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10)昭和懐古 アーカイブ

2016年11月27日

昔の日本建築1

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以前母親から、館林は空襲がなかったから、昔の建物が残っていると聞いて、それが妙に耳に残っていた。

実家へ雑用の度に車窓から見る、昭和初期や大正時代に建てられたであろう建築物が、ある日突然、館林市内からひっそりと消えていく事が増えてきていた。

いつか撮るつもりが、デジカメを抱えて歩く程度でも、若干困難な身なのだが、昨日は気候も、気力体力も良かったのか、念願の行動に移せる日となった。

写真の、このモダニズム建築は、この町に来る度、見惚れていた大正期風モダニズム建物のようで、20数年前は、活気がある印象が残っている商店だった。

で、何を商売にしていた店か、記憶に残ってなく、忘れずに、機会があれば調べてみるつもりです。

2016年11月28日

片想いの家

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もう、30年近く前になるが、館林市内を車で動き廻っていた時に、一瞬目に入った平屋に一目惚れした家が現在でもある。

その頃と今も、不思議とこの家の印象は変わっていない。

外観の印象は診療所のように見えたが、一体何の仕事をしている家か謎のままで、今は無住のようにも思える。

道路沿いに南天の植え込みを目塞ぎに、ひっそりとした佇まいが脳裏に焼き付き、この家を自分のモノにしたいなど、身勝手な妄想に耽っている。

赤貧洗うがごとしの職人を自覚しているが、この家の前を通る度に、適わぬ想いだけは相変わらず続いている。

 

2016年11月29日

昔の日本建築2

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この通りを通る度、片想いの家ばかり気が向いていたので、斜向かいに建っていたこのユニークな三階建て建築物の存在に、長い間、目に入れておきながら気がつかなかった。

以前ほど道路状況は頻繁では無くなったが、今でもそこそこ車が往来するという道路沿いの、ビル正面入り口中央外側に、三階の床から螺旋階段が設置してある、という遊び心満載のこのようなビルは、他ではあまり見たことがありません。

この写真を撮った場所は、これも大正モダニズム建築風の、アンチエイジングハウスという新しめの看板を掲げた渋い建物?で、この通りを通る度、何時もシャッターが降りている三階建てのビルでした。

 

2016年11月30日

昔の日本建築3

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自分の一番古い記憶を辿ると、昭和26〜7年頃となる。

安藤広重描く東海道五十三次の保土ヶ谷宿は、横浜大空襲に見舞われ、その頃もまだ戦争の傷跡が生々しく残っていたと聞いている。

保土ヶ谷駅操車場西側の、職人が多く住む下町周辺も、焼け残った家々がセピア色の板塀を晒して復興途中だったが、空が限りなく開け、庭木や街路樹などあまり無かったようにも(当てにはなりませんが)記憶している。

その頃に撮られた当時の幼児期の写真のバックは、丁度このような風景に似て、何とも言い難い懐かしさを感じ、思わずシャッターを切った一枚です。

タイムスリップが可能な場所も、まだあるように思えます。

2016年12月04日

昔の日本建築4

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日本にプラモデルなる模型が、初めて売り出された頃からの模型ファンだった義兄が通っていたと思える、小さな模型店を見つけたことがあった。

7〜8年前頃のあやふやな記憶だったので、ある程度覚悟をして向かった。

その頃のその店は、看板の模型の文字が消えかかっていて、ガラス戸は閉められていたと記憶しているので、すでに2〜30年前には閉店していたと思う。

その店があった場所は、お気に入りの喫茶室までの一本道だったので、間違いなく覚えていたのだが、やはり消えていた。ばかりでなく更地になっていた。

帰路、もうひとつの目的だった小津安二郎の、映画に出てきそうな雰囲気の(写真正面右)家は、二階ガラス窓に写る室内まで、昭和の空気を漂わせて、昭和遺産を申請したくなるような、毎回家の前を通る度に感じる家です。

