スクラップ・アイデア・・・1
一枚漫画のアイデアを絞り出す時に,頭に浮かんだ映像を描き留めたノートなど、今年に入って物置の整理をしていた時に出て来ました。
カッチリした商品用の絵ではないが、自分でもなかなか捨てがたく、なかにはフリーランス以前のラフスケッチとも言えないような落書きもあり、思い出とともに紹介していきたいと思います。
一枚漫画のアイデアを絞り出す時に,頭に浮かんだ映像を描き留めたノートなど、今年に入って物置の整理をしていた時に出て来ました。
カッチリした商品用の絵ではないが、自分でもなかなか捨てがたく、なかにはフリーランス以前のラフスケッチとも言えないような落書きもあり、思い出とともに紹介していきたいと思います。
「芸術はバクハツだ」のキャッチコピーで、一時期テレビコマーシャルにまで出ていた岡本太郎画伯の目が印象的で、これがまさにトンデいる目付きだった。
これで私の中の天才の風貌が決まったようなもので、ダ・ヴィンチのキャラクター作りの手助けになりました。
その天才の名画制作中に、クライアントの横やりで暴発、アクシデントでヘリコプターが生まれたという案は、七転八倒の手前で生まれた希有な一枚でした。(このホームページでは2009年10月18日の「天才はへこたれず」で掲載)
右側のカラーの絵はリクルート情報出版発行の、『技術者が読むキャリア情報誌』【Beruf(ベルーフ)】1986年5月15日号に掲載。
毎年8月になると、故郷の北海道函館へ、避暑で一ヶ月を過ごしているお年寄りが居て、昨日送迎の車の中でお別れをして来た。
何とも羨ましいかぎりだが、ここ数年は、夏になると北海道でもクーラーを入れなければ日々過ごせなくなてきているといいます。
関東の海水浴場でも、暖かい海が生息域のヒョウモンダコが出没し始めているようです。
手のひらにちょっこと乗る程の小さなかわいいタコだが、うっかりさわって噛まれると河豚毒と同じテトロドトキシンで即天国行きとなってしまう。
他にもカツオノエボシやゴンズイ、ガンガゼなど、心配すれば切りがないほど波打ち際や浅瀬には危険がイッパイなんですね。
小さなお子さんを持つ親は、特に子供から目を離さないで欲しいと切に願います。
脳の活性化にガムを噛むといい、とのことで、大病の数年前から、朝食後から、時には就寝前迄噛み続けている。 それこそ食事を抜いても、脳の活性化の方が重要と,365日糖分がもっとも少ないモノを選んでいつもポケットに携帯している。
下手な鉄砲撃ちも云々、ではないが、時には上のスクラップノートにあるように、無駄玉を連発してしまうことが殆どだが、アイデアに詰まるということが、比較的少なくなったように思える。
デメリットでは仕事関係の方たちに、行儀が良く無い絵描きとして、印象が すこぶる悪いこと。
また、糖尿病の危険も迫ってくるし、差し歯が取れてしまうこともあり、ガムを噛むのは禁止と言われているのに。何度も同じ過ちを繰り返す患者に、歯医者から呆れられている。
毎日猛暑が続いています。
先日はダウン寸前で、 一休みが一日中になってしまいました。
人間だけかと思っていたんですが、我がパソコンも昨日ハンストを起こしてしまいました。
張り合うのはカミさんだけにしてもらいたいものです。
「ガラケー」が一体何の事を指して言っているのか、今迄分からなかった。
若い女の子と親しく話しても構わないカミさん公認の、デイサービス指導員に聞いたところ、旧式の折りたたみ携帯電話だと言う。
たいして長くも無い言葉を、何で詰めて話さなきゃならないのか憤慨して、フト気づいたんですね、
頑固職人だった祖父を反面教師に生きて来たと思っていたが、いつの間にか祖父そっくりの頑固者になっている自分に気づいて、・・・DNAは侮れませんね。
先月下旬だったと記憶しているが、グラフックTVという番組で第二次世界大戦後当時のヨーロッパに出現した、一人乗りの(前後2人乗りというのもありました)豆自動車の特集をやっていた。
十数年前に遊びで描いた上の絵のような、しかも現実に存在していた多種多様な形の豆カーで、それこそ、気の根っこに蹴躓いてひっくり返ってしまうのではないかと思う程の極小車でした。
見ていると自然と笑顔になっていく、なんともかわいい魅力あるフォルムで、今でもこんな豆自動車が(ただし、金銭に余裕が)あったら乗ってみたいと思うほど魅力がありました。
最近は気力体力が落ちて作業が進まない時は、気分転換にテレビで予約しておいたNHKBSの「岩合光昭の世界ネコ歩き」を見て癒されている。
デイサービスでも同じ猫好きの指導員の女の子がいて、訓練中よくこの番組の話をしていたが、先月に突然辞めてしまって、会話を楽しむことが出来ない。
歳を重ねていくと、どうしても環境の変化を受け入れるのが、苦手になって行きます。
この猫派の娘のファンだったフィリップ・ノワレ氏など、特にお気に入りの指導員の女の子だったので、日頃のムードメーカーの面影がその後は薄れたように思え、最近はこちらまで元気を貰うことが少なくなってしまったような気がします。
夏の疲れや季節の変り目などで、体調を崩す人が増えたようです。
最近のデイサービスでは、男女比が1対3と、外見ではハンマーで叩かれてもビクともしないようなコジャック氏や、皆勤賞が当たり前ようなフレッド・マクマレー氏も休み。
同じテーブルの6人のうち2人だけという日もあり、女性に比べて男は脆いイメージが付いて離れません。
例外は、先日、カミさんの伯父が100歳のお祝いで新聞に載ったこと。
区ではもっと上の長寿は居るが,自立となるとなかなか居ないようです。
ご当人は現在102歳で、今も庭掃除や自炊等誰の助けも無く生活していると聞いています。
長寿の秘訣は、毎日の牛乳と梅干しに卵だそうで、昔から体型は小太り、ダイエットなどは論外のようです。
昨日は、4年半ぶりに秋葉原に行ってきた。
パソコンのモニタに接続する変換器が、インターネットで買えなかったため、それじゃリハビリを兼ねて行ってみようということになった。
秋葉原は、数少ない友人の一人で、筋の通らないことが大嫌いな臍曲氏の会社に、よく伺っていたので、ある程度は様変わりした情報は持っていた。
車を万世橋近くのコイン・パーキングに停め、ラジオ会館に向かうと、中国語が飛び交い、横断歩道や信号無視の、傍若無人な歩行者が目についた。
秋葉原はいつの間にか中国の一部になっていて、そのうち無法地帯になってしまうのではないかと、想像してしまった。
昨日の秋葉原の変貌に、複雑な思いの一日でした。
秋葉原行きの翌日は、ひたすら休養に努めた。
実際、人通り多い駐車場から、混雑したラジオ会館までの往復では、尋常でない汗の量だった。
帰宅後は転倒もなく、目的達成と、日頃のストレスが発散できた為か、少し興奮していたこともあって、いつものリハビリ訓練後のベッドへ直行も無かった。
で、翌日は当然木工作業は休み、落語ライブラリーから、ラジオから録音した古い落語のテープの劣化から逃れる為、CDに焼く作業をした。
ここ最近は三笑亭夢楽さんの少し艶笑じみた噺を聞いてCDに保存。その後、四代目春風亭柳好さんの、癒し系の噺を保存。これから十代目桂文治さんの噺を入れる予定。
この3人は、子供の頃テレビに釘付けだった、春風亭柳昇さんのトロンボーンで始まる『お笑いタッグマッチ』という寄席番組の回答者メンバーに含まれていて、懐かしさもあって、自分には思い入れの強い噺家のようです。
ここ、汚れが取れて無いよ。もっとしっかり仕事しなさい。と自戒をを含めた一点。
二昔前に、二人から、UFO目撃談を聞いたことがあった。
一人はご近所の、今は70代の男性で、正月三が日に、土手の上で奥さんと散歩をしていたときに、正面上空に銀の光る物体が飛んでいたという。
この人とは親しくさせてもらっていて、人を担いだり、冗談を言う人ではないと確信を持って言えるので、信じるしかない。
二人目は息子の証言、次男が中学生だった頃、自転車で帰宅途中、UFOに追いかけられた話をきいた。
親を担いだり、作り話する性格でも、メリットもないので、これも信じることにしている。
昔から、【つちのこ】や【かっぱ】、【座敷童】など、目撃談が多くあるが、自分の目で見たことがないので、なんとも言えないが、(とりあえず)信ずることにしている。
私も、幽霊は見たことは無いが、祖父が亡くなって間もない小3の頃、 留守番をして、だらしなく漫画を寝そべって見ていたときに、突然祖父に大声で怒鳴られて、裸足で家を飛び出した経験があるので、目に見えないものの存在は、確信を持って存在しないとは言い切れない。
ツチノコもカッパも、存在を露わにしたらどうなるか、が発想だが、すぐに頓挫。群衆の大騒動を描くつもりだったが、他の用件が切羽詰まっていたのか、続かなかった。
先日の連休明けに、宇都宮餃子食べ比べツアーに参加となった。
我が身の気力体力を顧みると、この程度の小旅行でも、清水の舞台から下を覗く程度の決断と言えます(?)。
出発は午前10時、我が家から2号線で真東に向かって16号へ入り、東北自動車道の岩槻インターから栃木都賀で北関東自動車道に入り、宇都宮上三川(かみのかわ)インターまでで約1時間。
ここで降りて新4号バイパスで北上、平出の信号で鬼怒通りを西に一直線で駅前まで、宇都宮駅前の1時間無料駐車場で駐車、駅前広場(宮みらい)敷地内の宇都宮餃子館で食べ比べが始まった。
この一画にみんみんという有名店もあり、西口駅近くには一方の雄、マサシという餃子店もあったので、それぞれ土産にして帰宅。
帰宅は夕方になっていたような・・・。で、土産も消えかかっていたような・・・。
この餃子ツアーは半ばカミさんに引きずられて行ったようなもので、次男の運転とは言えここ数日の忙しさもあって、食事を堪能する余裕はすでに無く、味はさっぱり分かりませなんだ。
カラスたちに、マイ・ボールをサッカー代わりのボールにされたことに気がつかないゴルファーの図。説明しなければ分からない典型的なスクラップ行きの作品・・・でした。
