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サグラダ・ファミリア(聖家族教会)その2



サグラダ・ファミリア西側の正面は受難のファサードと呼ばれ、最後の晩餐からキリストの磔刑、昇天までの有名な場面が彫刻されている。東側の誕生のファサードと対照的である。今日はこの西側のファサードの神様のチンチンをめぐる話題を紹介しよう。

寄りかかっているのは、堀田善衞『時空の端ッコ』 p144 「バルセローナのケンカ」という項目。なおこれは、1991年1月に書かれたものである。


  ご承知のように、カタルーニア地方は、バスク、ガリシア、アンダルシーア地方とともに、スペイン国内において自治権をもつ、半主権------国家とは言わないものの------地方なのであった。そしてカタルーニア地方の地方自治政府は、Generalitatと呼ばれ、この政府は、まず保守的な首長によって統括されてい、他方マドリードにつぐ大都市であるバルセローナ市は、社会党が支配している。しかもマドリードの中央政府も、社会党である。
図式的には単純と言えるかもしれないが、しかし、これだけでも可成りに状況は複雑なものであった。前述のジェネラリタートと、市政府との両方にかかわるような仕事の場合、片方のokが出ても、もう一方のokはなかなか出ないのである。
------(中略)------
もともとあの魁偉、あるいは怪異な様相をそなえた大聖堂建造の継続をめぐっては、二つの意見が、例によって対立していたのである。片方はこれぞカタルーニアの魂の表現であるから断固継続すべき、と言い、もう一方は、ガウディという天才なき今となっては、魂のぬけ殻であるから廃趾としてその跡をとどめるだけにしておけ、と言うのである。
------(中略)------
騒動は、この大聖堂に四年前に一人の有名な彫刻家が、フリーハンドで石造彫刻をしてよろしい、という条件で任命され、その人の彫刻がそろそろと、聖堂西面のファサードを飾りはじめてから起きて来たのであった。彫刻家は、約百の彫像を作る予定になっていた。
その彫刻は、ガウディの、あの曲線を極限まで駆使した、いわば植物的な構成構造とは異って、どちらかと言えば角ばった、鋭角的な線と面をもつものであった。
そこには一つの芸術的な異論の立つ余地があり、もう一つは受難のキリスト像が、ヌード、つまりはまる裸で、股間に明らかにペニスを備えていた。これには、これまで建造継続を支えて来た、僧職者や篤信のカトリックたちが、怒りを新たにした。
 

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左の写真が問題の神様のチンチン。右の大聖堂内部にあるキリスト像が腰に布を巻いているのと対照的ですね。スペインは建て前上はカトリックの国であり、昔は若い女性がショートパンツをはいていただけで、坊さんに追いかけられ説教された土地がらなのである。
 
ここで、昨日の完成図のところで書き忘れたことを付け加えておく。カンパニリア(ベル。鐘)についてである。堀田善衞『カタルーニア讃歌』「グエル公園の夕照のなかで」より。

  全体が完成したときには、八十四本の塔が建ち、そこにすべて円筒形のカンパニリアが入れられたとすれば、地中海から吹いてくる風によって、八十四本の、それぞれにクロマティクの異なる音をもつものが、果たしていかなる交響をひびかせてくれるものであろうか。
八十四本ということは、ピアノの鍵の総数を意味する。私は日本の音響機器やオーディオの産業関係の会社が、何とかして援助してくれないものだろうかと思っている。
 

今やサグラダ・ファミリアを含めガウディの建築物は、世界中から観光客を呼び寄せ、バルセロナ市に莫大な経済効果をもたらしている。
今から90年前の6月7日路面電車に轢かれたガウディは、身なりにかまわなかったため浮浪者と間違われて手当が遅れ、73歳で亡くなったという。
彼はその作品が、後年これ程までに世界の人々を惹きつけると想像していただろうか。

 

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2016年08月31日 09:24に投稿されたエントリーのページです。

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