子供が生まれては、いつまでも夢を追ってはいられません。
覚悟を決めて水道橋にある工業系の小さなデザイン会社に就職することになりました。
ただし後任の学生を育成してから辞めて欲しいと、サプライズ付きで半年以上縛り付けられてしまいました。
このアルバイトは対人関係が苦手な私に合っていて、気が付くと7年ほど続いていました。
その間、三光汽船の倒産、市ヶ谷駐屯地の三島由紀夫割腹事件、キンサシャでアリとフォアマン戦など、ちょっとしたニュースに敏感な株取引なので、当時珍しかったファクシミリで逐一詳細に入ってきました。
このアルバイトで得た教訓は、私には全く縁のない世界と実感。
株で利殖できる人たちというのは、才能と金に恵まれた人でないと、命さえ縮めてしまうということ。
実際、私の甥の一人は堅実な金銭感覚を持っていましたが、商品取引に手を出し、親から受け継いだ横浜の土地と家を手放して、なおかつ人格まで変わってしまったほどでした。