昨日のテレビで、名機・零戦を作った三菱重工が設計製造すべて日本製の、国産で戦後初めてという小型旅客機を作り上げたニュースを見た。
航空機ファンとしては、機体はかなりスマートだが、スマートすぎて味わいをあまり感じない。
宮崎駿の「紅の豚」に登場したようなフォッカーやビッカースのような複葉機や、ユンカースJu52の魅力には及ばないようですね。
上の絵は、随分昔のラフスケッチだが、当時私の体重が重量オーバーだったこともあって、こんなやくたいもない案が出たのかも知れない。
昔の習作が入った箱を、物置の整理と処分を兼ねて、先日の日曜日に久しぶりに入ってみた。
物置の中は、テレビで見たゴミ屋敷状態だった。
プラスチックの箱、3箱のうち何とか2箱を引っ張り出したまででギブアップ。
食うや食わずだったフリーランス初期の頃の印刷物やら作品が出てきたので、しばらく展開していこうと思っています。
昔々の投稿作品の下絵が出てきた。
光文社発行の「月刊小説宝石」で、内外の一枚漫画作品が載っていた当時、ダメモトで編集部に作品を郵送したところ、幸運が舞い降りて、この孤島漫画の連作の掲載が叶ったのが1970年代後半だった。(このホームページの、2012年1月5日から紹介しています)
その頃は、証券会社のアルバイト生活を続けていて、長女が生まれたばかりの、赤貧洗うがごとしの頃だった。
しかし悪女の深情けというのか、この一枚漫画の呪縛が未だに解けず、生活はあい変わらずで、こんな思い出したくもない絵が出てくるとは思わなかった。
(一枚漫画の)絵を描いて生活するという、とんでもない幻想に取り憑かれた人間は、貧乏神に取り憑かれた人生と、容易に想像が出来ます。
現在、世界的に有名になっているニッポンの「マンガ」とは、別物ってのがシャクですね。
自分の育った環境は、明治生まれの独裁者の職人を見てきたので、稼ぎは良かったらしいが、家族に収入を還元する思考が無い生活のなかで育ったので、貧乏に免疫になっていたのが悪かった。
で、気がつくと、赤貧人生を歩んでいつの間にか、家族を犠牲にした生活がン十年。
これと同じような似通った人生のお仲間が、今まで出版界にチラホラいたんですね。
私と同じ一枚漫画の魅力の呪縛から(未だに)溶けなかった(と、見受けられた)フリーランサーに、昆虫専門のイラストレーターだったり、編集者、絵本作家、デザイナーに数人いました。
同じような人生を歩んでいても、二足の草鞋ならば、貧乏神も入り込む隙間は無いと思いますね。
この方たちの方向転換は正解のようでした。
先月中旬に貰ってきたアカザの茎から切った枝を、水を入れた花瓶に一本だけ試しに入れておいたところ、葉が枯れず根がテニスボール大くらいの大きさに張ってきた(なんという生命力!)。
多年草か一年で終わる雑草かも分からないが、せっかく生き延びようとしていたので、腐葉土が積もった鼠の額?ほどの駐車場隅の、鬼ぐるみの木の根元に植えてみた。
アカザの杖を作る作業も、後からゾロゾロ湧いてくる雑用で、休む暇無く追いまくられ、ストレスがたまって噴火寸前です。
今はそんな事をやっている場合ではなく、優先順位からすれば、オートマタの作品作りに没頭していなければならないんですが・・・、イヤハヤマッタク困ったもんだ。
昨日の作業中、いつもは音楽のCDをBGMにしているのだが、リモコンの再生ボタンを押し間違えたようで、ラジオに変わった途端、高倉健の訃報のニュースが流れた。
任侠映画は食わず嫌いで、他の主演映画も一本もみていない。
映画を見て居ないのに、ファンだったとは、おこがましくて言えないが、この人も死なないものと頑なに思ってる自分がいた。
11月10日に亡くなっていて、近親者だけですでに密葬はすませたという。83歳だった。
冥福を祈ります。
タイトルを付けていない一枚マンガに、「無題」と勝手に編集で付けられてしまうことがあります。
これって、困るんですね。
一応サイレントに拘っているんですが、「無題」ではサイレントになりません。
上の絵のような、らくがきスケッチでも、「無題」と付けられると、読み取る楽しみを奪われるような気がします。
イギリスのイラストレーターにして、一枚マンガの頂点に君臨し続けたロナルド・サールの影響が色濃く残っているラフスケッチです。
月刊小説宝石の編集部から月一で連載の声を頂き、生まれてこのかた使っていない脳味噌からひねり出てきたのが中央のカット。
このホームページ2012年1月12日に印刷物を掲載。
・・・・・20代後半のこの瞬間から、我が家に貧乏神が居着いてしまった記念すべき落書きとなります。クソッ。
30年以上前の落書きです。
ソニーのポータブル・テレビが発売され、世の中の変化が大きく加速を始めた頃の、まだのんびりした時代でした。
録音機・・・なんて言葉、久しく耳にしなくなりました。
たまにリサイクルショップに出かけると、電気機器コーナーの棚に、辺りを睥睨するかのように(?)テープレコーダーがあったりすると、しばらく見とれてしまう事がありました。
お年寄りは、身だしなみに気を使わないと惨めに見えるからと、カミさんにせっつかれて、二ヶ月ぶりに床屋に行ってきた。
帰りにリサイクルショップのトイレを借りついでに、店内を散策。
古典落語大全集というLP10枚組の箱に、300円の値。
古今亭志ん生、八代目文楽、三代目金馬など、話芸の大名人に、この値段を付けては失礼だろと憤慨。
さらし者にされ続けるのは忍びないと、早々に買ってきてしまった。
毎年12月初旬は、友人のイラストレーターあべつせこさんと、童画仲間のグループ展が、表参道のキディランド真向かいのビルで開かれている。
昨日は最終日ということもあって、重い腰にむち打って行ってきた。
普段、真冬のこの時期に、師走の日曜日に、それも若者が混雑している所へは、行くことはありえないが、最近は寝ても覚めてもオートマタにのめり込んでいて、自分でもこのままではちょっといけないのではと思っていた。
で、結果、あべさんを含め、10人の画家からリフレッシュさせてもらい、思い込みや悪い癖をまた持ち始めたのが分かって、リフレッシュさせてもらった最良の日となった。
師走の表参道行きは、去年と同じコースを辿った。
日常粗忽の多い私を気遣ってくれている家内の方が、ストレスが溜まっているためか、この時とばかりテンションが上がっていて、車中はしゃべりっぱなし。
午後1時到着を目標に、10時半出発、手土産を買ってから首都高に乗り、5号線飯田橋で降り、日消会館近くのコインパーキングで停め、タクシーでキディランド真向かいのビルに到着は昼過ぎ。
昼食は後回しで、地下一階の会場へ直行。
約2時間あべさんと旧交を温めた後、同じコースで我が家へ。与野インターを降りて近くのレストラン?で遅い昼食を取った。
今回のドライブでは行きも帰りも、皇居前の横断歩道で、皇居内の見学が最終日とあってか、驚くほどの人の波が印象的だった。
今年もリハビリ訓練の回数が、あとわずかとなってきた。
最近、約3ヶ月ほどデイサービスを休んでいた某氏が、先日元気な姿を見せてくれた。
ここでは個人情報は原則禁止だが、本人から公開してくれたところによると、原因は大腸がんで入院していたと、あっけらかんと宣った。
で、人工肛門になったので、随分楽になったよと強気の弁。
そういえばいつも同じテーブルのキューブ氏は、ようやく聞き取れる話し方で、胃がんだったと告白していた。
ここでは病気の見本市の集まりで、皆さん外見では健常者と同じに行動しているように思えたが、健康で何の問題もなく生活している老人に、デイサービスは無縁だった。
病後のダメージを抱えている人は、当人にだけしか苦しさは分からないもの。
杖やカートなど、何の助けも要らず自力で歩ければと、それに周りの人間に、気遣いをさせない生活が出来れば、御の字なんですが。
最近、また仕事中にBGMをかけるようになった。
大病前後の一時期は、うっとうしくなり、音楽は邪魔になって無音で作業していた。
どうも私にはCDの音がクリア過ぎて、音が尖って聞こえ、リラックスどころかかえって疲れてしまい、神経に刺さるようなので止めていた。
で、レコードからCDに入れて聞き直すと、音がまるく聞こえ(?)作業にもまことに良いので、クラシックから落語まで、最近は特にイージーリスニングを多く聞いている。
先日も、リサイクルショップでフラメンコギターのLP盤を見ていたら、髪の毛をポニーテールにした見ず知らずの団塊の親父から話しかけられ、レコード談義で暫くレジ前にも関わらず雑談してしまった。
実際、この手の(髪をポニーテールした)男は苦手だったことを知っている家内から、からかわれてしまった。
この親父も、【レコードからCDに録音して音楽を聴く派】だった。
去年の春に身罷った愛猫・雲隠れの半蔵を飼う前の落書き。
家内に猫を飼うつもりと言った途端、猛烈に反対されたことがあった。
結局、子供の受験まっただ中に、お見合いという形で「野良猫を無くす会」の一員の家で、引き取ることになったが、その後数年は、家内のヘソは曲がったままだった。
昔の落書きの下書きに、新しく色を乗せてみました。
たぶん、ねずみ年のポストカード用にと、使うつもりで、作りかけていたものです。
以前描いた落書きに、愛猫をモデルにポストカード用に用意して、彩色がなく下書きだけのものが、使わずに残してあった。
我が家の愛猫だった雲隠れの半蔵は、一年未満で家族の一員になり、次男の(ちょっと風変わりな)愛情を受け止めかねて、性格は偏屈になってしまった。
ペットは飼い主に似るようで、私の性格や養父の性格にもそっくりと感じることが多々あった。
大晦日まで、後僅かになってしまった。
年賀状の制作を迫る(?)CMを見るのが嫌で、テレビは見ないことにしている。
もっとも、じっくり見ている時間も番組も無い。
来年の干支の羊をテーマにした、年賀状用のオートマタの制作で、完成に間に合わない事を理由に、雑用などを勘弁してもらっている。
