自分の一番古い記憶を辿ると、昭和26〜7年頃となる。
安藤広重描く東海道五十三次の保土ヶ谷宿は、横浜大空襲に見舞われ、その頃もまだ戦争の傷跡が生々しく残っていたと聞いている。
保土ヶ谷駅操車場西側の、職人が多く住む下町周辺も、焼け残った家々がセピア色の板塀を晒して復興途中だったが、空が限りなく開け、庭木や街路樹などあまり無かったようにも(当てにはなりませんが)記憶している。
その頃に撮られた当時の幼児期の写真のバックは、丁度このような風景に似て、何とも言い難い懐かしさを感じ、思わずシャッターを切った一枚です。
タイムスリップが可能な場所も、まだあるように思えます。