病後しばらく途絶えていた落語を、またBGMに流して聞くようになった。
以前は幅広く名人上手から上方若手漫才まで聞いていたが、今は三代目桂三木助の「御神酒徳利」「長短」「味噌倉」「芝浜」「左甚五郎もの」を繰り返し流している。
テープは殆どが今は途絶えてしまったラジオからの録音だが、現在は放送禁止用語なるものが落語の本質を消してしまったので、カレー香辛料を抜いた料理をカレーライスでござい、と、食わされているようなもの。で、比較的禁止用語の締め付けが緩かった昭和50年代までの録音テープが宝物になってしまった。
上の絵はその名人三木助の十八番「たがや」の両国橋での一場面。
脳出血で倒れて入院中に、娘が仕事部屋にあったCDやテープのクラシックや落語を入れたウオークマンをプレゼントしてくれたが、あれほど好きだった落語は聞く気になれなかった。
〈笑いは病気に効果的〉ということを耳にしていたが、それもある程度パワーが必要と実感しました。
ダメージを喰らった体や神経に、爆笑落語は耳障りで、モーツアルトなどクラシック音楽の方が私には必要な癒しだったようです。入院中は殆どといって良いくらい繰り返し聴いていました。
今は、三木助、志ん生の超一流の話芸を堪能出来るまでになったので、快方に向かっていると確信しています。
昔から毎年大晦日の日に聞く落語は、五代目古今亭志ん生の『火炎太鼓』と三代目桂三木助の『お神酒徳利」と決まっていた。
10年ほど前に大きな病から生還?した後、東京落語会を2年ほど更新継続していたのだが、十代目桂文治さんが亡くなったあたりから急につまらなくなり、深夜に虎ノ門から我が家に車で帰宅するのも多少辛いのでライブで落語を聞くのを辞めてしまった。
好きだった落語から遠ざかった頃から、徐々に病院との縁が強くなってきたように思える。
笑いから遠ざかったことで、免疫が下がったのかは分からないが、これ以上訳の分からない病に取り付かれるのは御免被ると、昔録り貯めていたラジオ演芸のカセットをCDに焼いて、繰り返しBGMに流して聞いている。
根が単細胞に出来ているのか、徐々に調子が上がって戻ってくる気がする。
まだ、本調子ではないが、笑いは免疫力を上げるのは間違いないと思っていたほうが良いようだ。
今まで三代目桂三木助の『御神酒徳利』が、お気に入りの噺のひとつだった。
主人公がついた嘘から抜け出すチャンスが無いうちに、最後は大きな福を得る噺だが、同じ噺でも筋とサゲが若干違うのが、五代目柳家小さんの『御神酒徳利』も好きだった。
この噺を小さん一門や他の噺家であまり聴いたことが無い。
ラジオでは昭和の大名人の一人、六代目三遊亭圓生の噺を聴いた3つだけである。
何気なくだがこの小さんさんの噺を数十年ぶりにカセットデッキに入れて聞いてみた。
年を経て今まで気が付かなかったが、リピートして聞いていると、登場人物たちの性格がそのものずばりで、しかも繰り返しに耐えてリアルであっても何とも心地いいのである。
ということで、 早速長距離ドライブ用にCDにして車に入れておくことにした。
座間に住む長兄から、大量の文庫本が送られてきた。
もうすぐ90歳に手が届くというのに、本好きは知っていたが 若いころは外国作家のミステリーが本棚に多かったと記憶している。
本を送るからと、一方的に電話口で言われていたので、海外ミステリーを期待していたが、届いたダンボールの小包を開けると文庫本40数冊全部が時代小説だった。
最初に目にした平岩弓枝の「はやぶさ新八御用帳」から読ませてもらった。
他は読まずに捨てるに忍びなく、適当に読みだしたら、鈴木英治という作家の 「父子十手捕物日記」が面白く、気が付くとハマっていた。
主人公の同心親子は剣の達人ではないし、ことに息子はオナゴの尻を触る癖があり、幼なじみの中間とオナゴのことで本気の殴り合いの喧嘩をしたりと、どことなく落語の世界と通じるところがある。
なにより現実離れした超人でないというのが良い。
あとで、ブックオフにでも行って抜けている冊数でシリーズを揃えるることにしよう。
ということで、この自粛期間中は落語CD作りと、捕物小説の江戸情緒を味わって過ごしています。