子供の頃母親や年の離れた兄弟たちと、また独身時代の一人暮らしのときなど、寄席でよく拝見しましたが、家具職人の頑固な父親の兄弟に、輪をかけた頑固職人を絵に書いたようなそっくりな人がいて、圓生さんが高座に上がると苦手意識が先立って素直に聞けなかったことを思い出します。(もう一人居ました。七代目橘家圓蔵さんとも似ていましたっけ)
現在、明治大正、昭和ヒトケタ生まれの(もとい、桂米丸さん、四代目三遊亭金馬さんが頑張って高座に上がっておられますがその他の)【名人上手】がいなくなって、病後改めてテープを引っ張り出して聴くと、もっと素直に耳を傾けて聞いていればと猛省します。
この絵も頑固職人の父親のDNAを受け着いて自分の感情がモロに出てしまいました。
圓生さんご免なさいデス。
明治33年(1900)9月3日ー昭和54年(1979)9月3日、79歳の誕生日に逝去。個人的には『乳房榎』のライブ録音が代表噺としてオススメです。
また、七代目圓生の名前の復活を渇望している一人です。
相応しい人材は居るのに、もたもたしていると志ん生襲名の二の舞になりかねないと、ろくに寄席に行かない無責任な落語ファンの一人として余計な心配をしています。