丸谷才一の『犬だって散歩する
』を読んでいたら、アジサイの語源について面白いことが出ていたので、ちょっと長いが引用する。
これは安治佐為、阿豆佐為、安知左井などと書かれてゐるのでもわかるやうに、アジサイではなくアヂサヰだった。歴史的仮名づかひでゆくと語源がよくわかる
のは当たり前ですが、まづアヂ(あるいはアヅ)とは何かといういふことから考えなくちゃならない。これはアヂ(味)でもアツ(厚)でもないんですね。群衆
の意のアヂいふ言葉があった。『播磨国風土記』揖保の郡、阿豆(アヅ)の村のくだりに、
ここに人衆(もろひと)集まり来て談論(あげつら)ひき、故(かれ)阿豆(アヅ)と名づく。
とある。要するにアツマルのアツなのですが、古代では鴨に似た鳥がアヂと呼ばれた。これも、たくさん集まるからアヂだった。同様にアヂサヰもたくさん集ってぎっしり密集してゐるからアヂなのだ、と『大言海』の大槻文彦は考へるのである。 つまり青い花がたくさん群がってゐるといふ意味で命名したのでせう。大槻文彦の語源探求は、いちいちかういふ具合に、古代人の命名の心理を分析する。その過程が非常に合理的で納得がゆくのだ。 |
あ〜、歴史的仮名遣いを入力するのは疲れますねえ。
要するに「青い花がたくさん群がっている」花なんですね。
さて、わが霧想庵のアジサイは、まだ少し色づいてきた程度だ。これからひと月近くはアジサイの清楚な花が楽しめる。