仕事では、締め切りが近づくと今までパニックになるということはなかったが、余裕があると凝り出すという悪い癖がどうしても出てしまう。
ギリギリのせめぎ合いの状態が、自分には良いのかも知れない。
東京動物園協会から発行されていた月刊「インセクタリウム」誌(現在休刊中)のニュースのページ用のカット。
カット提出の前の、練習用と試し描きの中の3点です。
デイサービスで、独身介護士の女性の中に、虫と聞いただけでも怖気をふるっている介護士の女性が何名かいます。
虫が居なくなったら、花も咲かないし、地球上の生物は消滅してしまうと宣うと、ダメなものはダメの一点張り。
それじゃぁと、私の好きなイラガの幼虫の美しさを、微に入り細に入り説明したんですが、それ以来私も嫌われてしまったようで、近づかなくなってしまいました。
どっとはらい。
一ヶ月ぶりでスキャナの調子が戻り、再出発は原点に戻って40年前の習作の孤島マンガ。
子供の頃の家庭環境を未だに引きずっている為なのか、【一人で居ること】に考えがいってしまう。
そろそろ身辺整理の年齢に達したこともあり、画学生時代の習作を処分するつもりで封を解いたが、時代錯誤と、あまりにも恥ずかしい問題作品以外は、ホームページに載せることにした。
40年前と今を比べても、進歩熟成は私には無縁のようです。
今年に入ってから、木工作業の準備に取りかかる直前に、急な雑用が発生したり、物事の進行中に故障が起きてしまうという、後から考えると首を傾げることが多くなった。
もっとも、2月3月は、私には鬼門の月と、ここまで生きてきて肝に感じていたが、それでも今年は顕著に物事がスムーズに運ばない2〜3月のようだ。
こういう時は、首を竦めて、差し障りが行き過ぎるまで、待つしかないようだ。
上方落語界の人間国宝・桂米朝さんが昨日、肺炎で亡くなったニュースが飛び込んできた。
落語家で89歳というと最長寿だったといえるようです。
米朝さんの落語は教科書的で、一時期、落語ライブラリーに米朝落語も収集していた時期もあったが、他の落語家と比べると面白みも薄かったように感じていた。
20年ほど前、当時小石川の図書館に落語レコードが豊富だったこともあり、借りてきてカセットに録音していたが、再度進んで聞くということがなかった。
また、レコードよりラジオの上方演芸のライブの方が貴重だったので、米朝さんの落語は10分の1程度に減ってしまった。
東西にまたがって人気を席巻した爆笑王の枝雀さんの師匠でもありました。
ご冥福を祈ります。
「君も頑固な男だな。さっきから私は幻覚だと言ってるではないか。狂わないうちに早くあっちへ行きなさい」
朝食前に母親から電話があり、急遽、墓参りに行くことになった。
そこそこ用事を済ませ、9時前出発。
お彼岸と休日が重なり、道路状況は少し混雑していて、通常より30分遅れで群馬の実家には11時着。
首都高を通って横浜の野毛近くにある先祖の菩提寺に2時着。
その後、六女の姉と義兄の眠る墓がある保土ヶ谷のお寺へ詣り、3時半に群馬へ向かって館林で昼食兼夕食を済ませ、帰宅は8時。
途中スタミナドリンク二本が効いたか、疲れもなく360キロを走破でき、ひと安心の1日でした。
突然の脳出血発症から生還して、明日から6年目に入る。
今年の冬は、左半身の縛りがきつく、日常生活を過ごすのが若干厳しかった。が、常に自然体で、平常心を心がけ、丁寧に毎日を過ごす(?)ようにしてる。
この病気になったおかげで、以前のせっかちで、雑だった性格は影を潜めたように思う。
私の方はケセラセラで日常生活を過ごせているが、最近は愛犬のプーが急激に衰えてきた。
プーは、愛猫だった雲隠れの半蔵の半年後に家族に加わり、現在は人間の年齢にすると、白寿に近いと思われる。
ここ数ヶ月は、耳も遠くなり、目もよく見えなくなったようだ。なにより足が不自由になったようで、よく転ぶようになり、頼りない歩き方になっていた。
今は歩くこともならず、寝たきりとなっていて、全てにおいて家内が面倒をみている。
息を引き取る時は我が家で、という会話が耳に届いたかして、今は穏やかな安心した表情をうかべた寝顔になっている。
ホームページ更新中に、愛犬プーさんが逝ってしまったとカミさんの声。
近くの神社境内や、農家の庭先にあるの桜の花が満開だというに、老少不定とはいえ美人(犬)だったプーの最後の日にふさわしい旅たちとなった。
大雑把な性格の現れで、極小の仕事部屋なのに木工作業までしていたので、掃除機の届きにくい床面に、数年にわたって積もったままの塵や細かいパウダー状の木屑までこびり付いていた。
一昨日の日曜日は、思い切って仕事部屋の整理整頓と、ぞうきんで床の拭き掃除の日となった。
取りかかりは、マップケースの上に設置したパソコンの裏側にあるインターネットや電話機の延長コード。
コード類は絡まっていては掃除が難しいので、表に出て窓側から(三和土に設置した室外機を間にして)手を伸ばさなければ、コードをほどくことが出来ない。
これが難題で、右手を肩から上に伸ばすと、(半身麻痺の不思議な症状のうちのひとつで)左足が床や地面から浮いてくるので、バランスが取りづらいことこの上ない。
この程度のことで、小一時間ほど、ほぼ右足だけで立ちっぱなしになっていた。
次は机やマップケースの下の床拭きで、体の左側を床にしないと、床拭きが出来ない。
この無理な姿勢での掃除は、思いの外重労働で、掃除は朝食後から昼過ぎまでかかってしまった。
この半日の労働で、一日分のスタミナを使い切ったという情けない1日だった。
入学式に桜の花が満開だったのは、何年くらい前まであったんでしょうね。
今年は入学式までに咲いている桜の花を見ることは期待薄のようです。
昨日は小用で外出したところ、沿道沿いの桜がすでに満開のオンパレード。
途中、車で20分ほどに位置する上尾の円山公園でさくら祭りがあり、春休みの子供連れの車が道路脇まで駐車場待ちのファミリーカーで溢れて大渋滞だった
小用の行き帰りに、神社や小さな公園など桜の木の下で食事をする人たちをあちこちで見かけ、空いた席も無く盛況のようだった。
デイサービスでは、俳優のテリー・サバラス似のコジャック氏とは、愛犬仲間でもある。
先日は、雑談がいつの間にかペットの話になり、コジャック氏の家の室内犬も老齢で歩けなくなってきていて、そろそろ覚悟をしなければという話になった。
今後どうしても犬が欲しいとなると、愛犬協会(?)に登録という手もあるとのことで、自分たちの年齢を考えると、里親として成犬を引き取るのが良いのではと耳にした。
が、世話がこれ以上増えるのは真っ平!という声も、家人に相談する前から・・・・。
昨日は、朝食後すぐ車を出し、家内の定期検診で(わざわざ)交通の不便な所にある病院(を選んだ為)の行き帰りで、桜の花が散り始めてきているのをあちこちで目にした。
お隣の群馬県や、茨城、栃木では、まだ六分咲きというニュースをテレビで、昨日あたり見たように記憶しているが、今年は桜の花の散り際が、特に早すぎるようです。
あまり泣き言は吐きたくないが、今日のような急な寒い日は、無理に動かすと左腕がいつも以上に重くおまけにしびれが指先にまで走り、足裏の神経疼痛がきつくなって、思うように行動が出来ない。
こんな日は体を動かす事が普段の半分ほども出来ないので、傍目には怠けているようにしか見えないようだ。
午後は散らかった机周りの整頓でオシマイにすることにした。
荒川を挟んで、隣の川越市にある喫茶室「五番館」に、半年ぶりに行ってリフレッシュしてきた。
車を出せば目と鼻の先といえる距離なので、10分弱ほどで行けるが、何のかんのと雑用等で行けなかった。
このお気に入りの喫茶室のオーナーの趣味が、万華鏡やクラシックバイク等、多趣味だが工務店を兼ねた余裕が、居心地の良い雰囲気を醸し出している。
また、店員の接客や食事も上質で、私には文句の付けようがない。
が、たまに行く度に、内装が変わっていて、落ち着きがないのが弱点と言える。
画学生時代は、お茶の水駅前の名曲喫茶「田園」や「ウイーン」、神田三省堂近くの「ラドリオ」などあったが、行動範囲が限られた今はなかなかお気に入りの喫茶店は見つけられなかった。
ここは薪ストーブがあるので、小学生以下の子供は「五番館」の入室が出来ないと入り口に書いてあり、家族持ちの若い夫婦が、不満顔のお気の毒な場面を昨日も目にしている。
昨日は一ヶ月に一度の定期検診日だった。
今年は特に、寒い日の雨の降る直前、スリングという機能回復運動中から痛みが始まり、左足裏の神経疼痛に悩まされていたことの原因を、医者に聞いてみた。
医者は退院時に作った古い装具が合わなくなったのが原因かもしれないので、デイサービスの運動で、新しく作った方の装具でしばらく様子をみてはどうかと言わた。
デイサービスで古い装具を使い続けていた訳は、入室時に靴を室内履きに履き替えることになっていて、新しい方は外歩き使用の装具だったための判断だった。
ちょうどこの日の午後はデイサービスに行く日だったので、指導員に訳をいって新しい方の装具に替えてみることにした。
天気予報では、午後夕方雨のようで、運動中そろそろいつもの疼痛が始まると思っていたが、幸いにも帰宅まで痛みが襲ってこなかった。
この程度では、まだ原因は装具だったとは言い切れず、しばらくは様子見が続くようです。
毛艶の良い、全身真っ黒なラブラドール・レトリバー犬が、愛する飼い主が急逝した後、全身真っ白になったテレビ番組を見た。
始めは鼻で笑って見ていたが、その変化が写っている証拠写真を数点見て、未だに何処か疑っているへそ曲がりの自分がいる。
飼い主と犬がこれほど親密だと奇跡が起きるのか、また、この犬が亡くなる一ヶ月前から、徐々に元の黒になっていった写真も見た。・・・またまたホントだらうか。
先日亡くなった愛犬プーと、飼い主だった私の関係を思い返してしまったひとときだった。
欧米のように、靴を脱がない家屋なら、家の中で犬を飼うのは納得できるし、自分も同じような飼い方をしたいと思っている。
