愛犬ラッキー[288]願望と現実
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先月の29日に、伸び放題だった実家の庭木を半分ほど切った、今回はその続き。
館林から帰宅後、ミャンマー人宅と堺の塀際に庭木の枝を積み上げたまま帰ってきたのが気になっていた。
梅雨後に枯れ枝を放置したままだと、お隣も迷惑だろうし、なにより物騒と思い翌日30日に猫の額ほどの野菜畑に埋めることにした。
2日連チャンは流石に疲れたので、庭木の処置はカミさんと息子に任せ、自分は家の空気の入れ替えと、二階の大きな本箱等の点検整理をした。
親の本棚はタイムカプセルを開いたと思えるほど、昔の単行本や月刊誌が詰め込んであった。
中に、私の本も混ざっていて、「深夜特急」「蒼ざめた馬を見よ」の単行本や、月刊誌「話の特集」から連載分を一冊に纏めた本や、処分したと思っていた1960年当時の月刊誌のガロが一冊目についた。
前もって借りることを伝えておいた母の蔵書、平岩弓枝の「御宿かわせみ」や「はやぶさ新八御用帳」等をごっそり袋に詰め込んで帰ってきた。
この程度でも、連チャンで移動や二階に上がる程度でも、体力の消耗甚だしく、昨日まで半日仕事で、午後は休息日だった。
で、上の写真は昨日のリハビリから帰宅後、カミさんが、バラの花のベッドで可愛いカエルがいると教えられたので覗いてみた。
仕事や木工作業を怠けている私のように見えてきて、デジカメで休息中のカエル君を撮った記念の一葉となりました。
極狭の作業部屋でスムーズに動き回れない日が続いている。
バラバラに仕舞われて、管理できていなかった工具類やケヤキやウォルナット等の部材は、なんとか一箇所に収め、とりあえず道具類の収納が完了した。
次は未完成のオートマタや木馬等、棚晒し作品群をどうにかしなければならない。
何故未完成で放置したまま終わったのかを考えると、ノミ、カンナ、切り出しや彫刻刀を使い切れていなかったところに問題があった。
私の作るモノは手の平サイズの作品が殆どで、人物の頭部などは子供の親指の第一関節ほどのサイズが多い。
こういった極小モノは左手で小さな部材を抑えなければ作れず、半身麻痺では無理なのだ。
また、今までカンナやノミなどを砥ぐと、必ず指先に傷を付けていた。
右手だけの刃物の研ぎは、危険でもあり非常に難しいことが分かった。
また傷が治るまで無駄に時間をロスするし、ストレスにも良くない。
ということで、砥ぎ用の治具を作って中砥で試してみた。
杉材で作った治具の繊維が、砥石と治具の底面に絡まってスムーズに砥げなかった。
そこで、治具の底面に1.5mm厚のアクリルを接着したところでタイムアップとなった。
先週の金曜日に実家の庭木整理に行ってきた。
梅雨に入って枝の束に虫が湧いたら、近づけないのでというのが理由なのだ。 ヤレヤレ。
昼食後近くのホームセンターで枝切り鋏や、殺虫剤を買い込む。
私は家の空気の入れ替えで二階に上がっていた時に、ご近所から二階の戸袋にヒヨドリが出入りしていると、カミさんが言ってきた。
南側の戸袋の中に枯れ枝や藁が見えたので、手を入れて(手首より先が入らず)みたらビッシリ詰め込んであって容易に取れない。
母が施設に入って4年経つのでその量が内側3分の1程詰め込んであったと思う。
ヒヨドリの巣を戸袋の中に棒や杖で掻き出すのが厄介で、かすかに残る雛の匂いや、枯れ枝や藁のパウダーと格闘すること1時間以上。結局この日は戸袋の掃除だけでヘトヘトになって帰宅した。
その後2日間は微細な塵と匂いが頭に残って疲れも取れず、上の写真を撮るのがやっとという情けない結果で終わっている。
この日の収穫は、親の蔵書からギッてきた『暮しの手帖」通巻12号(1971)〜33号(1974)まで5冊と山本周五郎等の文庫本4〜5冊であった。
ここ半年は雑用に振り回されて、自由になる時間がほぼ取れなかった。
少し時間が空いたからといって、すぐに木工作業へと動けるほど気力体力はなく、毎日体を騙して使っているのが現状なのだ。
また良くないことに、最近は椅子に座ると平岩弓枝の本に手を出して読みふけってしまう癖が付いて、誠に困ったもんである。
以前(といっても何時頃かわすれたが)作りかけたこの壁掛けオートマタは、参考にした仕掛けが精密で作るのに難しく中途で放り投げたままだった。
で、右上の写真のオートマタは、手動ではなくギアに撒いた紐を錘で吊るした動力でロッキングチェアで本を読む爺さんが動くカラクリになっている。
ただし肝心のロッキングチェアは、スムーズに動く仕掛けをまだ思案中で、錘の重量も未解決なので設計は中途のままです。
・・・もっと時間が(気力体力も)欲しいのだ!