この交差点角で、右手の日本家屋をカメラに納めようと車を止めたが、タイミング悪く、後続車が次々止まり、車から降りる機会を逸してしまった。

2016年12月05日

昔の日本建築5

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親子三代の漆作家の作品集を貰った。

見終わって、心に残った作品は、明治生まれの作家だった。

現代作家は、一瞬目や気を引くが、記憶には残りません。

明治大正期に生まれた人は、時代環境が作家を育てるのか分からないが、 手に入れたくなる作品が多く、味わい深くて見飽きなかった。

BGMで聞く落語も同じで、昭和黄金期に活躍した三代目三遊亭金馬(1894〜1964)や、五代目古今亭志ん生(1890〜1973)、十代目馬生(1928〜1982)親子、三代目桂三木助(1902〜1961)や、昭和期最後の名人、三代目古今亭志ん朝(1938〜2001)など聞いて、荒んだ気持ちを癒してもらっている。

  建築もやはり、明治大正期に作られたものは、風格が時間と共に 備わってきて、見飽きません。

2016年12月06日

昔の日本建築6

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魚屋、八百屋、本屋、文房具店、肉屋、乾物屋、布団屋、畳屋、自転車屋、洋裁店、小間物屋等々、個人商店が日本各地から消えて随分経つ。

ここ館林で目を引いたのは、苗屋という看板の店が、10年ほど前まで商いをしていた家が二軒ほどあった。

  この家も、昔は何のナニガシ商店と、地域に密着した店だったように見受けられる。

車社会になり、駐車スペースを持たない店は、商店街の中に店を持たない場合、特に難しいんでしょうね。

2016年12月07日

昔の日本建築7

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『ぼくの採点表』というタイトルで、双葉十三郎さんが書いた映画紹介の本が愛読書だった時期がある。

私の結婚当初、証券会社でアルバイト時代に、「燃えよドラゴン」というブルース・リー主演の映画が随分と話題になり、その後ブルース・リー人気も落ち着き、忘れかけていた頃、テレビで再放送を見た後で、この『ぼくの採点表』を読んだことがあった。

{映画芸術派から見ればいわゆるゲテモノと軽蔑されるジャンルの一篇だが、おトソ気分で見るにはよろしい}、と一刀両断の紹介で、妙に納得した次第。

このクツの家を見ていたら、ブルース・リー映画のイメージと同じで、異質の文字が頭にこびり付いて離れません。

2016年12月08日

昔の日本建築8

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個性が強すぎる商店の脇に、ひっそりと二軒の小さな店が寄り添い、閉店して随分経つようです。

左側の白い看板は、文房具の文字が微かに残っているが、右側の錆だらけの看板には、何の文字が書かれていたのか判別出来ません。

約15日に一度は、実家の雑用でこの地に来るが、この店の前の道は、たまに通るという程度でした。

人通りが殆ど無く、変化に乏しい所ですが、以前(5〜8年?程だったか)になるが、たった一度だけ、看板の文具の文字が消えかかっているこの店が、開いていたことがあった。

車で走っていた時なので一瞬だったが、目の隅に円形の小さな棚にノートが入れてあり、室内は真っ暗で、日光に当たったこの棚が強く浮き出て見えていたのが、脳に焼き付いている。

記憶違い?とも、錯覚か?とも言われれば、いやっ、確かに見た!といえるが・・・今となっては、信じてはもらえないかも知れません。

2016年12月09日

昔の日本建築9

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店舗入り口のガラス戸、鴨居のガラス窓、コカコーラの看板、おまけに二階物干し台等、昭和期には日本全国にも存在していて、定番の店舗風景でした。

