左手足の感覚が戻らず、茫然自失のリハビリ訓練が始まって、一人で1階のリハビリ訓練室へ行けるようになったころ、救急病院は約20日間居ましたので14日から20ー22日までの間だったと思います。大きなタライに大豆が入れてある中へ(カミさんはまくらに入っているマカロニ状の白い柔らかなプラスチックの粒だったと主張)左手を入れてみましょうということになりました。
数回手首を持ってかき回してみたところ、音とともにかすかに豆の感触が伝わってきたように感じました。この時は嬉しかったですね。嬉しかったんですが・・・・。
この頃になるとリハビリ訓練より、仕事で迷惑をかけてしまった数社の方たちになんとしても電話連絡をと焦っていた頃で、一時帰宅を担当医に却下されてうつろだった時期でした。
勿論カミさんに連絡をしてもらっていましたが、メールでこのことを知らせる必要がある会社もあるなんて思いこんで焦っていたんですね。
遅ればせながら発病後 仕事の途中でご迷惑をかけてしまった方たちに改めてお詫び申し上げます。本当に申しわけありませんでした。
この電話連絡迷走時期のこと、カミさんに車椅子を押してもらってエレベーター近くの公衆電話まで仕事先へ電話連絡に行ったところ、勢いを殺さないままカーブで車椅子から手を離して電話台に左足をぶつけられてしまいました。
大きなぶつかった時の音とともに「ごめん、ごめん」という声とカミさんの大きな笑い声が車椅子の数メートル後ろから聞こえてきて・・・、左足は麻痺しているので何も感じませんでしたがねぇ。・・・・・いや、タマリマセンでしたよ。