が、日本家屋で座敷に犬を上げて飼うことは出来ない。
ペットと飼い主の関係はドライでいた方が、私には居心地がいい。
イギリスの宝飾街にある貸金庫から、今月初めに大量の宝石類が盗まれたというニュースがあった。
警察はまだ被害額を発表していないが、イギリス犯罪史上最高額の2億ポンド、日本円でナント360億円!らしい。
これらの宝石がどのくらいの分量になるか知り得ません。
昨日その話をデイサービスで話すと、金額が大きすぎて実感出来ないとか、一つくらい、どこかに落ちていなかったのか?等々、中身に保険はかけてあったと思うがそれでも不謹慎モード全開だった。
話題沸騰して想像が膨み、今まで見た記憶に残っている犯罪映画が蘇ってきた。
ジュールス・ダッシン監督の『トプカピ』(1964)や、ウィリアム・ワイラー監督でオードリー・ヘップバーン主演の『おしゃれ泥棒』(1966)、マルコ・ヴィカリオ監督の『黄金の7人』(1965)、ジャック・ベッケル監督・ジャン・ギャバン主演の『現金に手を出すな』(1955)の映画の中のようなことが現実に起こり、どのように貸金庫に入り込んだのか、庶民には現実味が無い分、想像が膨らんでくる話題でもありました。
天候が突然変化する日が続いている。
晴れていたと思ったら、突然雷が鳴ったり、九州地方で雹が降ったニュースも耳にした。
こんな日が続くと、体も変調を来します。
これが自分だけかと思いきや、デイサービスで心やすくさせてもらっている諸先輩がたも、やはり体の不調を訴えていました。
高齢になることはどういうことか、を、観察できる環境にいると、今まで見えなかった事が少しずつ分かってくる。
で、ひとつ大事なことは、年を取れば取るほど【頑張らない】生活が、重要のようです。
ここに来ている人に大旨共通している性格は、皆真面目で頑張り屋さんのようです。
年を取る不安からか、年齢を無視した無謀ともいえるような行動で、取り返しのつかない体になってしまった例が意外と多く感じられます。
長老フレッド・マクマレー翁は、一時期デイサービスで、同じテーブルのメンバーで一緒だった。
今はその日によって座る席が一定していないので、時々リハビリ訓練の合間に会話させてもらっている。
誰が見ても、訓練を必要とする体には見えないので、先日不躾にも聞いてみた。
現在86歳の翁が6年前、家の前で自転車に乗るときに転倒、即救急車で病院に運ばれ、90日のベッド生活で、脚の筋肉が溶けたように無くなってからが、不幸の始まりだったと言う。
入院するまでの80年は健康に不安は無かったが、歩くことが困難になってから、様々な病気に見舞われたという。
今は普通に歩いているように見えるが、足腰の衰えや膝などに痛みはあるとのこと。
先日、大阪の小学生が学校内でサッカーをしていたときに、ボールがゴールから外れて、バイクに乗った85歳の男性に当たって転倒、病院に入院後、痴呆を発症して亡くなったニュースがあった。
少年の親の責任問題で訴訟のニュースを見たが、被害者側は何故85歳の高齢者が、バイクに乗るのを止めさせなかったのか、疑問が残った。
高齢者が二輪車に乗る行為は、自殺行為としか思えない。
二輪車どころか普段の生活でも、転倒が一番危険ということは、今の環境から学んだことで、肝に銘じて生活している。
昭和20年代初期からの【大人マンガ】作家の一人で、軽妙流麗な線で魅了した漫画家小島功さんが、昨年暮れ脳出血で倒れ、先日87歳で亡くなられた。
代表作は「仙人部落」や「ヒゲとボイン」など作品数は膨大。
エロチックな女性美をイラストで追求し、日本女性のプロポーションを理想的なフォルムで表現した。
1970年代後半に、加藤義郎さんと共同出資で、一枚マンガ作家発掘を目指した大判の「ユーモリスト」誌を発刊したが、4号で廃刊。
白米の代わりに納豆を主食にしているいう談話を、四半世紀前に耳にしたことがある。
職業人として、この姿勢が長い間現役で仕事が出来たのではと思います。
ご冥福を祈ります。
台所の天井に取り付けた蛍光灯が切れた。
また、玄関の電球もそろそろ交換時期が来ていると家内が言う。
この負の連鎖の(オシャカ)は移るらしく、今度はカミさんが風邪を引いてしまった。
奴さんの方は、一週間ほど前から喉の乾きや痛みを訴えていて、体がダルいようなので、病院に連れて行こうとしたが、人混みの多い待合室で診察を待つ間、余計に風邪が重くなるから嫌と、頑として聞き入れない。
天井に設置した灯りはカバーも大きくて、悔しいが今の私には外す事は無理だし、カミさんを動かすのは、長年の経験で不可能と諦めた。
灯りの方は息子にLEDに交換してもらって、とりあえずひと安心。
カミさんはここ数日、寝たり起きたりの生活で、運を天に任せる生活は相変わらず続くようです。
風邪で外出出来ないカミさんに変わって、近くのスーパーに食料品の買い出しに行く。
ここ一週間ほどは固形物が喉を通らないので、果物や、ケーキが好いという。
イチゴやバナナなど、他に数日の食料を買い、袋に入れていたところ、中年の主婦が袋詰めを手伝ってくれた。
コンビニのドアなど、さりげなくフォローしてくれる人が多く、テレビ番組の【和風総本家】のナレーションではないが、「日本って、いいなぁ」と、自然と頭が垂れてくる。
ここまではいい話。
買ってきた果物を食べたカミさんが、果物の熟成がまだで甘さが足らない、と座るなり文句を言い出した。
日頃何かにつけてケチを付けるカミさんに、「あんたはブーブークッションか」と、思わず本音が出てしまった。
テレビのスイッチを入れた途端、チリの火山の噴火映像が突然目に飛び込んできた。
南半球が火山灰で覆われる等、不安を増幅するようなコメントが耳に入る。
その後、その巨大な噴煙を立ちすくんで見ている住民たちの写真もインターネットで流れ、スピルバーグが監督した「宇宙戦争」の映画の一場面を、モニタで見ているような非現実な錯覚すら覚えた。
その後このニュースは、パッタリと途絶えたように思える。
何故だか、これからのことも気になります。
ここ数ヶ月連続して続いていた急な雑用?や来客と、カミさんの体調不良等が重なって、落ち着いて机に向かうことが出来なかった。
昨日は久々にオートマタに着手したが、腰を据えて取り組めなかったこともあって、なかなかエンジンが掛からない。
今年の年賀状用に作ったカラクリは、大幅に修正しなければスムーズに動かないことが分かって、設計図の書き換えをしていたが、体力が続かず、ちょくちょく休憩をする姿を、カミさんに見られる。
奴さんの感は鋭く、タイムリーな時に私の前に現れ、断り切れない事を言う特技を持っている。
この時も少し嫌な予感がして、細かな雑用があるような素振りを感じたが、選択性難聴になって無視を決め込んでいる。
1970年代後半から、80年初頭のスケッチの、この絵を更新した時、当時の渋谷パルコが出来た頃の映像が突然、蘇ってきた。
坂の名前は忘れたが、その坂の上に出来たパルコから坂下の、丁度中間の細い路地のかどにあった証券会社でアルバイトをしていた、JRがまだ国鉄と言っていた時代だった。
蒲田のアパートから渋谷まで、汗みずくの満員電車に乗った経験から生まれたのも、この一枚でした。
孟宗竹を近所の農家から貰ったから、何時でも都合のいい時に取りにくるように。
と、コジャック氏から親切な申し出があった。
先日のデイサービスで、木工作業に使う自作のアール出しのヤスリに竹が必要になり、肉厚の青竹を探していることを、雑談で話していたのを聞いていてくれたらしい。
暦の上で今日は八十八夜。
農業振興区域に建つ家の廻りで、毎年この日の前後になると田に水が入る。
デイサービス通いのご近所の長老たちは、朝早くからほぼ半日たっぷり、田んぼにトラクターを入れて、土と水を撹拌する。
機械がやるとはいえ、これが重労働で、三食の他10時と3時に、握り飯を食べないと体が持たないという。
またスーツ姿の子供らの通勤をを横目で見ながら、空き地や土手の雑草刈りなど重労働に従事している。
昨日は、5月初旬とは思えないほど、夏の陽気の暑さだった。
毎年、春が過ぎる頃には、歩行に痛みは薄らいでくるのだが、今年は不思議と消えない。
何故か気になったので、風呂に入るときに、靴下を脱いで、左右揃えた脚を見たら、左足の指先から甲にかけて、明らかにムクミがある。
オートマタのカラクリ設計を、パソコン上で作っているが、どうもうまくいかない。
紙と鉛筆でラフに描いていくと、いろいろなアイデアが浮かんでくる(場合が多い)が、 モニタを眺めながら、うっかり保存をし忘れる時に限って【予期しない不具合で】と、 画面が突然消えて、それまでの苦労が一瞬で消えてしまったことが2〜3度に留まらない。
10年ほど前、近くにリサイクルショップが出来たので、中に入ってみると、がらくたの家具がとんでもなく安い値で売り出していた。
その中に、中古のドラフター付きのテーブルが、値段を付けないであったので、店員に聞くと1000円で良いという。
この頃はまだオートマタを作る遙か昔?だったので、仕事部屋に置くスペースもなかったので、断念したが、今頃になって必要になってきた。
案の定、この店はあっけなく2年程で消滅してしまった。
ドラフターだけでも手に入れておけば良かったと、後悔しきりの毎日デス。
昨日の【母の日】は、誰が提唱したのか知らないが、普段よっぽど親不孝を重ねていた奴が考えたと邪推してしまう日だった。
この日だけは改めて親に感謝せよ!なんてのは、真っ平と思っていても、本寸法の親不孝者と自覚している私には、抗えませんでした。昨日は実家の雑用の後、母親と会食して帰宅して後、今までたまっていた疲れがどっと出て翌日の午前中まで何も出来ませんでした。
今朝も、ホームページを更新するはずでしたが、急に更新できなくなっていた。
原因は分かりません。
毎日猛暑まっさかりの日に唖然呆然。仕方なく今の心境に見合った昔々のスクラップスケッチが一枚あったので、これを本日の更新としました。
で、どうなっていたか、
