独身時代一枚漫画に飢えると、神田古本街に数件あった洋書点へ行き、バイトで手に入れたなけなしの食費から「ニューヨーカー」やら「ロンドン・パンチ」を買い、時には個人画集を手に入れて一枚漫画の表現方法をを覚えていった。(アパート代まで手を出すと数ヶ月は絶食の憂き目をみてしまいます)
アイデアが浮かんでも絵にするには、画力が無ければセンスもへったくれもなく、思い切って芸術大学に挑戦、(無自覚と単細胞はこの頃から)取りあえずお茶の水にある学校でデッサンを習うことになった。
当時は大学紛争のまっただ中で催涙弾で涙を流しながら木炭画に励んでおりました。