店の側面に【オリエンタル即席カレー】、【カルピス】、【ヤマサ醤油】、【キッコーマン】、【ブルドックソース】、【サッポロビール】等の看板があれば完璧だった。

現在はこの手のコレクターが多いのか、ここ館林には琺瑯看板など、何処にも見かけなくなりました。

松山容子CMの【大塚のボンカレー】、由美かおる横座りポーズの蚊取り線香【アース渦巻】、和服姿で、強面の笑顔の水原弘がモデルだった強力殺虫剤【ハイアース】、大村崑の【オロナミンCドリンク】、浪速千栄子【オロナイン軟膏】、美空ひばり【金鳥蚊取り線香】など、琺瑯看板は長寿商品の証だった。

2016年12月21日

鎮守の森・・・1

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家から与野方面へ車で走って、15分ほどの距離に、絵本に出てくるような神社がある。

国道から離れ、田んぼの中のこの鎮守の森を初めて見た時のことはよく覚えている。

現在の地に越してきてから40年ほど経つが、周りの環境こそ、茅葺き屋根からナントカハウスといった無国籍の家に変り、鎮守の森が多少小さくなったようだが、神社の環境は殆ど変わっていない。

撮影場所の道路は、年に数回しか通らないが、来る度この神社に目が吸い寄せられている。

家の近くにも神社はあるが、何故か私の一押しの神社になっている。

2016年12月22日

正門か裏門か

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 国道沿いのコンビニとトヨタ販売店を挟んで、更地になった広大な敷地に、この門が残されて十数年は経っている。

週に数回は更地の道の前を通るが、以前は豪農か庄屋か寺か、何の建物だったのか、親しい村の古老達は皆彼岸に行っており、近所のリハビリ仲間の長(オサ)2人に聞いたが、ラチがあかず不明のままです。

 この門は、国道の裏側の道に面して建っているので、この門にして裏門だとすると、正門の大きさがいかほどのモノか、想像がつきません。

しかし、どの角度から見てもこの門のフォルムは完璧で、昔の職人の技に頭が下がります。

2016年12月23日

蔦に覆われた家

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夏場に、この道の横を通った時は、変わった緑の山、くらいしか思わなかった。

季節が変わり、葉が落ち始めたときに、植物に覆われた家だったことに気づいた時は、デジカメを常に車に積んでいなかった事を後悔したものです。

以前から撮ろう、撮りたいと思っていたが、ようやく念願が叶ったが、停車場所が無く、車を降りてカメラを構える訳にいかなかったので、ベストショットとはいえません。

無住だと思うが、よく取り壊さずに残っていてくれました。

2016年12月24日

お年寄りの秘密基地

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リハビリ訓練に向う途中、送迎車の中ではこんな会話をしている。

午前中の利用者の送迎後、職員は昼食抜きで午後のグループを訓練所に送ることになっている。

午後の訓練を受ける私は、必然的に食い物の話をふることが多い。

先日、小さな公園の脇の道路中央で、ウロウロしている鳩を、危うく車に引きそうになった。

急発進急停車が厳禁の職員が、胸を撫で下ろしてホッとしている横で、日本に来た頃のアグネス・チャンが、公園の鳩を見て「わー、おいしそう」と言ったエピソードで、食いモノの話が始まった。

家内が子供の頃、霞網で捕った雀のチャンチャン焼きが大好物だったという話題から、「・・・あの、赤犬はうまいそうだね」と、脊柱管狭窄症のオヤジ。

「大家の猫を喰ったのはオメエだろ、という落語のフレーズがある」と、私。

「猫はまずそうだが、ネズミは旨そう」、運転手の職員も話しに食いついてきた。

「山岳民族のなかに、客が来るとペットのネズミを煮炊きしている火の中に放り込んで食べるって聞いたことがある」、元教師の品の良いおばあちゃんまで参加してきた。

「アボリジニが、茎の中に居るカブトムシの幼虫大の芋虫を、生のままおいしそうに食っているテレビを見たことがある」までエスカレートして訓練所に到着。

こんなちょい悪爺達が缶ビールを片手に、冬の日を背に受けて、頭を寄せて集まっている場所が似合いそうな(妄想が後から湧いてくる)家をこっそり撮ってしまった。

2016年12月25日

村の風景・1

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「江戸っ子だってねえ」「そうョ、神田の生まれだィ」広沢虎蔵の浪曲【森の石松三十石船道中】は、団塊の世代までは、テレビのない頃にラジオでよく演芸番組で聞いて、耳馴染んでいる人は多い。

