愛犬ラッキー! №273 藪からスマホを
« 2017年03月 | メイン | 2017年05月 »
木工作業のスペースが赤信号になってきている。
デスクトップパソコンの内部に木屑パウダーが入り、インクジェットプリンターはオシャカになりつつある。
一ヶ月半毎になった定期検診に通う道すがら、このトタン屋根の農家が何故か気になる。
晴耕雨読ならぬ、野菜作りをしながら、日光浴とオートマタ造りが出来るこのような環境で、木工作業が出来ればと、身勝手な思いが湧き出てしまう。
朝靄が出た時間帯に描きたくなるような風景が見つかった。
農業振興区域に住んで40数年、頻繁に動き廻っているようでもまだ未知の場所がありました。
ここは定期検診に向かう道から、一本外れた場所にあり、寄り道も時には思わぬ発見があり、こんな日は一日得した気分になります。
土手に密生している菜の花がきれいだったので、デジカメで撮りに行った。
近年、土手全体とその周辺は修復され、きれいになったと聞いていた。
家内は遊びに来た孫と度々土手外まで散歩に行っているようで、以前は雑草林や廃屋など、雑然とした田舎の風景だった。
その風景も今は一変して、広々した公園や、テニスコート、無料駐車場、河川脇のゴルフ場があり、土手外の奥に農家が数軒ある。
先日、二人が土手外の散歩コースで散歩中に、急に馬が二頭現れ、二人の脇を駆け抜けて行き、30代の男が逃げ出した馬の後を追っていたのを目撃したという。
土手外に馬?を飼っている人がいて、馬の脱走を散歩中に目撃したなど、なかなか経験できるこっちゃありません。
そんな風景が、このきれいな菜の花の土手の向こう側にあります。
三代目三遊亭円歌さんが亡くなった。
小学生の頃に見たテレビの演芸番組で、腹が捩れるほど笑い転げた最初の落語家だった。
当時は、円歌さん二つ目時代の名前の【三遊亭歌奴】で高座に上がり、溌剌とした勢いのある「授業中」が今でも鮮明に残っている。
私がラジオ演芸番組で録音したカセットテープのなかで、円歌さんの代表作「授業中」は数本あるが、いずれも円歌さん50代のものなので、子供の頃に笑い転げたほどのパワーは無く、当時を彷彿させるほどにはなっていない。
が、円歌さんの後半生での代表作の「駅員時代」や、両親と先妻と後添いの両親6人との同居生活を描いた「お年寄りの世界」「中沢家の人々」の中にあるフレーズ、「猪木が危ねぇ」等は何度聞いても面白さは褪せることがない。
東京落語の貴重な財産をまた一人失ってしまった。
享年88歳、大往生ですね。冥福を祈ります。
半世紀前は、喫茶店や食堂、中華料理店などでよく見かけた卓上おみくじ器を、群馬の実家近くの石窯ピザの店で遭遇した。
それも今週火曜日にです。
・・・・まだあったんですね。
先日リハビリ訓練の休憩中に、送迎が一緒の高齢女性から「つださん、自殺なんてしちゃダメ、生きていれば、好いこともあるんだから」と、突然話しかけられた。
別に自殺なんて気はこれっぽっちも無かったので、どう対処していいか戸惑ってしまったが、日頃悲壮感丸出しで見られていたのかと、反省材料を突きつけられた思いがした。
このおみくじ器も、テーブルに座った客から無視されたり、不思議な眼で見られていたのかも知れない。
がんばれ!卓上ルーレット式おみくじ器。
そのうち何時か、卓上ルーレット式おみくじ器で注目を浴び、歓迎される日もくるサ。
【長屋門に住んでいた家族の子】と、家内が同級生だったという大地主の敷地に、長屋門と母屋、それに密生した樹木がここに去年まであった。
それは雑草林という形容では収まらない、森の一部を切り取ったような樹木群が母屋の後ろに控えていた。
昔、一度だけだが4㍍道路を挟んだ畑から、イタチが森に向かって走っていたのを目撃したことがある。
今年の初めに重機がはいり、あっという間に更地になり、崩れかけた蔵が現れた。
蔵の隣に、母屋の別棟もあったが、カメラを持ち出す前に消えていた。
この別棟も、蔵と同じような、何時までも見飽きることがない廃屋(?)だったが、カメラに納める機会を失ってしまった。
自分の人生が終末に向かっていることもあり、廃墟廃屋に惹かれることが多い。
ご近所とあって、まじまじ眺める不作法を恥じ、こんなロングショットとなった。