白バラ 2016
白バラがやっとパーゴラの上まで上がってきた。
4年くらいかかったのではないだろうか。
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白バラがやっとパーゴラの上まで上がってきた。
4年くらいかかったのではないだろうか。
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去年結構切り詰めたのに、ズンズンと上に伸びて成長が止まらない。 |
ご近所のツツジはもうひと月くらい前に満開になったのに、我が家のピンクツツジは今満開である。
隣の家との境界のブロック塀の前で、日当たりが悪いからかなあとも思ったのだが、ヤマツツジという種類なのかも知れない。
こんなとき、埴 沙萠先生がご存命であれば、一気に問題を解決してくださるのだが、もはやあちらの岸に旅立たれてしまった。残念。
アマチャの花が満開である。
アマチャというと、子供の頃4月8日の花祭りの日に、近所のお寺に空き瓶を持ってでかけたのを思い出す。お釈迦様の像にアマチャをかけたあと、空き瓶にアマチャを入れてもらって持ち帰ったものだ。何しろ甘いモノはご馳走だったのである。
生の葉っぱは苦いが、夏のうちにこれを収穫して発酵させると甘くなるのだそうだ。今のように何でもインターネットで手に入る時代では無かったので、お寺の人たちが自分でやっていたのかもしれないなあ。
丸谷才一の『犬だって散歩する
』を読んでいたら、アジサイの語源について面白いことが出ていたので、ちょっと長いが引用する。
これは安治佐為、阿豆佐為、安知左井などと書かれてゐるのでもわかるやうに、アジサイではなくアヂサヰだった。歴史的仮名づかひでゆくと語源がよくわかる
のは当たり前ですが、まづアヂ(あるいはアヅ)とは何かといういふことから考えなくちゃならない。これはアヂ(味)でもアツ(厚)でもないんですね。群衆
の意のアヂいふ言葉があった。『播磨国風土記』揖保の郡、阿豆(アヅ)の村のくだりに、
ここに人衆(もろひと)集まり来て談論(あげつら)ひき、故(かれ)阿豆(アヅ)と名づく。
とある。要するにアツマルのアツなのですが、古代では鴨に似た鳥がアヂと呼ばれた。これも、たくさん集まるからアヂだった。同様にアヂサヰもたくさん集ってぎっしり密集してゐるからアヂなのだ、と『大言海』の大槻文彦は考へるのである。 つまり青い花がたくさん群がってゐるといふ意味で命名したのでせう。大槻文彦の語源探求は、いちいちかういふ具合に、古代人の命名の心理を分析する。その過程が非常に合理的で納得がゆくのだ。 |
あ〜、歴史的仮名遣いを入力するのは疲れますねえ。
要するに「青い花がたくさん群がっている」花なんですね。
さて、わが霧想庵のアジサイは、まだ少し色づいてきた程度だ。これからひと月近くはアジサイの清楚な花が楽しめる。
ことしは元肥をいれたり石灰をまいたりして土を調整したので、トマトの苗がやたら元気でトマトケージが窮屈そうだ。
今年はウメが豊作である。
まずは、青梅をとって梅酒作りだ。
いつも買っている果実酒用のブランデーがスーパーで見当たらず、今年は焼酎でつけるかなとおもったら、別の場所にブランデーがあったので早速購入。