虎の尾を踏まなかった安堵感で、ブラックの落語を聴いて行くという二人を残して浅草駅へ、これでようやく出版してもらえるという歓びで一杯でした。
後になって「へっつい幽霊」をサシで聞けた幸運を同席した二人に感想を聞いたところ、何を話していたのか緊張とボソボソした声で分からなかったそうです。
当時、東京落語会のチケットをまわしてくれた電通の社員で、私と同郷の談志ファンに出版の許可を貰いに家元に会うことになったことを言うと、滅多にない幸運だからとさかんに言われ、何が幸運なものかと反発したもんです。
今は話題に上りませんが、バブル絶頂期に、一風変わったうるさ型の蕎麦屋の店主が評判を呼んだことがありました。
この評判を聞いて食いに行ったたグルメの知人の試食記録を年賀状で貰ったことがあります。
こだわりの手打ち蕎麦屋という店に入って出てきた蕎麦に箸を付けた途端、最初の蕎麦は汁をつけないで食うのが通だ!とか、どこそこの老舗蕎麦屋は二流だのセコだのと、自分の打った蕎麦のいかに上等かをまくし立てる評判の店があったとのこと。
こんな講釈を聞きながらだと旨い蕎麦も味もあったもんじゃありません。
自分の貴重な時間を潰してわざわざ出向いて自腹切って、店主の五月蠅い自慢たらたらの講釈なんざ効きたくないもの。という姿勢は蕎麦も落語も同じと、未だに落語を聞く姿勢は変わりません。