デジカメで撮ったカラクリの画像をフォトショップで処理しようとしても、ファイルプラウザで拒否?されてしまう不思議現象が起きていて、まだ愛機のご機嫌斜めが続いています。
今までの経験では、弄くり倒してさらに機嫌を悪くしてしまうのがオチなので、さて、こんな時はどうするか・・・。
仕事には影響がないので、無視。
カミさんとパソコンは、触らぬ神に何とやら、で、カラクリ制作に没頭することにします。
しかし、弱った弱った。
二〜三日前に月一回の定期検診があり、病院の駐車場から受付を済まして、専門医の問診室の前にある血圧計で計り、医者に血圧の数値を見せるのが定期検診の時の決まりになっていた。
このたかだか50メートル程度の距離に心拍数が99となっていて、付き添いのカミさんがこの数値に驚き、問診の際に開口一番、心拍数が異常に高いので気になったと医者に聞いていた。
医者から、「普通の人たちと違って、付加がかかっている体は重い重量を抱えて歩いているようなものなので、これくらいの心拍数は、歩いていれば出るでしょう」と言われ、納得したようです。
このところオートマタ作品の制作を理由に、館林にある実家の雑用を怠けていた。
一昨日の金曜日、館林は39.1度で全国一位の猛暑を記録していた。
緊急の用事も無かったが、高齢の親の様子を見に出かけた。
実家近く(でもないか)の市役所周辺は、樹齢数百年ほどの古木大木があるが、その他駅周辺や住宅街は緑が見事に無いといってもよく、半世紀前頃はうっそうとした樹木が多かったそうだ。
猛暑日でも館林市役所周辺だけは涼やかな空気が漂っている。
ところが、たくさんあった樹木がある日を境に一斉に切り倒されてしまったという。
緑一掃計画を実行し、陣頭指揮した人たち?は誰か、理由も分からないが、夏になると館林に行く度に腹が立ってならない。
約半月のインターバルの後、ようやく木工作業再開となります。
本業が片づいた後、毎日少しずつでも木工が出来れば申し分無いと、いつも思うのですが、一日に二種類の作業をすこしずつこなすことなど、今まで出来た試しがない。
ひとつのことに集中しなければ、意識があちこちに飛び回って、一日が無駄に終わり、共倒れになりかねません。
また、気力体力は以前と比べて情けないほど続かなくなってきている。
地道に今日からまた、腰を据え、設計の練り直し作業に入ります。
・・・・いつ頃完成出来ることやら。タメイキ。
今月初め、中学の同窓会の案内状が来ていた。
昔を懐かしむ気も、友人も居なかったので、返信しないうちずるずる日が経ち、先日幹事から電話をもらってしまった。
近況と今後も行けない事を説明し陳謝した。が、私の個人情報を伝えた記憶は無いはずなのに、どうやって住所と電話番号を知ったのか不気味です。
そういえば家内もここ数年、同窓会の話をとんと聞いていない。
聞くと同窓会の幹事を引き受ける人脈がばたばたと鬼籍に入ってしまったという。
もーそんな年齢なんですね。
そろそろどころか、今の内に身辺整理をしなければとは思っているんですが、私の場合(電動工具購入や作品作りで)逆行しているので、厄介者を自覚です。
ここ数日は秋の気配が感じられ、日中が大分過ごしやすくなってきた。
体的?にはもう少し温度が高いと有り難いが、これから動きづらくなる季節に向かうと思うと、ある種の覚悟を突きつけられる。
週二回のデイサービスで、和やかな笑顔と、とびきり陽気で人気を集めているフリップ・ノワレ氏の顔をここ二〜三ヶ月見ていない。
10数年前のゴルフプレー中に倒れ、その後数人の医者から、現代医学では直せない難病と告げられても、微塵も辛さを感じさせないノワレ氏の人柄は皆心服している。
仲良くさせて貰っているお仲間の女性数人から、ノワレ氏の情報を聞かれたが、当初から比べると、歩き方が徐々に難しくなってきているように見受けられ、氏に見合った環境に移られたのではと思ってしまう。
このデイサービスの創設が約7年、創設の半年後から通うようになって6年と少し。
徐々に静かに、今の環境から去っていった人たちの顔が思い出される。
人見知りの強い私を和らげて接してくれた人たちとの、別れが続いている。
ユーチューブには、規制はないのだろうか。
誹謗中傷閲覧注意のコーナーが勝手に割り込み、不愉快極まりない。
飛行機事故や、大型ハリケーン、巨大竜巻、ビル爆破など、若干過激な動画を見た後に入り込んでくるので、困っとります。
この汚い(誹謗中傷等不愉快)コーナーを即、ピンポイントで消去出来る方法は無いのでしょうか。
雑用を済ませるため、約半月ぶりに館林の実家に行ってきた。
私の幼児期の実家は館林では無いが、高校を出て蒲田で一人暮らしをしていた頃、母と仲の良かった七女家族と、当時館林にあった森永乳業工場の宿舎へ転勤した数年後に、館林に家を建てて約半世紀になる。
免許を返納して約10年経った母の口癖が「館林も随分廃れてきた」というもの。
人口の減少はなにも館林に限ったことでは無いが、 ベビーブーマーだった団塊の世代の現役は、数少なくなった職人だけとなった。
市内も歯が抜けたように空き地が目立つが、実家までの道路沿いを見た感じでは巨大モールや大型電気店などが次々建ち、リニューアルが進んでいるように思える。
だがしかし、市内の本屋、文房具店、模型店などの家はあっても看板だけが残っていて、個人商店が見事に無くなっているのが気になる。
月一の定期検診で、医者からは出来るだけ理想体重を念頭に生活することを言われている。
身長で割り出した体重からは、現在は3㎏オーバーが限界で、運動がままならないので、今まで食生活で維持していた。
が、如何せんこれでは体力が追いつかず、リハビリから帰るとバタンキューではいかにも情けないと思っていた。
食欲の秋の今は、これより一㎏増え、ここ一ヶ月間変動が無く、現在は4㎏オーバー。
たった一㎏増えただけで、リハビリから帰宅後は横になることもなく、騙し騙しだが、机に向かうことが出来る。
理想体重を維持して、気力と体力をアップする方法はあるはず、・・・なんですがねぇ。
「オイ見ろよ、奴らの目は俺たちを単なる豚として見ている目じゃ無いゼ」
【物言えば唇寒し】を視覚化したもの。
40年以上前の独身時代、西蒲田の古アパートで、職業絵描きの見習いのようなアルバイトを始めた頃のもの。
思い出したくもない諸々の記憶が、見ているとジワジワ染みだしてきます。
このところすこぶる体調が悪かった。
原因は気圧の変化だけではないと思う。
不自由な日常も6年目となると、健康だった頃の記憶が、脳だけでなく体からも薄れたことで、憂鬱が知らず支配してくる。
で、この自分なりの解決方法は、入院時から知らずやってきたことだが、(人から顰蹙を買うほど【ふざけ倒す】こと)で、自分を解放させてきた。
これは結構効果があったようで、突き放して自分を見る訓練にもなった。・・・と、思う。
何故か?が、抜けているが、まだ自分でも分からない。
先日の敬老の日は、実家に行ける体調ではなかった。
が、前もって今回の実家行きはパスと言っておけばよかったが、既に遅し、朝食前に家内が赤飯を作ってしまっていた。
墓参りも、実家に顔出しもしないで居るつもりかと、家内から無言の圧力を感じ、館林までハンドルを握ることになってしまった。
横浜までの道路事情と、館林までは比べるべくもなく、体力的に群馬までの方が楽。
で途中体調不良を気づかれることなく、無事、疲れまくって帰宅。
日常夫婦間の会話がどれほど大切かを肝に銘じた一日だった。
うかうかしている間に、もう9月も終わりです。
カラクリ作品はいったいどうなっているんでしょうねぇ。
・・・と、他人事のように呟いて責任逃れ? しかし・・・・実際困っとります。
一日たっぷり時間があるのに、成果や結果がでない日が続き、疲れが二倍にも三倍にもなって覆い被さる日が続いています。
画学生だった独身時代から、商業絵描きになった最初の頃も、時間はたっぷりあった。
この頃に、描きなぐっていた習作やラフの類のイタズラ描きは、茶封筒にいれたものはともかく、引っ越しの度に散逸したり、ごちゃ混ぜになってしまったようです。
今はこのタイトルの中身も見つかりません。
BーCASカードがアクセス出来ないので、テレビを買った販売店で修理?を頼んだ。
テレビのBキャスカードアクセスを【修理】とは言わないのではと、販売店側の修理依頼という言葉に、若干違和感を覚えた。
昔は大型電気店?だったここの社員は、仕事をするのが嫌だったようで、電話対応の要領が非常に悪く、販売店からメーカーに連絡してくれたこの超一流メーカーの修理部員も同じ病に思えた。
結局、修理は一週間後と告げられた。(・・・ヤレヤレ)
昨今のテレビ離れが体感できた一日でした。
何をするにしても、いつも頭の中で流れる音楽が、ドリス・ディの「ケ・セラ・セラ」。
現在は土曜日朝のテレビの、トーク番組「阿川佐和子の朝」のタイトルに流れる曲「ティ・フォー・ツゥ」で、この歌手の心地良い歌声を聞くことができる。
この世界的に大ヒットしたドイツ系アメリカ人の歌手が、現在も健在と知って驚いた。
1922年生まれの93歳!ですと。
ご長寿にあやかって作業中にCDを聴く事がありますが、この日の朝に流れている曲のバージョンが無いのが残念です。
年に二回ほど、終日、独り身を謳歌できる日がある。
昨日がその日だった。
理由は高齢の義母の漢方?を小田原まで買いに、介護要員として家内が同行するため。
小田原にあるその漢方店は、通販もせず、来店した客の人数分のみの販売という決まりになっているとのこと。
それがどのような効能があるか、また、その薬?を見て調べた訳ではないのでよく分からないが、義母にはその漢方薬を呑むと終日体の調子が良いらしい。小田原までのドライブは、家内と家内の姉夫婦と義母とで、ほぼ7〜8時間かけて行ってくる。
数年前まは12時間近くもかかっていたが、近年の道路事情が良くなってきたことで、年々帰宅が早くなってきている。