ひとっ所に三代住み続けなければ、江戸っ子であれ、村の住人であれ同じで、地元に染まるには、長く住み続けなければならないと、肝に染みたのはこの地に越したその日に、自治会に参加してみてよく分かった。

村の区割りは、15〜20軒づつ班に組み入れられ、年毎に班長の役が回ってくる仕組みになっている。

割り当てられた役が出来ない嫌だなど言い出せば、大袈裟でなく村八分になってしまうし、直にこの目で追い出されたように引っ越していった一部付き合いの家族を目撃している。

初めて班長を遣らされたのは、越してから4年か5年だったので、班内の長老に仕組みを教わりに行ったのが幸をそうして、葬儀委員長までして、無事済ます事が出来た。

が、しかし、顔なじみになっていても、初代はいつまで経っても【よそ者 】の扱いは変わらない。

田舎暮らしはノンビリしていいね、など、その土地に根ざした昔からの風習やルールを、経験する必要のない者が言えること。

発言力のある長老達が居なくなり、 他県から新顔の家族がぞくぞくとこの村に住み始めて、昔からの風習が消えかかっている今、ちょっぴり寂しさを感じているのは私だけではないようです。

2016年12月26日

村の風景・2

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ご近所付き合いが、徐々に薄れてきたと感じたのは、いつ頃からだろうか。

大きなショッピングモールが小売店を脅かした頃から、村の近くに葬祭ホールなるものが出来、我が家にも、会員募集のチラシが入り込んできた頃のように思える。

その頃、班内の老人が亡くなったと緊急の回覧板が回り、やれやれ、また家族一人が出向いて、葬礼手伝いに行くのかと思っていたが、喪主からは、葬祭場に一切を任せたのでと、葬儀に行くだけになった頃が始まりだったと思う。

昨今テレビで、ある葬祭場CMのキャッチフレーズで、「さよならが、暖かい」など流れると、この落語のまくらのフレーズが思い出される。

【婚家先に嫁いだねずみの娘が、早々に里帰りしてしまった。】

母親ネズミが、あんないい家柄のご家族に何の不満があって帰ってきたと聞くと、ただ、泣くばかり。

「お婿さんが嫌になったのかィ」

「いいえ」

「あんなに優しいお姑さんは居ないのに、お姑さんかィ」

「エエ」

「じゃ、何で・・・・」

「・・・・だって、あのお姑さん、・・・猫なで声なんですもの」

2016年12月27日

昭和期定番の外置きゴミ箱

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西日本の外置きゴミ箱が、同じ形なのかは分からないが、子供の頃、外で遊んでいた時に目の隅に残っていて、街の辻や商店の脇に置かれていたのが、このゴミ箱だった。

まだ現役で使っている所もあったんですね。

2016年12月29日

火の見櫓

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家から半径3㎞の範囲に、火の見櫓が確実に3カ所はあった。

いつの間にか、ひっそりと消滅して、現在はこの一カ所だけでなく、他の地域も全て消滅していた。

半鐘の音が、落語や唄で表現されていても、今では何のことか分からなくなっている。

毎年正月に保存テープで、五代目古今亭志ん生(1890〜1973)の十八番【火焔太鼓】を聞いて久しいが、火の見櫓が無くなっては、「半鐘はいけないよ、おぢゃんになる」のお〈ぢゃん〉の、半鐘を鳴らした時の音色の表現が,平成生まれでなくても知らない者があり、死語になりつつある。

