能率UPスタディ・16 暑さ対策・・・1
1988.7.1 学習情報誌、「高一Challenge」夏休み準備号。
福武書店発行。
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1988.7.1 学習情報誌、「高一Challenge」夏休み準備号。
福武書店発行。
昔々の投稿作品の下絵が出てきた。
光文社発行の「月刊小説宝石」で、内外の一枚漫画作品が載っていた当時、ダメモトで編集部に作品を郵送したところ、幸運が舞い降りて、この孤島漫画の連作の掲載が叶ったのが1970年代後半だった。(このホームページの、2012年1月5日から紹介しています)
その頃は、証券会社のアルバイト生活を続けていて、長女が生まれたばかりの、赤貧洗うがごとしの頃だった。
しかし悪女の深情けというのか、この一枚漫画の呪縛が未だに解けず、生活はあい変わらずで、こんな思い出したくもない絵が出てくるとは思わなかった。
(一枚漫画の)絵を描いて生活するという、とんでもない幻想に取り憑かれた人間は、貧乏神に取り憑かれた人生と、容易に想像が出来ます。
現在、世界的に有名になっているニッポンの「マンガ」とは、別物ってのがシャクですね。
自分の育った環境は、明治生まれの独裁者の職人を見てきたので、稼ぎは良かったらしいが、家族に収入を還元する思考が無い生活のなかで育ったので、貧乏に免疫になっていたのが悪かった。
で、気がつくと、赤貧人生を歩んでいつの間にか、家族を犠牲にした生活がン十年。
これと同じような似通った人生のお仲間が、今まで出版界にチラホラいたんですね。
私と同じ一枚漫画の魅力の呪縛から(未だに)溶けなかった(と、見受けられた)フリーランサーに、昆虫専門のイラストレーターだったり、編集者、絵本作家、デザイナーに数人いました。
同じような人生を歩んでいても、二足の草鞋ならば、貧乏神も入り込む隙間は無いと思いますね。
この方たちの方向転換は正解のようでした。
先月中旬に貰ってきたアカザの茎から切った枝を、水を入れた花瓶に一本だけ試しに入れておいたところ、葉が枯れず根がテニスボール大くらいの大きさに張ってきた(なんという生命力!)。
多年草か一年で終わる雑草かも分からないが、せっかく生き延びようとしていたので、腐葉土が積もった鼠の額?ほどの駐車場隅の、鬼ぐるみの木の根元に植えてみた。
アカザの杖を作る作業も、後からゾロゾロ湧いてくる雑用で、休む暇無く追いまくられ、ストレスがたまって噴火寸前です。
今はそんな事をやっている場合ではなく、優先順位からすれば、オートマタの作品作りに没頭していなければならないんですが・・・、イヤハヤマッタク困ったもんだ。
【高一CHALLENGE】夏休み特別号 サマーフェスティバル。
1988年8月1日号 福武書店発行。
「高一CHALLENGE」1988 9/1 特集 2学期の学習術決定版 福武書店発行。
この絵を描いていた頃より、約10年前に、フリーの商業絵描きの荒波に飛び込んで 、最初に仕事を貰ったのが集英社。
週刊プレイボーイ編集部の山田和夫さんに拾い上げて貰い、デラックス・プレイボーイの創刊から、チームを組まして貰ったのが、当時神田にあったエヌピー出版の代表者だった佐々木元彦さん。
その頃から佐々木さんに声をかけてもらって、この仕事も、これ以降もしばらく仕事を頂き、仕事の中で遊ぶということを教えて貰った、この二人が私の最初の恩人。
昨日の作業中、いつもは音楽のCDをBGMにしているのだが、リモコンの再生ボタンを押し間違えたようで、ラジオに変わった途端、高倉健の訃報のニュースが流れた。
任侠映画は食わず嫌いで、他の主演映画も一本もみていない。
映画を見て居ないのに、ファンだったとは、おこがましくて言えないが、この人も死なないものと頑なに思ってる自分がいた。
11月10日に亡くなっていて、近親者だけですでに密葬はすませたという。83歳だった。
冥福を祈ります。
タイトルを付けていない一枚マンガに、「無題」と勝手に編集で付けられてしまうことがあります。
これって、困るんですね。
一応サイレントに拘っているんですが、「無題」ではサイレントになりません。
上の絵のような、らくがきスケッチでも、「無題」と付けられると、読み取る楽しみを奪われるような気がします。
イギリスのイラストレーターにして、一枚マンガの頂点に君臨し続けたロナルド・サールの影響が色濃く残っているラフスケッチです。
月刊小説宝石の編集部から月一で連載の声を頂き、生まれてこのかた使っていない脳味噌からひねり出てきたのが中央のカット。
このホームページ2012年1月12日に印刷物を掲載。
・・・・・20代後半のこの瞬間から、我が家に貧乏神が居着いてしまった記念すべき落書きとなります。クソッ。
30年以上前の落書きです。
ソニーのポータブル・テレビが発売され、世の中の変化が大きく加速を始めた頃の、まだのんびりした時代でした。
録音機・・・なんて言葉、久しく耳にしなくなりました。
たまにリサイクルショップに出かけると、電気機器コーナーの棚に、辺りを睥睨するかのように(?)テープレコーダーがあったりすると、しばらく見とれてしまう事がありました。
アカザは不思議な雑草だった。
いったい誰が、この雑草が食べられると分かり、杖として使えるのを知ったのか、今の生活環境からは想像も及ばない、昔の過酷な時代に生きた日本人に頭が下がります。
冬に向かって、左半身の麻痺が顕著に影響を及ぼし始めたが、活動を止める訳にはいかず、重い腰を上げるべく、ようやく昨日からアカザの杖作りに取りかかれた。
始めに、握り手をはめ込む為、直径・深さ15ミリに紙ヤスリで成形をしてみたが、クルミやビワ等の木の枝とは違って年輪はないが、硬度はほぼ同じに感じられた。
230〜400番の紙や棒ヤスリで成形して感じたのは、ものすごく堅い石膏を削っているような感覚で、真っ白い粉が舞い散る。
次に、大まかに切り出した犬型の握り手を仮り組みしてみたが、日常使っている自作の鬼ぐるみの杖よりかなり軽いので、杖として使うのは、若干心許なく感じられる。
この後、犬型の握り手の成形に入ります。