ハンドルを握る70代半ば過ぎの義姉のパートナーの体力や、90代半ばの義母の体調も考慮して、急かさないで行ってきて欲しいと毎回言っている。
私としてはもっとのんびり、身内だけの小田原行き小旅行を楽しんできてもらいたいと心底から願っているのですが・・・ねぇ。
アルバイト生活時代の通勤で経験した、スクラップアイデア集は、こんな益体もないタイトルだった。
裏面に旧住所が殴り書きしてある。
当時の想い出は、ポパイ創刊号が買えなかった悔しさ(思いの外、高額だった)と、通勤時に、渋谷のスクランブル交差点で見た山口小夜子の美しさが未だに脳裏に焼き付いていること。
昭和40年代の頃の落書きです。
当時、アルバイト生活で得たお宝は、お茶の水の洋書店で、ロナルド・サールやジャン・ジャック・サンペなど、海外の一枚漫画家の作品集を探し廻り、読めもしないロンドン・パンチやニューヨーカー、時には本家プレイボーイや、リュイを買い漁っていた頃に描いた産物です。
便秘で体調を崩したと日曜日に母親から電話があり、様子を見に館林まで行ってきた。
普段どのように食事を取っているか分からないが、発酵食は取っていないように思える。
群馬に向かう前、家内が高齢者にやさしい味噌汁?を作ってくれたので持って行った。
帰宅後は母から随分楽になったと電話があって一安心。
翌日はリハビリ訓練日だったので、南瓜作りは遅々として進めず、・・・今度はこっちがストレスで便秘になりそうです。
不出来なハロウィン・カボチャは、作った日の夕方には4つとも全て手元からハケていた。
カボチャの出来が平均点以上の出来なら良いのだが、また、好評なら言うことはないが、そうとも言い切れないようだ。
私の作品全ての、可もなく不可もないところの問題点は、この辺にありそうです。
失敗と思った時点で壊していれば・・・・と、遅まきながらの反省です。
今日からまた木工の制作開始です。
市販されている工具は、どうも自分の作業に適さないものが多く感じられます。
で、今まで何度もカラクリ等の制作途中で、作業用工具を自作しなければならない場面が度々あって、仕方なく横道に逸れての時間をとられていた。
今回も市販のドリルに装着する回転用サンダーの作業効率が悪かったので、横道に逸れることになります。
今日はカボチャ作りをする前に、カボチャの内側専用?のサンダー自作するつもりです。
鬱陶しい日々が続きましたが、ようやく晴天になるようです。
こんな日は、ひたすら屋外で木を削り、磨く日となります。
先日は仕事中にプリンターの印刷が出来なくなり、紙の入り込む部分を見たら、木屑の目の細かいパウダーが入り込んでいて、大慌てで掃除機で吸い込み、プリンタが直ったのはいいが、本業の締め切り日が数時間の差で守れなくなってしまいました。
この時間のロスは多大にストレスに影響します。
この日からなるべく、削ったり磨く作業は屋外でやるようにしました。
で、今日から2〜3日は屋外作業になり、デジカメで撮影はありません。
ようやく11月らしい寒さになってきました。
地球温暖化現象とやらで、今までが初冬とはいえないような暖かさだったが、最近は体の動きが堅くなってきて、こんな寒さ程度で、片麻痺症状が覿面に現れます。
自棄を起こして強引に動くと、手足の、特に左腕外側から左手の甲の指先に向かって静電気のような痛みと【しびれ】がきます。
ところで木工作業の方は、本体の回転サンダーと、中心部の金具の取り付けが逆だったので、作業中にボルトがゆるんできて、効率よく削れません。
慌てて瞬間接着剤のロックタイトで固定したのですが、瞬間接着といえども、直ぐに使える訳ではないので、暫く作業は中断となった。
その間、テレビで録画してあった、「キャッスル・ミステリー作家のNY事件簿」や「孤独のグルメ」を見て、大幅に時間を喰った作業効率の悪い日となりました。
昨日は一週間分の溜まっていた雑用が一挙に押し寄せてきたような1日でした。
午後は就寝まで木に触ることは出来ず、また、申年のカラクリ設計が、頭の中で勝手に先走り、徐々にストレスが溜まり始めます。・・・・困ったモンだ。
以前は心置きなく、電動工具の騒音を気にせず木工制作が出来たのですが、里山の農村地帯から、現在はマンションや戸建ての住居が建ち並び、家の周辺は一挙に住宅地と化してしまった。
従って木工制作の屋外作業も、気兼ねすることなくなど出来なくなっています。
家の廻りにも、幼児が数人いるので、休日は特にモーター音など以ての外という雰囲気を感じます。(・・・でも、全く騒音を出さないということは無く、背に腹は替えられないときには、屋外で強引につっぱしって作業することは、度々どころかですが・・・)
勢い、手動で削り作業となるのでなかなか進まず、デジカメで撮るほどの成果はありません。悪しからずであります。
回転サンダーは工夫の余地がおおいにありでした。
私が主に使う木材は、ブナやカリン、黒檀など堅木が多く、カボチャの内側に回転サンダーをあてても殆ど効果的に削れなかった。
やはり手動で削る方が時間的なロスが無く、この方が精神面でも良いようです。
が、諦めることなく トライしてみる価値はあるので、いずれ完成させるつもりです。
2016年申年テーマのオートマタの設計は、・・・難航中です。
今日からまた、木工作業が再開です。
一日目一杯制作時間に使えれば良いのですが、師走となった今は、難しくなってきました。
カラクリ木工作業がまったく出来ない日が来(てしまっ)た。
師走とはよく言ったもので、私のような甚兵衛でも、先送り後回しの物事が一遍に押し寄せてきたことで、疲かれが原因で昨日からめったに経験したことがない腰痛に見舞われています。
大掃除ひとつとっても、日々心がけよく掃除をしていれば、必要としない行事なのですがね。
今日もそんな案配の日となりそうです。
カラクリの制作が、ようやく始められそうです。
師走の慌ただしい時期とはいえ、ご近所の手前、屋外の電動工具始動は午後を予定しています。
今日は何処まで仕上がるか、今後の鍵となりますが、まずは怪我に注意。
暖冬といっても、この寒さでは体の自由が少しは奪われるので、焦らず再始動です。
大雪注意報を昨夜、寝る前のニュースで知った。
カラクリの設計をしていたのでニュースから遠ざかっていたが、最近の晴天続きで、高をくくっていたこともある。
が、なんと、今朝は雨戸を開けると、一面の銀世界だった。
都合の悪いことに、灯油が切れていたので、今日は朝食前に灯油を買いに行くつもりだったが、暫く様子見となった。
灯油のことより、屋外での木工作業が暫く出来なくなるので、完成予定が狂わされてしまったのが辛い。
昨日は近所の小学生たちが、自主的に登校?した後、家の前の雪かきをしていたママさんたちの会話を聞きながら、灯油を買いに車を出した直後、前輪駆動のタイヤが空回りして、駐車場前の道路で立ち往生した。
助手席に乗ってきた家内に、タイヤの前をスコップで取り除いてくれるよう指示したが、耳に入らなかったように、車の後方の道路の縁側でスコップを動かしている。
見かねたご近所のママさんたちが、タイヤの前の固まった雪を取り除いてくれたので、発進したが、ハンドルをとられて、危ないのなんの。
家内を乗せる暇なく、脇道から道幅の広い本道、普段は車が多い国道に向かったが、国道も安心して走れるほどではなく、タイヤ跡が少ない。
おまけに登校中の学生などいて、肝を冷やしながら前進。
家から一番近いセルフサービスのガソリンスタンドは人影もなく、灯油スタンドには屋根がないので、雪が積もっていたが、恐る恐る灯油を入れ、奇跡的に無事帰宅した。
病後、装具着用でここ数年使っていなかった長靴は穴が空いていたが、素足にビニール袋を被せ、幅広の輪ゴムで留めたが、長靴も装具の代わりになることを知る。
気持ちも足も濡れることなく無事クリアしたが、ご近所のママさんたちに感謝も、あり、冷や汗三斗の午前中でした。
群馬に居る母親の家の、灯油のストックが無くなりそうなので、丁度、カラクリの仕掛けに詰まっていたところだったので、気分転換のつもりで、ハンドルを握ってきた。
空っ風名物の市内は、大宮に比べて雪は殆ど消えていて、雪道に気をつけなさいと言う母親の言葉で、家から一歩も外に出ていなかったことが伺われた。
館林市内は、月に2〜3回は行っているので、見慣れていたが、気がつくと、大正・昭和の名建築と言っていいほどの建物がちらほら目に入ってくる。
以前は繁盛していたような、文房具・本屋・模型店・靴屋等々・看板や店構えがそのままの、小さな店舗も多く、いずれこの町に住む(予定に入っている)我が身の楽しみがひとつ増えたようだ。
今年のカラクリ作品第一号の設計図制作に、完成予定日まで食い込んでしまった。
カラクリをシンプルに、と、肝に銘じて進めていたが、設計を進めるうちに、凝り性の性格が邪魔をして、結果として時間を大幅に使ってしまったようだ。
午前中は雑用があるので、昼から木工作業本番に入るが、一日目からは屋外作業にどうしてもなるので、ここ二〜三日の天候が気になる。
アクシデントが発生した。 全て自分の粗忽ゆえ。で、設計図を見直し確認中のこと。
コピー&ペーストの確定ボタンを押したつもりが、右隣の ボタンを押したようで、メニューバーが消え、設計図以外 画面は真っ黒・・・・・。
慌てまくって傷口を広げ、パソコンの機嫌は直らず、頭を冷やすこと数時間、就寝前になんとか元の状態に戻ったが、またまた時間を 無駄につかってしまった。
気分一新、今日から再出発です。
カラクリ作品の、組み立て前の切り分けた板は、ノコギリの痕が残った面をきれいにする地味な作業が、2〜3日ほど続く見込みです。
木馬が乗る床面の板の厚みが7㎜、96㎜の横幅を親指と中指で固定して、手のひらで力を調節してロールサンダーで平均に削るので、息を止めながらの作業となりました。
クリとケヤキは堅木なので、なかなか削れません。
為に腕や手に必要以上に力が入っていたのか、まだ右手小指側の手のひらと上腕の筋肉痛が続いています。