また、美空ひばり(1937〜1989)のヒット曲で『お祭りマンボ』という唄の歌詞二番で、「おじさんおじさん大変だ、どこかで半鐘が鳴っている、火事は近いぞスリバンだ」の摩鐘(すりばん)は、火の元が近い場合に、半鐘の中を搔き回して鳴らすことをいった。

冬の夜中は特に記憶に残るようで、村や町内で近場の出火は、摩鐘を早撃ちで連打「ぢゃんぢゃんぢゃんぢゃん」、近火は三連打「ぢゃん、・ぢゃん、・ぢゃん」、遠火はゆっくりと二連打「ぢゃんーーー、ぢやん、−−−」、鎮火は間を置いて打つ音が、耳に残っている。

2016年12月31日

大晦日の富士山

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歳を取ると自分の時間が無くなる、という事を聞いたことがある。

確かに、暮れが迫ってきた時期から、作品を作る時間が皆無になり、ここ三ヶ月は満足に木に触っていない。

全てに渡って、手足を押さえつけられたような今の状況を打開すべく、大晦日は村から見た富士山でもカメラに納めて、気分転換をと、図ったつもりが、移動途中で後輪左のタイヤがパンク!

・・・嗚呼!だが、しかし、

【捨てる神有れば、拾う神あり】。

車を止めたコインランドリーの駐車場で、ここの責任者がタイヤ交換を手伝ってくれました。

この一事で、暮れまでの厄落としが済んだような思いが、単純に湧いてきて、さぁ、来年に向けて気分一新が整った!と、思い込みも単純だが、大切です。

これまでホームページを見てくれた皆様、ありがとうございます。

良いお年をお迎え下さい。

2017年01月02日

平成29年初詣

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今年こそ、オートマタ3Dイラスト作品の、完成・増産を第一に誓願を立てました。

ま、無理せず、計画的に、のらりくらりと、少しずつ前に進むことになります。

不義理等の謗りは覚悟しなければならず、皆様、平にご容赦下さい。

2017年01月09日

元・酒造店の蔵

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一人暮らしを始めたのは、二十歳の頃だった。

独身時代最初の部屋は、蒲田駅西口から歩いて15分の街道沿いのアパートで、左官職人一家の二階が住処だった。

当時のカリスマ漫画家だった長島慎二描く「フーテン」の漫画世界の若者が住んでいるようなイメージそのままの、四畳半の角部屋で共同便所、部屋代が一ヶ月4500円と、当時でも格安な部屋だった。

生活費は歩いて15分の倉庫会社で働いて捻出していた。

そこで知り合った40代半ばのアルバイト仲間の一人に、今まで日本中各地を放浪して歩いていたという一種独特の雰囲気を醸し出していた男がいた。

何処を歩いてきたのか、また、各地方の特色を聞くと、皆どこも変わりがなかったと、意外に素っ気ない答えが返ってきたのが、強く記憶に残っている。

何処でどのように生きてきたのか分からないが、この『昭和懐古』の写真は、群馬館林市内と、大宮市内の風景をランダムに紹介しているが、それぞれ空気が違い、地方都市の建物の違いは微妙にあると思っている。

で、上のこの風景は、何処で撮った写真か、はたして違いがあるでしょうか。

2017年01月14日

昭和初期に建てられた古民家・1

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セピア色の古民家が目に入ると、なんとも懐かしさで、思わずシャッターを押してしまう。

これが、錆び付いた波目トタン板となると、失礼無礼を胸の内で詫びながらの撮影となる。

当主は、俺の目の黒いうちは、勝手に取り壊すことならん。など、子供達に言い続けているんでしょうね。

御当主の長命を祈るばかりです。

ところで、うっかり体調を崩して、数日寝込んでしまったことで、ホームページの更新が出来ませんでした。

準後期高齢者は、口だけは達者でも、体が追いついて来ません。

自重あるのみです。

2017年01月15日

昭和初期に建てられた古民家・2

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ピースサインをして写真に写る癖をお持ちの人は、今後大きな問題になる可能性があるという。

