最近は笑い沢山の上方演芸ばかり聞いていた。
昔、ラジオから録音したカセットテープは、箱に入れて棚にぎっしり並んでいる。
それは昭和50年代からのものが多くて、二代目桂枝雀が東京へ進出し始めた貴重な音もあった。
また中田ダイマル・ラケットや、東京で言うと十代目金原亭馬生さんの最晩年のライブ高座が聞けた最後のラジオ演芸黄金期だったと思っている。
体調のすぐれない時などは、棚から箱を取り出して上方演芸でウサを晴らし、BGMでその時々、東西のお気に入りの噺家の高座テープを流していた。
そんな日常に、突然十代目柳家小三治の訃報を知った。
昔、人形町末広の演芸場の俯瞰透視図が描きたいと思っていた頃、六代目三遊亭圓生の「寄席切絵図」みたいなものを絵にしたくて、ある編集者に相談したところ、それなら小三治さんに詳しく話が聞けるのではと言う人が居てどのようにコンタクトを取ろうかと思い悩んで数年、突然の大病で入院の憂き目にあって頓挫したまま立ち消えとなった。
人間国宝になる前だったから、こんなお気楽な考えが浮かんだのだと、大病したことで大恥をかかずに済んで良かったと思える数少ないことのひとつである。
小三治さんの高座で、最後の記憶は東京落語会での高座が懐かしく蘇ってきている。
81歳・・・・辛いなぁ。・・・・ご冥福を祈ります。
上の写真は木馬の足をどのように強化するか思案中のもの。