« 2017年02月 | メイン | 2017年04月 »
暦の上で、今日は啓蟄とある。
冬ごもりの虫たちが、土中から這い出してくるのが今頃、ということになっている。
屋外での木工作業や雑用がなければ、外の空気を吸うことが無いので、庭に出て昆虫を探し回ることをしなくなった。
10年前に谷本雄治さんが書かれた「八本あしのゆかいな仲間 クモ」(くもん出版刊)に描いた絵が一枚出てきたので、啓蟄の日に合わせて発表させてもらうことにした。
厳密に言うとクモは昆虫ではなく、エビやカニの仲間の節足動物ということになっている。
昔から日本では蜘蛛に始まって?蛇や、蝮(マムシ)、蛙(カエル)、蜥蜴(トカゲ)、蚯蚓(ミミズ)、蛞蝓(ナメクジ)、蝦(エビ)蟹(カニ)蜆(シジミ)蛤(ハマグリ)ゲジゲジに至るまで、【虫へん】がついていて、このゆるさが日本人の良いところと思っている。
無自覚で、箸にも棒にもかからない自堕落な中学生活を送っていた頃、一時期だが、このハエトリグモを空のマッチ箱に入れて闘わすことが、学校で流行ったことがあった。
今時の子供に、こんなことを教えたら、どんな顔をされるか、見て見たい気もあります。
卒寿に近くなる頃から、「記憶力が衰えてきた」「物忘れが激しくなってきた」「呆けてきた」と、口癖のように愚痴をこぼすようになった母に、自伝を薦めたことがある。
若い頃の思い出や、記憶に残る出来事、横浜大空襲の時の家族はどこにいたのか、両親祖父母、親類縁者等を思い出しながら、メモ書きでもいいから書き残すことを薦めて、気分転換をしてもらうつもりだった。
昔から、家族に頭脳明晰を頼られてきて、長い間身に染みていた母からすると、年齢からする脳の劣化で,気丈な母が珍しく弱気になってきていたのではないかと推測する。
子供の頃から皆にみそっかすと言われ続けていた我が身からすると、あ、また、嫌みなことをと、腹立ち紛れに思いついたことでもあった。
書きためたメモを全て読んだ訳ではないが、分かったのは津田家一族は昔から指物師の系譜ということだけ。
母の読みづらい早書き文字の、現在進行のメモを、根気よく解読するのは、今の自分に体力気力が不足しているので自信がありません。
物忘れが増えてきた。
こちとら母親と違って、餓鬼の頃から物忘れの常習者だから、今更慌てふためくことが無い。
が、一日中捜し物の時間に費やされ、これが徒労に終わると、いかに子供の頃から続いていることとはいえ、ストレスは溜まり、慣れるということがない。
厄介なのと、迷惑なのが同じ世代の連れ合いの方。
以前、血相を変えてガサゴソ捜し物をしていたことがあった。
そのうち様子がおかしい素振りが見えてきたと思っていたら、突然!「返してくれ」と訳の分からんことを言い出してきた。
挙げ句、私がモノを隠した犯人呼ばわりされ、スッタモンダが始まった。
落ち着いて考え、時間が経てば解決するのだが、濡れ衣を着せられた方はたまらない。
以来この忘れ物探しが、二度三度と重なってきても、変わらず冷たい傍観者の姿勢を崩さないでいる。
ケッケッケ、ケセラセラ。
津田家は女系家族だった。
長女(母)を筆頭に女が8人、男3人だったが、今は90歳の長女を筆頭に4女と7女、84歳の長男と、ドベの私の5人になってしまった。
ちなみにすぐ上の姉の7女と、私の年齢差は6年。
家族の中で、思春期の時期に男子としての扱いを受けた覚えは無く、犬猫や、路傍の石ころと同じ扱いだったと記憶している。
一方、家内の方は兄弟男女2人づつ。
明らかに違っているのは、両親に対する愛情が細やかなこと。
96歳の義母の体調不良で、未だに入院が長引き、毎日欠かさず義姉と家内は、病院へ見舞いに行っている。
一方、津田家の方は、20年前に身罷った養母(祖母)の臨終の時、4女と6女の二人は、息を引き取る間近の母の横で、臨終予想を語り、突然、膝を立てて寝ていた母の膝を、力尽くで真っ直ぐにしたのを目撃した。
理由を聞くと、イタズラが見つかった子供のような笑顔で言った理由は、膝を立てたままだと、棺桶に入らないから。
意識が無いように見えても、この時は「痛ッ」と母の意識が一瞬戻ったかのように思えた。
ドライと言えば聞こえはいいが、こんな家族の中で育った私が影響を受けない訳は無いと思っている。
ちなみに、家族の中でこの4女の姉がいちばん好きなのである。
今月24日にアップした【日向の無人踏切】を後日、反対側から撮った風景です。
この日は前日の寒さが嘘のようにポカポカ陽気だったので、線路際の菜の花も満開に咲き誇っていた。
日向町で日向ぼっこ?と、ノンビリしている余裕はこの日も無く、手早く雑用を済まして帰宅しなければ、一日が何も出来ずに終わってしまう。
いつものように用事を済ますと、そそくさと帰り支度を始め、心配顔に見送る母親を後に車に乗り込んでしまうのは、要介護1の親不孝息子の精一杯の親孝行もあるが、後ろめたくもある。