小学校の父兄参観日の昼、給食を食べていた時に担任の教師が顔を近づけてきて小声で、「津田のお母さんは、本当のお母さん?」と、聞かれたことがありました。そういえば思い当たることがぞろぞろ。後に養子だったことが分かり、明治生まれの両親に戦後生まれの末っ子は考えればちょっと不自然でした。ま、そこは大雑把な性格にに育ててくれたおかげで気にも留めなかったんですが、この時の教師の顔と言葉はどこかに引っかかっていたんでしょう。
当時の時代背景もありますが、大家族の貧乏家庭で、まだ戦後闇市の食糧難を引きずっていた時代の、生活環境も戦争の傷を引きずった荒んだ人間がまだいたと聞きます。そんな時に赤子に手を差し伸べてくれて、ごく普通に三男として当たり前に接して育ててくれたのには深く頭が下がります。結果的には生みの親より育ての親と、当然の結論に帰結しましたが、それも独立してからのことでした。
家内を始めて家に連れて来た時、我が家では普通の会話も家内には喧嘩していると勘違いされたほどの関東の喧嘩言葉だったようで、子供だった私が母親の意に添わないことをやらかした時の常套句が「おまえなんざ、豆腐の角に頭を打つけて死んじまえ!」で、それ以上踏み込んだ一線を越えた感情を投げてくることは、兄弟喧嘩の時の兄弟にも無かったと記憶しています。幸運だったんでしょうね。
上の絵はサンペの処女作品集「Rien nest simple」(1961)より。
ジャン・ジャック・サンペ(1932〜)フランス・ボルドー生まれ。
1954年にルネ・ゴシニとサンペの合作のマンガ文学「わんぱくニコラ」で大ヒット。その前に漫画家デビューをしていましたが、この「ニコラ」で一躍人気作家になり、「ロンドン・パンチ」、「パリ・マッチ」、「ニューヨーカー」誌などに寄稿して大活躍の漫画家です。
私が影響を受けた漫画家を順に紹介しましたが、この他にもマルディロー、ハンス・ジョージ・ラーチ等々、まだまだ大勢いますが残念ながら著作権の範囲に入ってしまうので、興味のある方はインターネットやアマゾンで検索をおすすめします。