近年の画像の鮮明はおおいに進み、これはこれでいいのだが、この画像を、拡大拡大した画像もほぼ鮮明なので、この指紋の画像を切り取り、これを読み取る特殊な機械が完全コピーして、当人の許可無く指紋が一人歩き、なんてことが起こりうると聞いたことがある。

そんな現代で、構図の悪さ、何を目的に撮った写真か、全てに謎を秘めたこのコーナー写真の【ポンコツぶり】は、神経戦に傷付いた現代人を癒す元が、たっぷり詰め込まれたものと(自画自賛はここまで来ると痴呆ポンコツ)思っている。

反論は勿論ある。

この古民家は子供の頃、何処にでもあった雰囲気を醸していて、思わずシャッターを押した一枚なんです。

2017年01月16日

昭和中期に建てられた古民家

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現在、窓枠の素材はサッシが殆ど使われ、通気性には何の問題が無いが、欲を言えば味気も素っ気もない。

職人が多いに腕を振るっていた半世紀前までは、どの家も窓に木枠が使われていた。

 亡くなった姉の家は、小津安次郎映画に出て来るような家だった。

その姉が亡くなる今から20年前に、立て替えの話を聞いて、余計な話だが、勿体ないという理由で反対したことがある。

この家に毎日住んでみれば分かるが、締め切ったはずでも、外からの風どころか、塵芥は容赦なく入り込んでくるし、掃除の手間は毎日していない者には分からないと一蹴されてしまった。

立て替え日、この家の俯瞰図を描く為を口実に、写真を撮りに行って、解体された窓枠を貰っても良いか聞くと、即座に断られてしまい、この、窓枠ひとつとっても、大家族の嫁となった姉にはいい思い出はなかったようだ。

窓ガラスの形状は、磨りガラスや柄入り等が使われ、何気ないところにも、職人の技術に目を見張らされたことがある。

現在、ガラスの種類は以前と比べて大幅に減っていると聞いている。

この家の窓も、魅せられるという程度ではないが、確かに味がある。

2017年01月17日

昭和期定番の外置き(現役)ゴミ箱

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この写真を見て、平成29年の今!と、言い切れる人がどれだけいるだろうか。

平成の御代になってまで、現役を貫くゴミ箱を発見したときに、我ながら死ぬまで現役の姿勢を貫くつもりなら、フォローする人材を早め早めに確保しておかなくては、と、気付かされた。

ゴミ箱だろうと、もう少し綺麗に掃除なり、後期高齢の長老に敬意を払ってやってほしいものです。

2017年01月18日

藍染め店

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暖簾が出ていない。

今まで、この店の前を通っても、暖簾が掲げられていたという記憶が残念ながらなかった。

閉店してからどのくらい過ぎているのかも分からず、堂々とした店構えだけに、色々な意味で勿体ない。

2017年03月24日

日向の無人踏切

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桜の花の満開が近づき、体調も戻ってきつつある。ので、また、昭和懐古の再開となります。

写真は実家近く、車で十分足らずの場所にあった無人踏切までの道。

地図で調べると、魅力的な地名が付いていて、【日向町】の名そのまま、長い間時間が止まったままのような風景で、空気感は昭和にタイムスリップしたかのような錯覚を覚える。

この先の道に、絵心誘う魅力的な民家がありました。

2017年03月25日

茅葺き屋根の農家

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平成29年春、茅葺き屋根が完璧に残っている民家が、まだ存在していました。

突然、向井潤吉画伯描くところの茅葺き民家が目の前に現れた時は、驚きと感動が一緒でした。

農道から玄関の見える位置に車を停めると、縁側近くの庭に鶏が放し飼いになっているのが見えて、まさに絵本のなかの風景。

無意識にカメラのレンズを向けようとした時、助手席にいた家内から失礼にあたるからと止められてしまった。

・・・残念。

2017年03月26日

日向の路地

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目に写る風景が全て昭和に舞い戻ったかのような錯覚を覚える場所だった。