自作のライトテーブルを、マップケース上で使っているデスクトップパソコンの、モニタ後方と、窓の間の極狭空間に棚を作り、棚上はプリンタ、下段にライトテーブルを収納する作業に4日もかかってしまった。
日にちがかかった理由は、インターネット等の絡まったケーブルを解いて、ケーブルを収納する棚まで作らなければならなくなった為。(通り越しの道から、絡まったケーブルが窓ガラスに映っていたので、いずれ整理しなければと思い続けていたんですね)
これが厄介で、いちいち外から窓を開けてやらなければ出来ず、冬とはいえ、晴天続きだったので、幾分かは楽だったが、冷えは芯から凍り付き、体は正直で徐々に固まってきて動きづらい。
カラクリ作品を作る時間がとれないこともあって、癇癪を起こして無理に動くと、左外側の、腕から手の甲まで静電気が走ったような痛みが走る。
かと言って、ライトテーブルの収納を放置して、今後木工作品を作り続ければ、作業スペースは狭くなるばかりで、効率は悪くなる。
とりあえず、今日までに一段落付く見込みなので、明日からカラクリ作品作り再始動となります。
旅行先で乗った船が難破に合い、着の身着のまま一人だけ漂着した先は無人島。
「助かった!」と思った直後、頭上に椰子の実が・・・。
チャールズ・チャップリン(1889〜1977)の名言『人生はクローズアップで見れば悲劇だが、ロングショットで見ると喜劇だ』
この絵は40年以上も前に描いた落書きデス。
椰子の実の直撃を頭に受けても、しぶとく生き残った場合は・・・。
奇しくも現在の自分を予見したような一枚になっています。
・・・・・喜劇ですねー。
毎年この時期になると、一寸大袈裟になるが、薄氷を踏みながらの不安定な思い?がわき上がってくる時がある。ごくたまにだし、私はそれほど繊細でもないと思っている。
何故かと言うと、去年の暮れから今年にかけて、世話になった知人や家内の幼なじみが連続して急逝したこと。
こんなことは続いて欲しくなかったが、先日木曜と、昨日の3日の間に訃報が入り、昨日は10歳上の姉が彼岸に向かったと、長兄から電話があった。
この姉とは一緒に生活はなかったが、父の弟の家に養女に行った後、なにかと行き来はあり、子供の頃はよく遊びに行った記憶が残っている。
後年上の姉たちと顔つきがそっくりだったので、予感めいた気持ちは残っていた。
今の時期は高齢者にとって要注意の季節でもある。
奇しくも明日は、私が命を拾って6年目の記念日?になります。
またまた、自分の粗忽で、グーグルとフォトショップをモニタ画面から無くしてしまった。
慌てふためいた結果、傷口を広げ、昨日までホームページが更新出来なかった。
原因は分かっているが、いつまでも改善出来ない自分が情けない。
まさに【羮に懲りて膾を吹く】ようで、無意識に粗忽を発揮?してしまうのか、自分に信用ができないのです。
(何を言ってんだか・・・)困ったもんです。
毎月の定期検診で医師から、血液・尿検査や現在のコレステロールの値等を調べるよう、毎回検診の度に言われていた。
近くの病院では待合室が狭く、常に混雑している事を言い訳に、スルーしていたが、市の健康調査の期限切れ3日前の昨日、突然の申し込みと同時に即検査となった。
結果は今月末までに出るとのこと。
毎日起き抜けに計る血圧は正常だが、身長から体重を割り出した標準値からすると、ここ3ヶ月は4㎏ほどオーバーが続いている。
医師に言わせると【やや肥満】とのこと。
二十歳の頃の体重は、54㎏だったので、現在の【やや肥満】も納得できます。
今月末の検査結果は鬼が出るか邪が出るか、まな板の鯉の心境です。
三寒四温とはいえ負荷のかかった体に、この春の温度変化に対応出来ない。これも歳かな。
また奇妙なことに、諸々の想定外雑用が、作業開始直前に勃発して、木工作業に手が出せなくなる不思議が続いている。
ま、ゆっくりじっくり仕上げていきましょう。【木馬に乗った少年とペット】の完成は来月になるようです。
リハビリ訓練所への送迎で、車内から見た公園や神社内の桜があちこちで満開になり、気持ちを和ませてくれる。
子供を持つ親の口から、入園や入学日に桜の開花時期が合わないのではと、心配する声を耳にしていたが、なんとか間に合うようですね。
体調と相談ですが、今日は満開の桜を撮りに行くつもりです。
群馬に住む母から、築40年の家の基礎にヒビが入っていて、直して貰うよう業者に頼んだので、承諾書にサインを頼むと電話があった。
その3時間後に業者が来て、75歳以上の客と工事契約する場合は近親者の署名捺印が必要と説明があった。
それが13日。
翌日に熊本大地震が起き、現在まで震度6以上の本震余震が7回も頻発している。
友人知己から、地震の備えをメールで頂いている。
科学が発達している現在でも、地震予知予測がまだ出来ていない。
熊本と群馬の地域の違いはあっても、紙一重の差で環境が激変してしまう。
いつも車で出かけるときに、家内から「大丈夫?」と声をかけてくるので腹立たしく思っていた。
世の中に大丈夫などということはひとつもない。
と、出かける度に、声をかけてくれるなら、せめて「気をつけて」と、言ってくれるよう注意していた。
うがったようなことを言う私だが、恥ずかしながら、地震に対する予防処置や、何の備蓄も出来ていない。
今の自分には、これ以上の災害が広がらないよう、不明者の無事を祈ることか出来ない。
エプソンのプリンタが、故障してしまった。
連休中だったため電話が通じず、その間何度もクリーニングするも、状況は変わらず。
連休明け10時に、長野にあるエプソン修理センターへ電話をしたが、通話中が続き3時頃にようやく繋がった。
が、使っていたプリンタは、買ってから10年も経っていない機種と思うが、現在は製造していないので、修理は出来ないという。
印刷は、黄色のインクだけがまったく出ず、インクを替えても同じ結果なので、故障箇所は分かるはず。
ピンポイントで修理は出来ると思ったが、応対した電話番は新しい機種に買い換えての一点張り。
十数年前、ここで修理してもらった時とは雲泥の差の対応で、エプソンの修理職人は見習いしか雇って居ないのでは!と勘ぐってしまい、中っ腹で電話を切ってしまった。
千葉に住む母の妹の健康が不安で、最近はことある毎に「顔を見て安心したい」が母の口癖になっていた。
齢90にもなる行動派の母も、移動にはトイレが一番心配ということで、千葉には高速ではなく、何時でもコンビ二に飛び込めるよう、一般道で行くことを計画した。
最近の私の体調はどちらかというと、快調とはいえないが、ハンドルを握るくらいなら問題ないので、叔母夫婦の都合を聞いて了解を貰ったこともあり、急遽出発決行となった。
昨日は朝7時に大宮を出発。
母を拾って館林から古河ー関宿ー柏ー八千代ー四街道へ向かった。
20年前まで、母もハンドルを握っていた経験があり、叔母の家までの道の詳しさから、一般道で行けば3時間弱で行けるなど、信じた私もアホだった。
免許証返上の間、茨城・千葉四街道までの沿道風景は激変しており、途中道に迷ったことで数時間のロスタイムが出来てしまった。
結局、叔母の家滞在は無くなり、玄関先で10分程度の旧交を温めてとんぼ返りとなって、大宮着は19時半。
事故が無かったのがめっけものの、スタミナドリンクに助けられたドライブでした。
伊藤若仲の「動植サイ絵展」に長蛇の列ができて、五時間待ちの日もあったと耳にしている。!!!ホントカネ。
最近のニュースは、涙を浮かべただけで【号泣】、腹立ち紛れを【激怒】と大袈裟なタイトルの書き込みがあったりで、この待ち時間も頭から信じる気がしない。
もう20年以上前になるかと思うが、記憶に残る展覧会に、「風神雷神図屏風展」があった。
俵屋宗達・尾形光琳・酒井抱一の三人の画家が描いた風神雷神図の屏風を並べて展示し、見比べが出来る展覧会だった。
会場は記憶に残っていないが、今回の混雑した美術館ではなかったと思う。
俵屋宗達の風神雷神は、どう見ても異界の神様のオーラを身にまとっていたように感じ、琳派の始祖で天才画家の光琳さんの絵や、琳派の後継者で天才画家の酒井抱一の風神雷神の絵からは、単なるイラストレーションとしか感じなかった。
昨日見たテレビの「美の巨人」で放映した「動植サイ絵」は、いくらテレビの画質が鮮明でも、原画に勝るものはないし、現場で見て見たかった。
が、例え待ち時間が無くとも、今の自分では見ることができないのが残念。
木工作業でいうと、大まかに決めている一日のノルマが、半分も達成出来ていない、どころか、手に着かない日もあり、これが三〜四ヶ月も続いている。
オートマタのカラクリの具合が、うまくいかず、一日中頭の中でこねくり回しているだけで、他のやるべき雑用も手が出ない。
こんな時は気分転換がいいと、デイサービスで世話になっているウォルター・マッソー氏から頂いた樹齢ン百年?もあろうかという、大人の男性の太もも位の太さのドウダンの根本の成形をしてみた。
木肌は真っ白く、染みひとつ無いので、翼竜やエアクラフト、クラシック・カーなど、次々に作りたいと思える対象物が浮かんできた。
これを弾み?に、「木馬とペット」の作業再開(カナ)・・・です。
モハメド・アリが亡くなった。
リアルタイムで印象的なボクシングの試合や、多くの教訓を残してくれたボクサーだったと思う。
今でも一番強く心に残っているのが、
【諦めるな】【工夫しろ】【前へ進め】
の、三つが焼き付いている。
冥福を祈ります。
アルバイトと西蒲田のアパート(テレビもない角部屋の四畳半でした)を、漠然と往復していた画学生時代、石膏に向かってデッサンをしていた日常に飽きた時の、1970年代前半頃の落書きだったと、記憶している。
自分の向かうべき方向が固まりだしてきた当時の、将来に対しての不安が、蘇ってきます。
3Dイラスト【たき火に、あたりに来た動物は何と何】のラフスケッチ。
我が家に子猫が来て5日目。
次男から、子猫は特別臆病と聞いていたが、いまだに警戒がとれていない。
