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明烏(あけがらす)・・・2

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明暦2年(1656)に、幕府から理由不詳のまま吉原に移転命令が出て、日本橋から浅草裏に移転することになったんですが、翌年の一月に江戸史上最大の火事と呼ばれた「振り袖火事」が起き江戸の三分の二が消失。 遊女屋は仮小屋から営業を始め、6月に遊郭が完成。移転前を【元吉原】、後の不夜城を【新吉原】と呼びました。

画面は大門(おおもん)。入って左に【面番所】(町奉行の与力・同心が立ち寄る番小屋)。その向かいは【四郎兵衛会所(吉原会所)】(吉原へ出入りする者を監視するためと、遊女の逃亡を防ぐ監視小屋)で、女性は通行証が必要だった。

メインストリートの両側は【引手茶屋】 。源兵衛、多助と若旦那は、ここでお稲荷様のお巫女さん(花魁)を 呼び、宴席の手配や揚げ代などを支払うシステムになっていたんですが、町内のワルはどのように若旦那を騙したのか・・・。八代目文楽さんが生きていた時代はまだ新吉原があった頃で、遊郭の空気が体に染み込んだ噺をしていたのではと・・・いや、こちらの勝手な想像ですがね。

 

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2011年06月28日 09:00に投稿されたエントリーのページです。

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