上の写真の、遠景に竹藪が見える道も、この先を通り過ぎると、昭和時代にタイムスリップしているのではと、変な考えがこびり付いてくる。

この地区も、昔からのここにしかない独特の風習が残っているように思えます。

田舎に住むとのんびりできて好い、などという都会人気取りの輩には、ここでは簡単に溶け込むことが出来ない雰囲気があるように感じるのは、自分の経験から来るひがみもあるかも知れない。

2017年03月31日

菜の花と日向の無人踏切

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今月24日にアップした【日向の無人踏切】を後日、反対側から撮った風景です。

この日は前日の寒さが嘘のようにポカポカ陽気だったので、線路際の菜の花も満開に咲き誇っていた。

日向町で日向ぼっこ?と、ノンビリしている余裕はこの日も無く、手早く雑用を済まして帰宅しなければ、一日が何も出来ずに終わってしまう。

いつものように用事を済ますと、そそくさと帰り支度を始め、心配顔に見送る母親を後に車に乗り込んでしまうのは、要介護1の親不孝息子の精一杯の親孝行もあるが、後ろめたくもある。

 

2017年04月02日

理想的環境の作業場?

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木工作業のスペースが赤信号になってきている。

デスクトップパソコンの内部に木屑パウダーが入り、インクジェットプリンターはオシャカになりつつある。

一ヶ月半毎になった定期検診に通う道すがら、このトタン屋根の農家が何故か気になる。

晴耕雨読ならぬ、野菜作りをしながら、日光浴とオートマタ造りが出来るこのような環境で、木工作業が出来ればと、身勝手な思いが湧き出てしまう。

 

2017年04月07日

梅の木農道

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朝靄が出た時間帯に描きたくなるような風景が見つかった。

農業振興区域に住んで40数年、頻繁に動き廻っているようでもまだ未知の場所がありました。

ここは定期検診に向かう道から、一本外れた場所にあり、寄り道も時には思わぬ発見があり、こんな日は一日得した気分になります。

2017年04月08日

ダイコンの花

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ダイコンの花の群生に魅せられて、思わずシャッターを押したうちの一枚です。

恥ずかしながらこの花も、家内に教えられて初めてダイコンの花の名を知った訳です。

無粋な性格のせいか花の名前は数えるほど知りません。

桜の花の満開の時期に、地べたに目が行くへそ曲がりだが、魅せられてしまったものは仕方がありません。

 

2017年04月13日

神社境内に桜の花の絨毯

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今週初め、小・中・高校の入学式は桜の花が満開で、絵に描いたようなハレの日となった。

その後は一転して雨が強く降る日があり、桜の花は見納めかと諦めていたら、昨日はまだ八割ほど花が枝に残っていた。

ここさいたま市西区にも何カ所か氷川神社があり、丘の上にある古刹の氷川神社に、桜の花の絨毯が一面に敷き詰められていた。

2017年04月14日

この木、何の木?

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この木、何の木、気になる木、という日立製作所と日立グループのCMソングが、この見事に紅い花を咲かせている木の近くに来る度、頭の中で流れる。

リハビリ訓練の送迎の時、一人の利用者の家の近くで、この紅い花が突然目に飛び込んできた時に、名前を聞いてみたんだが、「何の木だか分からない」「聞いたけど、忘れた」など、送迎車の中の諸先輩たちの答えは心許ない。

・・・・何という名前の木なのか、未だに分からず、気になる木になっている。

2017年04月15日

桜切るバカ梅切らぬバカ

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今年も花見など出来なかった。

体重制限を定期検診の折に、医師から常に注意されているし、勿論、酒などもってのほか、こんなことで花見など楽しめるものか、と、へそ曲がりを助長している。

それでも雑用やその他移動中、桜を愛でる?ことはいくら無粋でもある。

満開の桜のこの時期に、ちょっと変わった桜を発見した。

桜の木や枝を切ると枯れると聞いているが、この桜の木は、選定しても満開の桜の花が咲いている。

桜の木に詳しい専門家ほどの知識を持っているのか、こういった桜の種類があるのか分からないが、ここの道を通る度、目を奪われている。

2017年04月16日

土手の菜の花

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土手に密生している菜の花がきれいだったので、デジカメで撮りに行った。

