江戸しぐさ(一)お心肥〈おしんこやし〉
江戸町人の公衆マナー(でいいのかな)を説いた本がブームで、絵を付けたのですが、落語通信で学習した江戸風俗の資料が役に立ちました。おしんこやし、漢字を正確に読めた人、尊敬します。で、意味はグルメに走って体を肥やしてばかりではなく、教養も身につけなければ立派な商人になれませんぞ、とのこと。
江戸町人の公衆マナー(でいいのかな)を説いた本がブームで、絵を付けたのですが、落語通信で学習した江戸風俗の資料が役に立ちました。おしんこやし、漢字を正確に読めた人、尊敬します。で、意味はグルメに走って体を肥やしてばかりではなく、教養も身につけなければ立派な商人になれませんぞ、とのこと。
「忙しい」には込められた意味があるそうですな。この【忙】の字を、偏とつくりに分けると心を亡くすになり、江戸人は心ない奴らを指す言葉として口にするのを嫌ったそうです。いや、江戸時代に居たわけではないので確証はありませんがね。で、禁句のうちに入っていたそうで。
この「忙しい」を口にして、親の代から続いたお店をしくじりかけた噺が落語に残っています。三代目古今亭志ん朝さんの十八番だった「雛鍔」。お店のご隠居にこの言葉を言ったがため、親の代から続いていた植木屋がお得意先をひとつ失いかけるってえ噺でしたナ。
当たり前のことだが、相手が「おはようございます」と言ったら、相手が三歳児であっても同格の言葉で「おはようございます」と返したのが江戸っ子のいいところ。言葉に階級意識が出始めたのは万民平等になった明治以降だそうですな。
人の気持ち感情を、逆なでした、とげとげしいことをいうマナー違反の言葉。胸刺し言葉ともいうそうですね。重箱の隅をつつくように、相手をいたぶるのも江戸しぐさでは無粋とされ、また、商人はお客様に、こういった言葉を投げつけられても、我慢する器量を持つように、日頃から心がけていたとされています。いや、いや、商人だけではありません。恵まれない商業絵描きとて同じです、
一昨日の地震には、魂消ました。病後は何があってもジタバタしなくなりましたが、正直いって、あのときだけはジタバタできなかっただけのはなしでした。仕事部屋はメチャクチャ、怪我がなかったのが幸いでした。東北・関東の一日も早い復旧を祈るばかりです。大丈夫でしょう、昔から日本にはこの絵にあるように、思いやりと譲り合いの精神が息づいているんですから。
道路の七割は公道と考え、残りの三割の道幅を自分が歩く道として、救急の人たち、急ぎの用がある人たちのために往来することを常に考えて歩く。独りよがりにならないよう、周囲の気配りを忘れないで江戸時代の人たちは歩いたんですね。登・下校の中高生たち、お願いしますよぉ。
東京電力に一度も会ったことがない親類がいたんですね、私に、で、これは当人から直接聞いたわけではないので、真偽のほどは分かりません。その親類の親類から聞いた最近の話です。所は栃木県。で、東京電力の社員といっても、電力とは違う会社で、東電のロゴが付いた上着を着て、コンビニに行ったところレジで買い物を拒否されたとのこと。その気持ちは分からないでもないんですが。江戸しぐさを身につけた江戸人が聞いたらどんな反応をするんでしょうね。
見知らぬ同士、さりげなく目で挨拶をすることで、場が和やかになることをいいます。目は口ほどに物を言いですね。
人混みのなかで足を踏まれたときに、踏んだ方はもとより、踏まれた方も「いえ、こっちこそうっかりしまして」と、謝ればその場の雰囲気は和らぐというもの。・・・オトナですねぇ。
最近はなるべく身軽に(な気持ちで)外出を心がけているのですが、スーパーやモールで買い物途中、売り場の狭いところや、トイレの出入り口付近で、私の歩きの邪魔にならないように気遣って、待ってくれている方がいるんですね、で、かえって気が引けてしまって、申し訳ない気持ちからすぐに謝ってしまいます。こちらも他人様の邪魔にならないようにしてはいるものの、前に向かって歩かなければ(リハビリの)先へ進めません。精神的に強い方ではない自分が最近気付いたんですが、兎に角弱者はしぶとくあれ!なんですね。
端から相手の話を無視、拒否するような「しかし」「でも」「だって」など、自分中心で相手を尊重しない態度って、気が付かずにする時もあったりします。人間ですからね。そのときの体調や状況によって平常心が保てないときもありますが、大旨相手のいうことを素直に聞き、それで異論があれば柔らかい言葉と態度で反論したいものです。常に謙虚であれってことでしょうね。
戸締まりをしたか、火の始末は?など、念には念を入れて確認することをいいます。こういう番頭が居るお店(たな)は行く末も安泰でしょうね。
外出時、たまに玄関に鍵をかけたかを忘れ、車をUターンして確認し直すことが屡々あります。粗忽者の辛いところです。
相手の都合を無視して、突然押しかけて勝手に時間を奪う行為のこと。
江戸時代の大名時計は一分刻みの精巧なもので、武士や大店の商人たちは時間に正確さを要求されたそうですな。
今と違って江戸時代は日の出日の入りを基準に夏時間と冬時間をを採用していましたから、一刻(現代の二時間)は二時間六分から1時間三十七分の幅がありました。
このような複雑な時間に合わせて動いていたんですから、自分は勿論相手の時間も貴ぶ生活が自然と身についていったんでしょうな。
現代で言うと電話アンケートなどが時泥棒の最たるものでしょう。
人に相対しているとき、相手に敬意をもっているかは態度で分かります。特に目上に対しては、足を組むなんてことは失礼に当たります。と、江戸人は考えていました。
江戸時代は着物生活でしたので今のタレントや俳優、若手歌手の着物の着こなしは、普段の生活からは縁遠いので仕方がないとはいえ、ファッションに疎い私でも、まともに見ちゃいられません。
着物の前がはだける!大股は開く、外股で歩く、帯の位置が可笑しい等々、ジーンズをはいている姿勢と変わりがないってのは、着物文化を否定していると取られても言い訳がききません。
ン?「足組しぐさ」の解説から離れてしまいました。呆けたかな。
このシリーズは江戸文化に関われて自分では長く連載が続けられればと、願いもし、肩に力が入りすぎてしまった感もあり反省材料が多くありましたが、健康を過信した天罰で、関わってくれた代理店に迷惑をかけてしまい、連載が寸断。別の絵師に手渡されてしまいました。
ブログの江戸しぐさの終わり一枚の絵が「泡沫しぐさ」だったてのも皮肉ですね。
心ここのあらずのこの無礼な輩を自分に当てはめてみるに、対面する関わってくれていた人たちに同じような不愉快な思いをさせていたと思うと、ウッ、辛いなぁ。
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