愛犬ラッキー[292」何が見えた?
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水曜と今日の午後の陽気は紫外線が殊の外強く、真夏に戻ったような陽気になった。
今までのように極狭の部屋での木工作業は 、パソコン内部にダメージを負うので、今後はできるだけ外の作業とした。
一昨日は弓型バランスと前後の足の表面を整えたが、暑さと紫外線に負けて中途で作業を放棄していた。
今日は午前中に雑用を済ませた後、午後からベルトサンダーを外へ設えて作業を再開。
解体した椅子の骨組みのブナ材を木馬用に使うため各部の表面をベルトサンダーで整える。
別に馬の頭部と座面に使う銀杏の板も大まかにベルトサンダーにかけた。
次に、木馬の座面の背凭れ(尾)に使うカーブしたブナ板の表面を整えて、時間切れとなって残りは後日とした。
ここ数日の陽気と、木工作業に若干の無理が祟ったかして急に失速した。
それと、本日は52年前に白血病で逝った狛江の親友の祥月命日だった。
同じ画学生だったこともあり、芸大の試験に一緒に受けに行ったことがあった。
当時一人暮らしだった蒲田の狭い四畳半のアパートに奴が泊まりに来て、受験日の朝握り飯を作って 行ったことなど懐かしい思い出が蘇ってくる。
こんな日は静かにして、読みかけの文庫本、宮部みゆきの「ぼんくら」(下)を呼んで 過ごすに限るつもりでいた。
が、今日は妙にけだるい日で、何もやるつもりもなくダラダラした後、作りかけの木馬に手を出していた。
こんな時は失敗する確率が高いので、後でしっかり点検をしなければと思っている。
最近は笑い沢山の上方演芸ばかり聞いていた。
昔、ラジオから録音したカセットテープは、箱に入れて棚にぎっしり並んでいる。
それは昭和50年代からのものが多くて、二代目桂枝雀が東京へ進出し始めた貴重な音もあった。
また中田ダイマル・ラケットや、東京で言うと十代目金原亭馬生さんの最晩年のライブ高座が聞けた最後のラジオ演芸黄金期だったと思っている。
体調のすぐれない時などは、棚から箱を取り出して上方演芸でウサを晴らし、BGMでその時々、東西のお気に入りの噺家の高座テープを流していた。
そんな日常に、突然十代目柳家小三治の訃報を知った。
昔、人形町末広の演芸場の俯瞰透視図が描きたいと思っていた頃、六代目三遊亭圓生の「寄席切絵図」みたいなものを絵にしたくて、ある編集者に相談したところ、それなら小三治さんに詳しく話が聞けるのではと言う人が居てどのようにコンタクトを取ろうかと思い悩んで数年、突然の大病で入院の憂き目にあって頓挫したまま立ち消えとなった。
人間国宝になる前だったから、こんなお気楽な考えが浮かんだのだと、大病したことで大恥をかかずに済んで良かったと思える数少ないことのひとつである。
小三治さんの高座で、最後の記憶は東京落語会での高座が懐かしく蘇ってきている。
81歳・・・・辛いなぁ。・・・・ご冥福を祈ります。
上の写真は木馬の足をどのように強化するか思案中のもの。
昨日は母親の用事を済ませる事と、家の空気の入れ替えや刈纏めた雑草を始末する為群馬まで行ってきた。
10月中旬というに、11月の寒さと雨模様が続いたが、昨日はカラリと晴れた一日になった。
ということで、木工作業は遅れ気味で、今日から木馬の脚の補強に取り掛かることになる。
座面裏側にボンドで脚を接着し、両サイドからブナ材で挟んで脚を補強することにした。
写真は後ろ脚をボンドで目測で仮組したもので、かなりずれていた。
補強が完了したら調整して本組となります。
9月と10月は、晴れると何故か頻繁に群馬まで用事で行くことが多くなった。
昨日も母が入居している施設から緊急電話で、ワクチン接種の用紙が必要なので大宮にあったら、持ってきて欲しいとのことだった。
用紙一枚持って往復約100km強。
もう若くはないので帰宅後は快晴だったが、何もやる気が出なかった。
以前は、天気や季節を無視して極狭の室内でバンドソーや糸ノコ盤などの機械を動かして、木工パウダーを充満させいた。
いやはや乱暴この上ない。
その際2〜6ヶ月に一度の割合でパソコンが動かなくなり、パソコン内部を丁寧に掃除機で木工塵パウダーを掃除していた。
しかし今は、雨の日に電動工具を屋外に持ち出しての木馬作りが出来ないので、ストレスは溜まる一方なのだ。
粗忽者を自覚しているので、うっかり精密部品を吸い込んでパニックになってもいけないので、最近はほんの少しの作業でも、屋外に工具を持ちだして作業することにしている。
写真の木工用テーブルソーは一人で設置し、家人は一切ノータッチなのだ。
以前、道具を無断で使われ、げんのうの柄を折って物置に放り込んであったのを見てから道具類は家人に一切触らせないことにしている。