルを見かけたことが何度かありました。
ほぼ40年前のことでしたが、幻想的なショットが今でも強く脳に焼き付いています。
その頃もゲンゴロウは居たのでしょうが、のんびり見ている生活環境ではなかったので、残念ながらゲンゴロウの目撃はありません。
が、ここ十数年は実りの時期に、田ん中のイナゴを見かけたことも無くなりました。
それが一匹も居ないのが不思議です。
また、十年ほど前に1度だけですが、我が家の日本間に、一匹のアオダイショウ(1メートルほどでした)が無断進入したことがありました。
ゲンゴロウの文字で蘇った招かれざる客と、招いても来ない客の思い出でした。
最近、家の近くで、救急車のサイレンが何度となく鳴り、仕事の手を休めてまで、サイレンの方向が気になって仕方なくなっている。
今年は、家内の幼なじみが立て続けて急逝したもので、70歳も後半になると、体力的にも無理が利くこともあり、知らず冥界の扉を開けていたなんてことがあるようなので夙に気をつけている。
先日も、猛暑のなか、ご近所の(年齢的にも近しい)男性が畑で(雑草を刈っていたのか?)倒れ、救急車で運ばれた時は心肺停止状態だったそうで、そのまま彼岸に向かったと聞いている。
この夏は冷房を付けず生活すると決めていた。
自分でも鉄壁の頑固と認めていたので、それが仇となり最近の木工作業は失速気味となっている。
ま、夕方涼しくなってから、なんて考えは壮年期までのようで、そのままずるずるとベットに直行という情けないことになっている。
『インセクタリゥム』誌1998年4月号の、ゲンゴロウの採りかたについての続編。
【ゲンゴロウを飼ってみよう!】の内容は、水生生物を飼った経験があれば皆同じなのではと思います。
我が家でも、子供たちが小さい頃ゲンゴロウではなく、ドジョウやミズカマキリを飼ったことがあった。
ドジョウなどは思いの外、寿命が長かったという記憶が残っている。
水槽の水替えは、簡単な水替えの方法を知らなかったこともあり、思いの外重労働で、10日から半月ごとに水替えを行い、それが数年(3〜4年?)続いた覚えがある。
不精者の私には不向きな生き物でした。
月刊『インセクタリゥム』誌の編集部に、許可を貰って立体で絵を描いてみた。
ドローイングと違って、また別の楽しみと、今後の発想の広がりの予感と、発展を期待した第一号作品です。
このブログの、 カテゴリー4)3Dカーツーンで、一番最初の2009年6月1日にも紹介があります。
以前ほどでは無くなったが、月刊誌や雑誌が極狭の仕事部屋に溢れかえってきて、保存場所が無くなってきた。
ということで、必要なページだけをセレクトして纏め、それを製本して本棚に収めることとなった。
写真は20年ほど前に、サライやラピタなど資料としても使えるページを纏めて無線とじで製本したモノです。
この他にもこういった資料本が数カ所に分けて収めてあるが、整理の仕方次第で、当初の10分の1〜3 ほどのスペースで済ことになります。
無線とじの弱点は、左下写真(クリーム地の資料本・左から5冊目の洋雑誌のカーツーンページだけを製本)でもお分かりかと思いますが、グラビアページが離れやすいことで、その都度木工用ボンドで留めることになる。(続く)