プライドが高かった半蔵が、一階日本間のソファーも自力では上がれないほど脚力は衰え、二階に上がる時は家内を呼び、抱き上げてもらって自分の居場所である長男の部屋に行くまでになった半蔵を見て、覚悟しなければならない日が近いことを実感した。
日中は家内と私が居る一階で寝るようになり、夜は今年2月に長男の枕元で小水して叱られてから玄関で寝るようになっていた。寒さ対策とトイレは、暖房具を床に引き給水シートを家内が設えて、三和土に降りて小用を済ませていた。
しかし、夜中に三和土で小用あと、上がり框の30センチ強の段差が上れず、一階玄関前の部屋で寝ている私を呼ぶことが度々で、真夜中にそれも寒中布団から出て装具を付け、玄関三和土までの動作はかなりしんどい作業だった。
玄関タイルに装具は滑りやすく転倒の危険大だが、要求が通るまで諦めない半蔵に根負けしてなんとかクリア。日頃のリハビリ訓練でもこのような危険な訓練は記憶に無く、かなり鍛えられたと思い半蔵に感謝している。
昼間外に行きたい時は、眉間にしわを寄せ、「分かっているだろ、戸を開けてくれ」よがしに気が付くまで見つめ、こちらが根負けするまで続きます。
半蔵は月島のデザイン会社代表の知人女性から家内と一緒に見合して、14年前に我が家に来、愛情表現が乱暴な私や次男から逃れるように身を隠すのが旨かったことから、次男が命名。
家族の中で半蔵は長男だけに甘えきり、常に一緒の日々を送り、養母臨終の時、最愛の息子が駆けつけてから息を引き取ったのと同じように、長男が会社から帰宅してから彼岸に行ったようで、亡くなったとは思えない穏やかな表情で長男に抱かれて昇天していた。