落語に【水屋の富】という噺がある。
裏長屋に住み、江戸の町中へ水を売って歩く商売の、独り者の男が千両富に当たった。
一日中、重い水桶を担いで売り歩く過酷な商売なので、千両が頭から離れず、気が休まらない。
富が当たった翌日から、一晩でも安心して眠ることが出来ないでいた。
不眠症が続き、これでは体が持たないと、一計を案じた男は千両箱を床下に隠して取りあえずは一安心。
ところがそれでも心配と、毎朝商売の出がけと帰りに長い竹竿で床下の千両箱をつついて確認していたが、ある日その不審な行為を、長屋の住人の一人に見られてしまって、このお宝が知れて盗まれてしまった。
その日の仕事帰りにいつもの習慣で床下を探ると、竹竿の先に当たりが無いので、床下を見ると、千両を盗まれていたことが分かり、茫然自失。
気を取り戻した男が、ため息混じりで一言。
「これで、やっと安心して眠ることが出来る」
サゲが【愛宕山】と同じで、持ち付けないお宝を逃した男の心情が出ています。
後味が薄味なのも、江戸落語の粋が感じられますが、一寸物足りない気がする噺の一つです。身分不相応なお宝を持って、見たくもない世界を経験する気は、・・・無くもないかな?