餌やりはいつの間にか、長男が率先してやってくれるので、長男との間はどうかと見ていると、餌を食べている最中も、長男が目の前に居る為か、警戒の声を出しては餌を食べている。
奴も無類の猫好きで、猫の気持ちが分かるようなので触れはせず、「怒ること無いでしょ」という声が毎回、子猫の食事中に聞こえる。
これは、次男が連れてきた初日に、私が子猫の目を凝視したことが原因で、敵対を解いていないとみて、翌日から目を見ないように(額を見ながら)して話しかけていた。
それでと言うことではないと思うが、昨晩は私の足下50㎝近く、椅子の足下で、丸くなって休むようになっていた。
我が輩の名前は、ココという名になっている。
いずれ近々ニューハーフ手術をするので、嫌も応もなくこれで決まりのようだ。
このココが来た翌日から3日続けて、真夜中にトイレを無視して、私の寝ているベッド脇の何処か?に大きい方をして、鼻が曲がるほどの強烈な臭いで目が覚め、夜泣きもあって、 連続して寝不足になったことがある。
現在は、不躾な方法で私を攻撃することは無く、トイレ問題と夜泣きは解決したが、収まらないのは家内の方で、余計な仕事を増やした私との冷戦が続いている。
全て私が悪い!ので、暫くは頭を下げ、小さくなって日々過ごすことになります。
気象庁の予測通り、今朝から雪が降っている。
11月の降雪は54年ぶりだそうで、今年の冬は厳寒になるのかと考えるとゲンナリする。
そういえば昨日の昼過ぎは、翌日の降雪を予想したのか、近所のスーパーの駐車場は満杯になり、お年寄りたちなど買い物客で溢れかえっていた。
冬の寒さには特に、負荷のかかる身になって7年。
これが私の作品と胸を張っていえるモノを、ここら辺で作らなければ、ちょっと情けないと思っている。
先日、実家に行った時に、若い頃に暇に飽かして作っていた月刊誌の小説新潮やオール読物など、小説を作家別に一冊に纏めた自作製本が棚にあるのを見つけて持って帰ってきた。
画学生時代は、テレビやラジオなど生活の中に無かったので、必然的に本を読む習慣が身についたのが、その後の生活に続いていたと思う。
将来は、挿絵画家も希望していたこともあり、小説の挿絵を集める目的があったので、最盛期は二〜三百冊では収まらないほど、貯まっていたと思う。
持ち帰った本の中の一冊に、梶山俊之著「せどり男爵数奇談」がある。
挿絵は鈴木正さんで、内容とマッチしてことのほか面白く、古書流通の仕組みや、古書収集家から盗書狂に至るまで、若い頃に読み落とした箇所もあり、本の内容が新鮮に頭の中に入ってくる。
こういう時は、近くの病院にいる義母の入院見舞いの、家内の送迎待ちの車の中で繰り返し読んで飽きず、待ち時間も苦にならず、ストレスも貯まらないので良い。
画学生時代から作っていた自作製本は、小説に限らず漫画もある。
先日、愛猫ココのゲージ周りを整理していたら、ゲージと壁の間に隠れていた本棚から、「佐武と市捕物控」「四貫目」「天動説」「フーテン」等々、ごっそり出てきて、断捨離を考えなければならなくなった。
半世紀以上前の漫画雑誌全盛当時、いい年をした男性サラリーマンなどが堂々と電車の中で週刊漫画を夢中になって見ていて、なにかと話題になっていた時代でもあった。
まだ独身だった頃、ビッグコミック創刊号から始まり、白土三平画伯表紙のガロや、大人漫画の漫画サンデーなどに載っていた作品を、作家別に一冊に纏めて作っていた。
現在の家に越してきた当初、手塚治虫、白土三平、さいとうたかお、石森章太郎、赤塚不二夫など大御所の作品を、思い切ってごっそり処分したが、現在残っている自作製本も半端な数ではなく、物置や押し入れなどに分けて置いてある。
職業柄必要だったと言えないこともないが、これら本を開くと、当時の空気や思い出が懐かしく甦ってきて捨てがたく、さりとて残しておくというのも気が重い。
物忘れが増えてきた。
こちとら母親と違って、餓鬼の頃から物忘れの常習者だから、今更慌てふためくことが無い。
が、一日中捜し物の時間に費やされ、これが徒労に終わると、いかに子供の頃から続いていることとはいえ、ストレスは溜まり、慣れるということがない。
厄介なのと、迷惑なのが同じ世代の連れ合いの方。
以前、血相を変えてガサゴソ捜し物をしていたことがあった。
そのうち様子がおかしい素振りが見えてきたと思っていたら、突然!「返してくれ」と訳の分からんことを言い出してきた。
挙げ句、私がモノを隠した犯人呼ばわりされ、スッタモンダが始まった。
落ち着いて考え、時間が経てば解決するのだが、濡れ衣を着せられた方はたまらない。
以来この忘れ物探しが、二度三度と重なってきても、変わらず冷たい傍観者の姿勢を崩さないでいる。
ケッケッケ、ケセラセラ。
津田家は女系家族だった。
長女(母)を筆頭に女が8人、男3人だったが、今は90歳の長女を筆頭に4女と7女、84歳の長男と、ドベの私の5人になってしまった。
ちなみにすぐ上の姉の7女と、私の年齢差は6年。
家族の中で、思春期の時期に男子としての扱いを受けた覚えは無く、犬猫や、路傍の石ころと同じ扱いだったと記憶している。
一方、家内の方は兄弟男女2人づつ。
明らかに違っているのは、両親に対する愛情が細やかなこと。
96歳の義母の体調不良で、未だに入院が長引き、毎日欠かさず義姉と家内は、病院へ見舞いに行っている。
一方、津田家の方は、20年前に身罷った養母(祖母)の臨終の時、4女と6女の二人は、息を引き取る間近の母の横で、臨終予想を語り、突然、膝を立てて寝ていた母の膝を、力尽くで真っ直ぐにしたのを目撃した。
理由を聞くと、イタズラが見つかった子供のような笑顔で言った理由は、膝を立てたままだと、棺桶に入らないから。
意識が無いように見えても、この時は「痛ッ」と母の意識が一瞬戻ったかのように思えた。
ドライと言えば聞こえはいいが、こんな家族の中で育った私が影響を受けない訳は無いと思っている。
ちなみに、家族の中でこの4女の姉がいちばん好きなのである。
このイタズラ描きも残り僅かとなった。
描き散らしていた紙も、重なればかなりの重さになり、入れていた物置は、本やガラクタ等の重さもあって、外見からもはっきり分かるほど傾いている。
断捨離で少しずつゴミの収集日に出しているが、整理整頓が苦手な家内は、勝手なもので、自分のモノだけは捨てるなと言う。
この場合歳のせいにするのが一番良く、勝手な戯言は聞き流して、忘れたことにしている。
昔、【ロンドン・パンチ】という一枚漫画家のバイブル的週刊誌が、お茶の水の古本街の外国書籍専門の書店で、時たまだが売りに出されていたことがあった。
現在は分からないが、四半世紀前の当時は仕事関係の出版社などが近くにあって、頻繁にこの古本街を歩いていたので、見かけると必ず手に入れていた。
マンガ週刊誌で言うと世界懐古であり、なにしろ19世紀半ばにイギリスで創刊され、ここから、ロナルド・サール、ジェラルド・ホフヌング、など超一流のカーツニストが育ったと記憶?している。
私がこの週刊誌を手に入れた頃は、鳥をモチーフにしたマンガ専門のハーブリーグや車のアイデア専門のブロックバンクなどが頻繁に紹介されていた。
で、我が国の月刊小説誌でも、外国マンガ紹介として4〜5ページ掲載した時期もあったが、殆どが捨てカット的な扱いだった。
よく見かけたのは月刊オール読物で、なかでも〈マクラクレン〉〈マックラーチラン〉〈マックラクラン」など、掲載毎に名前の表記が微妙に違う、乾いた作風の漫画家が好きだった。
ほんの一時期だが、その漫画家に触発されて描いたのがこの一連のボクシングマンガだった。
連日猛暑日が続いている。
麻痺の体に冷房をいれて体を冷やすと、気がついた時は体がカチンコチンに固まって動けなくなるのが経験上分かっている。
が、昨日はたまらず室温を30度にして冷房のスイッチを入れてしまった。
今までまで頑固に冷房を入れなかったので、午前中に机に向かっても、気力体力が10分と続かず、仕事にならなかった。
室温30度にすれば作業が進むと考えたのは浅はかだったようで、20日過ぎまでの記憶が体に染み込んでいるかのように、休憩がずっと続いている。
本業の仕事は少しずつ前に進んで(?)いるが、カラクリの【木馬とペット】は遅々として前に進んでいない。
今日は猛暑から一転、雨模様の過ごしやすい日になったので、体から怠惰の虫を追い出さなければと思っている。
先日本棚の掃除をした時、独身時代に作ったファイルが目に付いた。
手にとると表紙も中もボロボロになっている。
これは作家別に一冊にまとめたファイルで、ロナルド・サール、アンドレ・フランソワ、ハーブリーグの作品集の三冊のファイルの間に挟まっていた絵が、取り出した時に黄ばんだ絵が足下に落ちた。
自作製本の一番古いファイルだったので、このうちのひとつにはさまっていたとすると、20台前半の頃に描いた最初の一枚マンガと言えます。
出来不出来は目も当てられないが、当時住んでいた西蒲田のアパートの雰囲気だけが甦ってきました。
若干20代で、ピエタ像やダビデ像を作ったイタリア・ルネサンス期の巨星ミケランジェロ(1475〜1564)の出自を、恥ずかしながら最近まで知らなかった。
同時代の万能の天才・レオナルド・ダ・ヴィンチ(1452〜1519)は画家を志し始めた頃から好きだったが、ミケランジェロが描く肉感的な造形はどうも好きになれなかった。
最近テレビで、ミケランジェロの特集と思えるような作品を立て続けに見て、ようやくその奥深い魅力がほんの少しだが分かってきたような気がする。
で、出自だが、ミケランジェロ・ブオナローティと、何やらトロンボーンかコントラバスの音のようで、興味が無かったこともあって記憶に残らなかったんですね。
フルネームは、ミケランジェロ・ディ・ロドヴィーゴ・ブオナローティ・シモーニだと。
・・・・・オートマタはどうなったか?
こんな益体もない知識など必要ないのに、テレビなんぞに現を抜かし、無駄な時間を過ごしてしまいました。
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