一ヶ月前に載せた『時そば』の屋台と、この、『うどん屋』の屋台が、どのように違うかってぇと・・・同じなんですな。で、こちらの噺は人情噺寄りの落語として聴いています。
江戸時代(1603ー1867)の町人の総人口ってのをみると、享保18年(1733)に総数53万6千余。男女比でいうと男が約34万人で、女は約19万人と約半数が女性でした。
その約百年後の弘化元年(1844)では総数55万9千余人と増え、男29万人余、女26万8千人と男女比が近づいていますね。
もともと地価も高かったので貸家業も増え、そのピンは芝田町八丁目の仙波太郎兵衛という豪商。江戸市中にある約六十ヶ所の屋敷の地代と店賃収入だけで、文化年間(1804ー1817)のうちの一年間に約4千両も得ていたとあります。大雑把ですが、一カ所だけの平均が年間約66両ですね。それも本業とは別の収入!・・・魂消ますねぇ。
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