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コロナで今までの生活が変わってくるという。
私は昔人間なので、現金で支払うことに拘っています。
スマホで決済なぞ裸で町中を歩いているように感じてマッピラである。
我のパソコンに詳しい友人は、以前現金を知らずに引き出されていた事に気づいて、調べてみたら海外からアカの他人に引き出されていたと聴いたことがある。
インターネットの法整備もろくに出来ていない現在だから、いまだにガラケーだし、近いうち使えなくなると周りから脅されているが、なに、使えなくなったらそんな時は無い知恵を絞って対処すればいいわい。
上の絵は1983年に、カルミックという会社の小冊子で、UNI-ZONE誌第3号に掲載。酩酊劇場 TOP AIRのタイトルが付けられた。
この当時は色鉛筆で仕事をしていたんですね。
愛犬ラッキーを再開します。
私のライフワークになるこの漫画も、最初はお爺さんと孫の二人だけの家族からだった。
名前が付いているのは、この柴犬だけというアバウトな設定で始まった。
1988年10月から現在までの登場だから、このラッキーの年齢は33歳という理屈では通らない長寿犬になる。
お爺さんも初回から変わらず、孫だけは成長して青年になっている。
初回から三年後に、二人と犬と猫の生活から家族は増え(実際は帰国)、最後に加わったおばあさんや、家族全員の名前は未だに分かりません。
名前があるのはラッキーとメス犬のリボン、それにトラという名の猫だけ。
回を重ねるうちに、毎回画面に登場することはなくなったが、私の頭の中では元気にラッキーとリボンは走り回っている。
今まで三代目桂三木助の『御神酒徳利』が、お気に入りの噺のひとつだった。
主人公がついた嘘から抜け出すチャンスが無いうちに、最後は大きな福を得る噺だが、同じ噺でも筋とサゲが若干違うのが、五代目柳家小さんの『御神酒徳利』も好きだった。
この噺を小さん一門や他の噺家であまり聴いたことが無い。
ラジオでは昭和の大名人の一人、六代目三遊亭圓生の噺を聴いた3つだけである。
何気なくだがこの小さんさんの噺を数十年ぶりにカセットデッキに入れて聞いてみた。
年を経て今まで気が付かなかったが、リピートして聞いていると、登場人物たちの性格がそのものずばりで、しかも繰り返しに耐えてリアルであっても何とも心地いいのである。
ということで、 早速長距離ドライブ用にCDにして車に入れておくことにした。
新型コロナ感染者が出て、昨日で一年目という。
生来のインドア派だから外出自粛は苦にならないが、しばらく道具の手入れを怠っていたので気にはなっていた。
この寒さで脳はやる気満々であっても体は別で、気力すら薄れかかっていた。
これでは道具類は宝の持ち腐れになると、今日はノミ鉋・彫刻刀の砥ぎをすることで気力を奮い立たせることにした。
準備に小一時間掛かり、順調に砥ぎだしたはいいが、途中右手人差し指から血が出て止まらない。
ノミ数本と彫刻刀も、砥石と刃先に人指し指を押し付けていたので、ほんの数ミリの空きが傷を作ってしまったようだ。
片手だけの砥ぎはこの方法しか思いつかなかったし、一瞬の油断が中断を呼んでしまった。
片付けにまた小一時間掛かって後、気分一新。
傷が癒えるまで落語演芸のCD作りをすることにした。
彫刻刀の砥ぎの途中で傷付いた右手人差し指の先端の傷が、なかなか治らない。
唯一動く右手を四六時中酷使していれば当たり前なのだが、年をとった現実を実感してしまう。
仕方なく作りかけの作品を横目に、好きな噺家のCD作りに夢中になる。
年齢的にも身辺整理をしていなければならないのだが、一般常識より趣味が勝り、俺は一体何を・・・と、反省しながらの自粛生活なのです。
BGMで音を流す場合、カセットでは60〜70分テープを繰り返す方法もあるが、CDだと80分あるので多少手間が省ける。
最初に手が出たのは江戸前の小気味いい噺を聞かせてくれた五代目春風亭柳朝になった。
次に山の穴の円歌・木久蔵で、ご両者ともバイオリズム頂点の頃のモノ。
これから八代目三笑亭可樂・初代三笑亭夢楽と・・・・・馬鹿だねェ俺ァ。