「江戸っ子だってねえ」「そうョ、神田の生まれだィ」広沢虎蔵の浪曲【森の石松三十石船道中】は、団塊の世代までは、テレビのない頃にラジオでよく演芸番組で聞いて、耳馴染んでいる人は多い。
ひとっ所に三代住み続けなければ、江戸っ子であれ、村の住人であれ同じで、地元に染まるには、長く住み続けなければならないと、肝に染みたのはこの地に越したその日に、自治会に参加してみてよく分かった。
村の区割りは、15〜20軒づつ班に組み入れられ、年毎に班長の役が回ってくる仕組みになっている。
割り当てられた役が出来ない嫌だなど言い出せば、大袈裟でなく村八分になってしまうし、直にこの目で追い出されたように引っ越していった一部付き合いの家族を目撃している。
初めて班長を遣らされたのは、越してから4年か5年だったので、班内の長老に仕組みを教わりに行ったのが幸をそうして、葬儀委員長までして、無事済ます事が出来た。
が、しかし、顔なじみになっていても、初代はいつまで経っても【よそ者 】の扱いは変わらない。
田舎暮らしはノンビリしていいね、など、その土地に根ざした昔からの風習やルールを、経験する必要のない者が言えること。
発言力のある長老達が居なくなり、 他県から新顔の家族がぞくぞくとこの村に住み始めて、昔からの風習が消えかかっている今、ちょっぴり寂しさを感じているのは私だけではないようです。