近年、土手全体とその周辺は修復され、きれいになったと聞いていた。

家内は遊びに来た孫と度々土手外まで散歩に行っているようで、以前は雑草林や廃屋など、雑然とした田舎の風景だった。

その風景も今は一変して、広々した公園や、テニスコート、無料駐車場、河川脇のゴルフ場があり、土手外の奥に農家が数軒ある。

先日、二人が土手外の散歩コースで散歩中に、急に馬が二頭現れ、二人の脇を駆け抜けて行き、30代の男が逃げ出した馬の後を追っていたのを目撃したという。

土手外に馬?を飼っている人がいて、馬の脱走を散歩中に目撃したなど、なかなか経験できるこっちゃありません。

そんな風景が、このきれいな菜の花の土手の向こう側にあります。

 

2017年04月28日

卓上ルーレット式おみくじ器

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半世紀前は、喫茶店や食堂、中華料理店などでよく見かけた卓上おみくじ器を、群馬の実家近くの石窯ピザの店で遭遇した。

それも今週火曜日にです。

・・・・まだあったんですね。

先日リハビリ訓練の休憩中に、送迎が一緒の高齢女性から「つださん、自殺なんてしちゃダメ、生きていれば、好いこともあるんだから」と、突然話しかけられた。

別に自殺なんて気はこれっぽっちも無かったので、どう対処していいか戸惑ってしまったが、日頃悲壮感丸出しで見られていたのかと、反省材料を突きつけられた思いがした。

このおみくじ器も、テーブルに座った客から無視されたり、不思議な眼で見られていたのかも知れない。

がんばれ!卓上ルーレット式おみくじ器。

そのうち何時か、卓上ルーレット式おみくじ器で注目を浴び、歓迎される日もくるサ。

 

2017年04月29日

竹藪の路地

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子供の頃、職人が多く住む下町だった我が遊び場は、長屋の路地だったり、丘の中腹の細道だったせいか、この写真のような道を見つけると、妙に懐かしさを覚える。

ばかりでなく、眺めていると当時の記憶が次々と甦ってくる。

農業振興区域の我が家と駅の間にも、一カ所魅力的な小道があった。

スロープの向こうからトトロが現れるような、魅力的な雰囲気を醸している道だった。

仕事帰りに、わざわざその小道の横の路地を通って帰ったことも度々あった。

が、病に倒れてからは行っていない。

ここ十数年の間、農家の跡継ぎが無いこともあり、緑化振興区域でも田園風景が激変しているので、あれば幸運だが期待はできない。

2017年04月30日

敷地内の森が消えたら

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【長屋門に住んでいた家族の子】と、家内が同級生だったという大地主の敷地に、長屋門と母屋、それに密生した樹木がここに去年まであった。

それは雑草林という形容では収まらない、森の一部を切り取ったような樹木群が母屋の後ろに控えていた。

昔、一度だけだが4㍍道路を挟んだ畑から、イタチが森に向かって走っていたのを目撃したことがある。

今年の初めに重機がはいり、あっという間に更地になり、崩れかけた蔵が現れた。

蔵の隣に、母屋の別棟もあったが、カメラを持ち出す前に消えていた。

この別棟も、蔵と同じような、何時までも見飽きることがない廃屋(?)だったが、カメラに納める機会を失ってしまった。

自分の人生が終末に向かっていることもあり、廃墟廃屋に惹かれることが多い。

 ご近所とあって、まじまじ眺める不作法を恥じ、こんなロングショットとなった。

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