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道具屋

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前座の稽古噺のひとつ。
寄席が出来た頃には、すでに高座にかけられていたといいます。近代落語の祖、三遊亭圓朝(1839〜1900)は「道具屋」の与太郎を四十二〜三才と前置きして演ったそうです。現在は二十代前半とする噺家が多いのですが、この噺を十八番とした五代目柳家小さんさんは与太郎の歳を三十五〜六才と設定し、大正時代から昭和の初めで演っていました。


 

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神田三河町から蔵前までは約三キロ強あります。重い荷を抱えて歩くには結構ありますね。

 

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燭台の「燭」は蝋のあかりの意だそうです。
他に行灯、提灯、灯籠など「灯」は、油のあかりで、ともに昔から代表的な「あかり」の道具でした。提灯は油だったかなぁ?
日本には仏教伝来とともに仏具として燭台が入り、初めは蜂の巣から取った蜜蝋であかりを使いました。

和製の蝋燭は室町時代以降に作られましたが、限られた階級だけのもので、江戸時代になってようやく日常生活で使われるようになったが、それも富裕な武士や商人に限られていました。

 

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「足」が入るからタコといった股引。
職人や商人が冬場に穿いている絵をよく目にしますが、見栄を気にする職人は、わざわざ自分の体に合わせ、あつらえた細身の股引を穿くときは、くるぶしに半紙をあてがって穿いたそうです。 

 

 

この噺の一押しは、小さんさんです。個人的には四代目春風亭柳好さんも捨て難い味わいがありますが、何度聞いても小さんさんの噺は、飽きることがありません。

 

 

 

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和蝋は、芯滓を切りながら使いますので、芯切り鋏か芯切りと、芯切壺が必要になります。ちなみに落語家の「真打ち」は、この和蝋を芯切鋏で切る(打つ)ことから生まれた言葉という一説があります。

 

   

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「道具屋」はサゲの多い噺で、笛のサゲだけでも数種類あり、笛の筒のゴミを取っているうちに指が抜けなくなり、それを見た与太郎が高くふっかけると「足元 を見るなッ」「いえ、手元を見ています」。元値に与太郎の借金や帰りの飲食代まで上乗せして算盤をはじいているうちに客が逃げ、「アッア〜、ドロ ボー・・・家一軒盗まれた」。金がないという客と家まで同道。待っている間に連子窓に突っ込んだ首が抜けなくなって「あのォ、もし、この窓はいくら?」。 指がはずみで抜けたのを見た与太郎「旦那、負けます、負けます」「指が抜けりゃタダでも嫌だ」。

 

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2007年10月28日 10:16に投稿されたエントリーのページです。

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